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2018年3月 3日 (土)

デスモスチルス

二戸市の金田一地区は化石の名所として有名です。

特に約1600万年前の地層から発見されたパレオパラドキシア(デスモスチルス)が知られています。

1980年に、岩手県二戸市金田一で発見されたことから金田一標本と呼ばれています。

頭骨など見つからなかった部位に関しては,カリフォルニアで発見された標本(スタンフォード標本)から復元されています。

この地区は、かなり古い時代から化石が発見されているようで、多くの地元の人達が個人で立派なものを所有していると言われています。

二戸市歴史民族資料館にも太古のコーナーを設け相当数出品展示されています。

国道4号線を北上し、二戸市金田一地区に入ると「アツマランカ」という施設があります。
そこの玄関にオブジェがありますよ。ぜひ訪ねてみてください。

先般の新聞記事(平成23年2月12日岩手日報)記事。

東京大総合研究博物館(東京)にある海生哺乳類デスモスチルスの歯の化石が、 化石と一緒にあった手紙から、「農民知事」として知られる国分謙吉氏 (1878~1958年)が明治時代に発見したものだと分かった。

デスモスチルスは1897(明治30)年、島根県で発見されたのが国内初とされるが、 手紙の内容などから国分氏の発見はそれ以前にさかのぼるとみられ、知事が若き日に考古学で大発見をしていた可能性が高まっている。

国分氏の化石と確認したのは、国立科学博物館地学研究部生命進化史研究グループの甲能直樹研究主幹(49)。東京大総合研究博物館で昨春、木製の升に入った化石と手紙を見つけた。

化石は左上顎の第2臼歯で、七つの短い円柱を束ねたような形が特徴。横幅約7センチ。

一緒にあった手紙は国分氏が東京帝大(現東京大)の教授に宛てたもの。

年は不明で、「12月13日」の日付が記されていた。「私が贈った化石に対して感謝状がまだ届かない」「自分と同じ化石を知人が持っている」などと書かれ、 国分氏がこのとき既に化石を東京帝大に寄贈していたことが推測できる。

昨年、二戸市の民家から、二戸郡病院長を務めた国香彦介さん(故人)宛てに東京帝大が送った感謝状が見つかった。「獣歯を寄贈してもらい感謝する」と書かれ、日付は1899(明治32)年9月15日だった。

甲能研究主幹によると、大正時代の論文に、旧福岡町(現二戸市)から二つのデスモスチルスの化石が発見されたということが書かれ、一つは国分氏のもので、もう一つは国香さんの確率が高いという。

当時、東京帝大は寄贈後約1~2年後に感謝状を出していたという。

国香さんに届いた感謝状の時期から国分氏が出した手紙の「12月13日」は、 1897年以前の可能性が高く、化石の発見時期も「1897年以前と考えられる」と語る。

国分氏は、1947年から8年間、県知事を務め、化石発見時には、旧福岡町に
自ら開設した私立の農事試験場で、農作物の研究に励んでいた。

デスモスチルスとは約2千万年前から約1200万年前に、北太平洋沿岸だけに生息した半海生の哺乳類。
体長約2・5メートル。巨大な頭骨と丸い柱を束ねたような形の臼歯を持つ

二戸市金田一地区では他にも貴重な生物の化石がたくさん発見されています。

カシオペア歴史研究所

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