2019年7月21日 (日)

無投票

本来であれば二戸市議選の投票日でした。

ですが、立候補者が定員と同じなので無投票です。

市としては無駄な出費をしないで済みますが、選挙にならないのも考え物です。

次回は選挙になってほしいと思います。

午前中は選挙運動をしていましたが、締め切り時点で定員ぴったりだったとの事です。

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2019年7月20日 (土)

帰ってきました

行方不明になっていた愛猫が帰ってきました。

格闘したらしく、傷だらけです。

傷が化膿して元気がなかったのですが病院へ。

すっかり元気になりました。

雄姿を記念撮影です。

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2019年7月19日 (金)

牛乳

この頃はミルクティーを飲むことが多いです。

紅茶の葉には特にこだわりはありません。

というよりも、一般に売っているティーパックです。

でも牛乳にはこだわっています。

あまり牛乳味が強いと、個人的には何となくダメです。

地元の奥中山高原牛乳がちょうどいいです。

お茶の代わりにコップ一杯の牛乳も良いです。

奥中山高原では、ほかにもチーズなどの乳製品が作られています。

国道4号線、八戸や盛岡から1時間。

スキー場などもあり、結構楽しめる場所です。

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2019年7月18日 (木)

真田太古事件

明治10年2月に西郷隆盛を中心として起こった反政府運動がいわゆる西南戦争です。
これに呼応して、明治10年5月に青森県三戸郡、岩手県二戸郡、秋田県鹿角郡の旧南部藩士たちも政府転覆計画を起こします。
これは三戸郡田子町の真田大古(泰幸、太古)を首謀者とする怪事件でした。
 
その計画を簡単に説明すると、5月17日に一派は青森分営を襲い兵器や弾薬を奪い、県庁を撃ち公金を奪う。
別の一派は鹿角地方の金山を襲い、七戸、五戸、三戸を扇動して福岡(二戸)を経て浄法寺に入り、
南部領内随一の豪農小田島勘治を説得(脅し)して資金を出させ、鹿角方面の一派と合流し盛岡に入り、
賛同者を募り仙台鎮台を破り、東京に入らんとするするものでした。

この計画は会輔社(二戸市)の社員・岩館迂太郎の密書により岩手県警察の知るところとなり、青森、秋田の三警察共同捜査により、
5月12日に首謀者が逮捕され未然に防がれたのでした。

この事件の檄文を書いたのが小田為綱です。
彼の明治11年日記によると、この事件の背後には西郷一派のはたらきかけがあったと見られます。

南部藩佐幕派の首領楢山佐渡の参謀であった那珂通高は、真田事件を事前に知っており,
福岡(二戸市)の会輔社代表小保内定身に明治10年2月1日付けで手紙を送り、反真田運動を奨めます。

この際、小保内定身は表だった動きを見せていませんが、同士とも言うべき岩館迂太郎が県に密書を送ったり、
会輔社の下斗米与八郎を実情調査のために鹿角方面に差し向けています。

また、西郷決起を聞いた際には「私の体を投げ打つには他人の勧誘は受けない。西郷が皇室に対して不忠の心があれば別だが、ただ政府内の意見が異なった為のものである。」といって、西郷討伐にはやる社員をなだめたと伝えています。

カシオペア歴史研究所

暑中行軍

岩手の夏の風物詩。

もしかしたら母校の行軍もこの時期のお馴染みかもしれません。

学校から、基本的には岩手県営球場まで歩いて応援に行くものです。

40年前は、初戦の二日前に学校を出発したものです。

次の日の夕方に球場入りし、先輩方の激励を受けて盛岡市内に一泊。

先輩方の下宿で応援の作戦を練ったものです。

順延になればそのまま泊めてもらいました。

実はこの行軍は学校非公認の行事でした。

行軍を理由に学校を休むと停学処分になったものです。

それでも行軍を止めることはなく、学校側も警告はするけれど一度も阻止に出たことはありません。

その時代からは形が変わりましたが、今でも続いているようです。

野球部には11回目の甲子園を期待です。

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田中舘愛橘

5年ぐらい前にフランスから1枚の写真が送られて来ました。
以前からオートバイのカタログを交換しているマニアからです。
彼のマニアの友人宅で保管されていたものです。(所有者を仮にAさんとします)
Aさんのお祖父さんか曾祖父さんが1920年頃まで数年間日本に滞在したことがあるようです。
フランスの軍人に同行した技術者らしいとのこと。

何よりもびっくりしたのは「田中舘愛橘」が写っていることでした。
仮に1920年(大正9年)の写真だとすると、愛橘博士が64歳の写真ということになります。

次の電子書籍企画は、田中舘愛橘を題材にと考えています。

カシオペア歴史研究所

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2019年7月17日 (水)

次の構想

電子書籍の原稿を少しずつ書いています。

今書いているのが「萬卒に功なく一将枯る」です。

母校の昭和二年の甲子園での活躍です。

やっと半分ぐらい書き上げました。

飛田穂洲さんとのエピソード、天知俊一さんとの交流、選抜大会辞退の経緯など。

おそらく母校の後輩も知らない物語があります。

病気の後遺症なのか、時々意識が飛びます。

視力も将来は不安です。

できる限り書き残したいと思います。

カシオペア歴史研究所

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紙ものコレクション

近くのコンビニで見かけたアイスクリーム。

ラベルが秀逸で思わず購入しました。

味もおいしかったです。

早速コレクションに加えました。

戦前のラベルコレクターが知り合いにいますが、素晴らしいコレクションです。

文化遺産に指定しても良いと思います。

紙ものコレクションは楽しいです。

カロリーが高いので食べすぎに注意です。

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2019年7月16日 (火)

昭和53年夏 駅蕎麦の思い出

昭和53年夏の高校野球岩手県大会の決勝戦は、盛岡一高と黒沢尻工業高校の対戦となった。

その対戦を北福岡駅の待合室で観戦していた。

200人ぐらいの観戦者が居たような記憶がある。

7回だったと記憶しているが、盛岡一高が逆転に成功し、そのまま試合に勝利し甲子園出場を決めた。

その7回の観戦中、小腹が空いたので駅蕎麦を食べていた。

食べ終わる前に逆転の場面があった。

その場面に見とれていて、蕎麦の入った容器をこぼしてしまった。

恥ずかしいやら何やらで、なんとかその場をしのいだ。

しかし、空腹は満たされない。

すると近くにいた人が蕎麦をおごってくれた。

よくよく話を聞くと、盛岡一高の卒業生だった。

この時の優勝で、盛岡一高が9回目の甲子園出場を果たした。

母校は昭和52年、昭和51年と決勝敗退。

甲子園の出場回数で抜かれた年であった。

その駅蕎麦を食べた建物もなくなり、駅名も二戸駅に変わってしまった。

当時は毎年夏になると、両校とも必ず優勝候補に名を連ねていたものだ。

令和の今では夢のような時代だった。

11回目の甲子園出場を、決勝戦で盛岡一高を破って果たしたらと考えると楽しい。

両校の奮闘を期待する。

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11回目の夏を目指して

母校が11回目の夏を目指して奮闘中です。

本日の試合で3-0で高田高校を降しました。

最後の甲子園出場が昭和60年。

あれから34年目。

今でもあの時代が蘇ります。

在学中には9回目の甲子園出場を果たしました。

今でも同級姓との間で、その話題で飲めます。

野球部ではなかったけど、野球部以上に母校の活躍を祈っています。

次の対戦は久慈高校。

高校二年生の夏、決勝戦で敗れたのも懐かしくて悔しい思い出です。

ところで、今年も歩いたんでしょうか。

そのことが気になる同窓生も多いはず。

情報をお持ちの方は書き込みお願いします。

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