陣場台熱球録 22
ミスタータイガースと言えば、一般的には藤村富美雄や村山実、掛布雅之などを想像するが、関西の玄人衆から真のミスタータイガースと呼ばれているのが白坂長栄だ。
昭和23年にタイガースに入団以来、タイガース一筋。現役引退後も球団職員としてチームに貢献した。
白坂は一戸町の出身。実家はリンゴ農家である。白坂が最上級生となった昭和14年、福中野球部は昭和6年以来の岩手県制覇を成し遂げて奥羽大会に駒を進めた。奥羽大会でも優勝候補の筆頭にあげられたが、準決勝で青森中学に惜敗した。エースの戸来投手の体調不良が原因であった。
福中卒業後は仙台鉄道管理局へと進んだ。応招されて戦地へ赴き、戦後は盛岡鉄道管理局で投手として活躍していた。
昭和23年、盛岡商業出身の沢藤光郎投手をエースに盛岡鉄道管理局は「全国鉄道大会」で優勝を飾った。白坂は遊撃手兼投手として活躍する。この時の活躍がプロ入りするきっかけとなる。
タイガースの若林監督は、終戦期には夫人の実家がある仙台市に在住していた。「盛岡鉄道に白坂長栄といういい選手がいる」という噂を耳に挟み、全国鉄道大会を観戦した。そこで白坂の華麗な守備に釘付けとなり、盛岡まで来て直々にタイガース入りを口説いた。
タイガースでは実働11年、1,020試合出場 3313打数 789安打 59本塁打 360打点 通算打率238の記録を残す。オールスターにも出場、その華麗な守備でファンを魅了した。
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