陣場台熱球録 15
大正14年(1925)の第11回大会では、参加校の激増と地理的な関係上東北大会から青森、秋田、山形を分離し奥羽大会を新設した。
東北大会は岩手、宮城、福島で争われ、東京朝日新聞の主催、二高後援で8月3日から9日まで仙台市の東北体協球場で行われた。
東北大会参加校は19校で、福中野球部は東北大会ベスト4に進出し「福中強し」との声を聞くようなった。
ベスト4進出の立役者、中津川昇二と小坂国夫のバッテリーは、関東以北最大のバッテリーと噂され一躍優勝候補と目されたが、経験の差とでもいうべきか準決勝で盛岡中学に2-5で敗れた。
前年秋に行われた盛岡中学との練習試合に開校以来初めて勝利し、今度こそは勝てるという思いで盛岡中学に挑んだが跳ね返された。しかし将来に希望を抱くベスト4進出であった。
大正15年の第12回大会は7月27日から福島高商球場で18校の参加で行われた。
◎一回戦は不戦勝
◎二回戦 3-2仙台二中(投手・戸来・捕手・村田)
◎三回戦 16-1盛岡商業 7回コールド (投手・戸来 捕手・村田)
◎準決勝 2-1福島商業 延長12回 (投手・戸来 捕手・村田)
◎決勝 1-3盛岡中学
準決勝は8月3日に行われた。福島商業と延長12回の死闘を演じて勝利。
この勢いで盛岡との決勝戦に勝利しようと、意気高揚、一通りの注意と作戦を終わり早めに睡眠した。
明けて8月4日午後1時、山岡球審の宣告で試合が始まった。先攻は福中。初回から福中打線は盛岡中学の山田投手に襲いかかり、4回までに3点を挙げた。
しかし、2回ころから空模様がおかしくなった。3回頃から小雨が降り出し5回に入ろうとした時に大雨となり、30分の中断の後ノーゲームが宣告された。
決勝再試合は8月5日に行われた。決勝戦の試合経過は、両軍3回まで好守し得点なし。
盛岡は4回、福岡の戸来投手から4連続四球を選んで先制。
福岡は5回、1安打と相手エラーで1点をあげ追いついた。
盛岡は7回、2つの四球と福岡のエラーで1点、続く4番打者の右越安打でさらに1点をあげる。
福岡の8回、9回の反撃もむなしく1-3の惜敗となる。
選手は試合が終わるとグランドに座り込み泣き続けた。
昆監督や安達部長が選手をなだめ、やっと宿舎に帰った。
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