昭和2年の証言 水原茂
昭和2年の福中野球部は、優勝した高松商業と接戦を演じた。
この試合で、史上初の敬遠満塁策を成功させ飛田穂洲から絶賛された。
9回裏高松商業の攻撃、先頭打者が中堅失策で無死二塁。
次打者が送りバントで一死三塁。
ここで福岡バッテリーは敬遠満塁作を選択。
「サヨナラ負けなら2点入っても同じなので、満塁にした方が守りやすい」という秘策である。
投手の戸来が2人連続して敬遠すると、これまでこのような策を見たことがなかった観客はどよめいた。
次の打者に対し、捕手の村田は2球目をウエストさせてスクイズを外し、飛び出した三塁ランナー(後に巨人で活躍する水原茂)を刺して2死。
そのまま打者を三振に打ち取り、ピンチを切り抜けた。三本間で挟殺という結果となったため、封殺もしくは併殺を狙う満塁策そのものは活きていないが、これが甲子園初の満塁策とされている。
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