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2017年8月14日 (月)

中村輝男 

日本が台湾を統治していた時代に、彼は志願兵として日本の軍人になった。
そのとき名前は「中村輝男夫」である。
       

台湾アミ族出身で、本名をスニヨンと言った。生まれれたのは大正8年(1919)である。         

中村輝男は日本陸軍の南方作戦で高砂義勇隊一等兵としてモロタイ島で戦った。  日本の敗戦後、台湾にやってきた国民党政府は戸籍整理を行い、本人が知らないまま「李光輝」と名付けられた。

彼は敗戦を知らずに戦い続けた。
タイ島の密林の奥で逃亡生活を送り、ついに発見された時は57歳になっていた。発見されたときに最初に発した言葉が、「ニッポンテイコクリクグンウットウヘイナカムラテルオ」だった。

故郷の台湾に戻った時、妻・李蘭英(日本名・中村正子)は生活のために51歳の農夫と再婚していた。三角婚姻である。その第二夫(黄金木)、そして子供たちとの葛藤の後に、彼は妻と子供たちと一緒に暮らすことになった。

日本国民として天皇陛下に拝謁して故郷に凱旋したいという思いが、中村輝男にはあったのだろうが、日華平和条約で台湾出身者は日本国籍を自動的に離脱した格好になっていた。

更に帰国した昭和49年(197412月は日華団交後であり、台湾との国交は閉ざされていた。そして台湾では戒厳令の真っ只中であり、日本政府は「筋を通すこと」よりも「波風を立てないこと」を選択した。

続 く

Kindaisi008


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