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2017年8月14日 (月)

幻の西郷隆盛写真かも

古代よりカシオペアの地は、一言でいえば中央政権に対する抵抗の歴史です。
古くは爾薩体の族長・伊加古が有名です。伊加古は、最近脚光を浴びている阿弖流為と並び称される古代みちのくの族長です。
平泉の奥州藤原氏につながる安部貞任の一族も、元々はカシオペアの大地を本領としていたようです。
カシオペアの大地を流れる安比川、大字名に見られる安比はその名残とも考えられます。
彼らは天台寺を造るほどの文化的教養を持っていたといわれています。
最終的に平泉の繁栄を築いたのは「安比」の血でした。

中世になると九戸政実が出現します。
政実は豊臣秀吉が国内を統一するにあたり最後に抵抗した戦国武将です。
浅野長政や蒲生氏郷といった一流の武将に対して一歩も引かなかった強者でした。

そんなカシオペアの強者たちですが、実は中央に対する抵抗ばかりではなく開明的な進取の精神を持ちあわせていました。
呑香稲荷神社の神官小保内孫陸もその一人です。
その孫陸の子である定身は、天保5年(1834)に生まれました。
成長と共に盛岡に出て国学を学び、安政3年(1856)23歳の時に江戸へ勉学に登ります。

この頃は尊王攘夷論が盛んでした。定身もまた勤王の志あつく、志士の間を往来し多くの士と交りを結ぶ機会を得るのでした。
特に長州藩の久坂玄瑞や江戸の安積五郎、川本正安と交遊が深くなったのはこの頃のことです。
江戸で学んだ定身は安政6年の秋郷里に帰ることにしました。26歳の時です。

これより先、安政5年(1858)、長州の小倉謙作、松島剛蔵が福岡にやってきます。
小倉は萩の俊才で、吉田松陰や桂小五郎(木戸孝允)の親友であり、定身とも知友の間柄でした。
小倉は孫陸と計って福岡の青年士族を集めて結社をつくり、これに会輔社と命名しました。
これは論語の「文ヲ以テ友ト会シ、友ヲ以テ仁ヲ輔ス」から引用したものでした。
当時の社員は14名、社長は孫陸と岩舘民弥の二人で、現存する茶室の槻蔭舎が会場でした。
小倉は異様な熱心さで経文を講じたと伝わっています。

続 く

Kikou117

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