陣場台熱球録 18 明大の知将天知俊一
福中のエース投手として活躍した中津川昇二選手は、大正15年(1926)3月に福中を卒業後、明治大学に進学し野球部に席を置いていた。
7月には後輩のコーチとして福中にやって来ることになっていたが、急用で果たせなくなった。
そこで明治大学の先輩である天知俊一氏に事情を話したところ、快く福中のコーチ役を引き受けてくれることになった。
福中の昆徳治監督は、練習試合から選手全員の長短所を見て貰いたいとの考えから7月4日に盛岡中学との練習試合を組んだ。
そして、天知氏には4日の朝に盛岡に着くようにお願いした。
練習前のミーティングから戦法まで天知氏の指導で試合に挑んだ。試合は0-1で惜敗したが、試合の運び方、選手に対する采配などベンチの重要さを再認識させられた。 続く
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