昭和の茶托
昭和時代に作った茶托が出てきました。
良い作りです。
今ではこの木地を作れる職人も少なくなりました。
世の中に出て人の手で使って欲しいです。
ヤフオク出品しました。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v1115851526
![]() |
価格:4070円 |
昭和時代に作った茶托が出てきました。
良い作りです。
今ではこの木地を作れる職人も少なくなりました。
世の中に出て人の手で使って欲しいです。
ヤフオク出品しました。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v1115851526
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価格:4070円 |
山に囲まれた浄法寺町は、21世紀となった今でも外部との交流は、ほとんど鹿角街道に頼っています。かつてほどではありませんが、冬は1メートル近くの雪に閉ざされ、農家の働き手の多くは農閑期には出稼ぎに行く土地柄です。
この町には謎の古刹天台寺があります。近年では今東光大僧正や瀬戸内寂聴に縁の寺院として知られます。一見すると何事もない寺院ですが、平安期の遺産が残り、その成り立ちは古代東北地方の歴史をしる手掛かりになるとする研究者もおります。
天台寺はこの土地の小高い丘(標高320メートル)を拠点に、早くから青森、秋田方面へと仏教の影響力を伸ばしたといわれます。
森嘉兵衛岩手大学名誉教授は「生きた人間にとって平地の方が食料を確保する点でも環境は良好なはずなのに、“山岳寺院”を築く必要はどこにあったのだろう」と疑問を投げかけています。天台寺の古い歴史を知る手がかりがない現在、研究者の考え方もまちまちのようです。
高橋富雄東北大教授は「古代東北の地に、北に向かって伝播していった中央文化が、しっかりと根をおろしたことを物語る遺跡だ」と“歴史のシンボル論”主張しています。それによると「鎮護国家を旗印にした我が国の天台宗は9世紀半ば、その理想を実現しようと、六か国に法華経を置く塔(六所宝塔)を建てたそうです。関東以北では栃木と群馬がその地だと言います。
この高橋富雄教授の説を読んだときに衝撃は走りました。栃木と群馬といえば「浄法寺」という地名や寺院が残る土地です。明らかに畠山重忠につながる人物の足跡、天台寺院の存在が、陸奥浄法寺氏を知る手掛かりになりそうです。もしかしたら浄法寺氏は天台仏教に関係にある人物で、天台寺の庇護者だった可能性もあります。
天台寺は鎮護国家の理想を北東北にも実現させようとしたものだったのかもしれません。
古代中央の軍事的北限は、七時雨から西岳を結ぶ地点より南までで、それ以北は蝦夷の住む‘異邦の地’でした。朝廷勢力圏との国境である地に建てられた天台寺は、いつしか天台仏教に帰依していた畠山氏一族が上野国、下野国を経由し、最終的には陸奥浄法寺にやってきたとは考えられないでしょうか。
https://airinjuku.blog.fc2.com/
倉庫から朝顔型の器が出てきました。
日本酒用で作りましたら、塩辛などを入れて出しても映えます。
作っていただいていた木地師が廃業したので、新たに作ってくれる人を探しています。
最初は摺り漆で仕上げますが、剥がれてきたら朱や黒で直します。
直しを繰り返すことによって、刃物でも傷つかない器になります。
そんな器になって欲しいです。
https://www.facebook.com/groups/840142819947141
在庫で抱えていた漆器。
新企画の資金稼ぎを再開です。
在庫で抱えているよりも、安くてもいいから資金に換えたいです。
そして、落札した方が喜んで使ってくだされば幸いです。
断捨離と、資金稼ぎを兼ねて出品しますのでよろしく願いします。
瀬戸内寂聴記念館には、私が寄贈した漆器が展示されています。
寂聴さんの書斎を再現したものです。
もちろん、同じような漆器を実際に使っています。
先日の訪問で気づいんですが、 展示してある漆器に水分補給が必要とに感じました。
水分補給とは、丸く水洗いをして乾いた布で引き取るだけです。
こうすることによって、素晴らしい漆器に変身します。
明日以降に提案したいと思っています。
しばらく漆芸から遠ざかっていました。
その間にも、数少ない顧客から修理の依頼をいただいています。
新しい物を作るよりも、古い物を直す方が心ときめくんです。
商業的には難しいですが、要望がある限り応えたいと思っています。
そんなわけで未使用の在庫を格安で出品中!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n1114357426?notice=fbid
本日は一戸の旧家を発掘しました。
記憶に何となくある造り酒屋です。
依頼された鉄瓶の納品を兼ねての訪問でした。
一番の収穫は、良い形の四つ椀があったことでした。
おそらく、造り酒屋の職人達に食事を振舞った名残でしょう。
次回も発掘を続けたいと思います。
それに刺激され、古漆器磨きを再開しまいた。
「おせんこ椀」と古老が言っていたのを覚えています。
50年以上前のことなので、「おせんこ」という発音に自信がありません。
冠婚葬祭の最後に出す蕎麦を入れる器と聞いたことがあります。
この椀で直接出すのではなく、最初の一杯はこの椀で出しますが、お代わりはこの椀の蕎麦を、最初の椀に入れるというものでした。
わんこ蕎麦の古い形と思っています。
私的漆器展示館の資金稼ぎ。
鉄鉢椀と銘々皿をヤフオクに出品しました。
展示見本として使われていたものです。
見本の期間は一週間。
ほぼ新品です。
浄法寺の漆塗り酒器2点、奥州天台寺窯の酒器1点です。
ヤフオク出品中です。
これでお気に入りの酒をいただいてください。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g1091773538
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