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2018年7月

2018年7月31日 (火)

今日の一句  素麺

七月の うだる暑さに 食劣る


今日の一句です。

本当に熱い日が続きますね。

我慢の限界ですね。

北東北でこうなんですから、南はすごいんでしょうね。


素麺が美味いです。


https://youtu.be/2TDfiMJfEOw

九戸政実の年齢 

九戸政実の決起は、天正19年(1591)に起きた争乱である。

南部家の第25代晴継が没した後、南部家を誰が相続するかで争い、最後は南部信直が相続した。

それに異を唱えたのが九戸政実であった。

九戸実親(政実の弟)を推していた九戸党が、信直の相続を不服として南部家に対して反旗を翻し、最終的には信直を支援する豊臣政権の軍勢が九戸城を攻略し、降伏した政実以下を斬首して解決したということが通説になっている。

九戸政実が九戸城に籠もって豊臣勢と戦ったのは、間違いない史実だが、そのときの当主が「政実」であったかどうかは、実は確実な証拠がないのである。

亡くなった年齢の辻褄が合わないのある。

「政実の名」は、天文7年(1538)の日付で九戸神社に伝わる建立時の棟札で確認できる。

実は、その札のみなのである。

その札には、「大旦那源政実」と記されている。

「大旦那源政実」とは、源氏の血を引く政実という意味であるが、政実は56才で処刑されたと伝わっている。

そうすると、天文7年(1538)は3才ということになり、果たして「大旦那源政実」と名乗り、神社を建立したとは考えにくい。

棟札の政実は、既に元服していたと考えると辻褄が合いそうな気がする。

政実の実際の年齢が15年ほど遡るとすると、すでに子供が跡を継いでいてもおかしくない年である。

政実の子供が跡を継いだという伝承は残されていない。

津軽家文書』によると、永禄10年(1567)、政実が一戸大和守宗綱を攻めた時、宗綱の二男勝五郎(11歳)が、九戸の二男弾正を射取ったとある。

二男がいたということは長男もいたということである。

天正19年(1591)の時点で、市左衛門という子がいたと伝わり、市左衛門は津軽に逃れ、津軽為信が保護を加え、御馬廻役知行400石を与えらとの伝説もある。

また、『聞老遺事』によると、政実には九戸落城時に3歳ばかりの末子がいて、四戸氏の者が江刺黒石の正法寺に預け、成長ののち江戸に上り3000石をもらい堀野三右衛門と号し、元和年中(1615~24)陸奥国の巡見使として三迫にきて九戸神社に参詣したという。

一子の亀千代は、落ち延びる途中の田子で討ち取られたとも言う。

政実が敗れたのが68才頃とすると、実弟と伝わる実親は政実の子だったとも考えられる。

歴史の想像は楽しい!

https://youtu.be/9zYVNgJviTc


2018年7月30日 (月)

東日流外三郡史という奇書

東日流外三郡史という奇書が存在します。

詳細はインターネットで調べて見てください。

個人的な見解は、偽書なのは確実だと思っています。

しかし、全くのでたらめかというと、ちょっと違うような気がします。

ネタ本の古文書や、古い伝承があったよはずです。

それをあまり脚色しすぎて、荒唐無稽的な物になったものと思います。

偽書を作ったとしても、ものすごい分量ですよね。

今後、十三湖周辺で遺跡が出てこないとも限りません。

読み物としては面白いですよ。

https://youtu.be/UtltCBTUQrQ

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鉄瓶

子供の頃は囲炉裏がありました。

いつも、その周囲には鉄瓶でお湯が沸いていたのを覚えています。

新蕎麦の季節には、鉄瓶のお湯で蕎麦がきを作って食べた想い出があります。

味噌味でした。

南部鉄瓶は、岩手県奥州市ろ盛岡市で作られる鉄瓶です。

明治・大正以降は、南部鉄器で総称されていますが、水沢(奥州市)の南部鉄器と盛岡の南部鉄器の歴史は異なります。

水沢の南部鉄器は、平安後期に、江刺郡豊田館(奥州市江刺区)にいた藤原清衡が近江国(滋賀県)より鋳物師を招いて始めたと語り継がれています。

鋳物師が定住するようになったのは室町時代初期で、江戸初期には地域に鋳物業が定着し、仙台藩の庇護を受け、鉄鍋、鉄釜を中心に、仏具なども生産し、幕末には大砲も鋳造しています。

一方、盛岡の南部鉄器は、慶長年間(1596年-1615年)に、盛岡藩主南部氏が、盛岡城を築城した頃に始まったといわれています。以降、歴代藩主庇護の下、育まれてきました。

南部鉄器は、明治時代に、衰退し、東北本線の開通で盛り返すも、第二次世界大戦、戦後のアルミニウム食器で衰退しました。昭和50年に伝統工芸品に指定されて、現在に至っています。

文様は、大きく分けて、3つあり、アラレ文様、動物文様、植物文様となっています。特に、有名なのが、南部鉄瓶独自の文様として知られているアラレ文様で、鉄瓶の表面積が増すことで保温効果が増すという先人の卓抜は知恵と緻密なデザインは、今も受け継がれています。


火鉢や囲炉裏を使わなくなった現代の生活ですが、鉄瓶で入れたお茶やコーヒーは一味違います。焼酎のお湯割りも一層美味く感じられますよ。

https://youtu.be/Bpf4o5jLOb4

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2018年7月24日 (火)

そば処 こずや

国道4号線の小鳥谷にある「そば処 こずや」。

ここにある小さな食堂。

密かにここのファンです。

麺が美味いですよ。

価格もうれしいです。

思えば、婆ちゃんが作った蕎麦が一番うまかったかもしれません。

https://youtu.be/V9zqj0afZHc

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2018年7月23日 (月)

祖母が好きだった味

子供の頃に祖母から連れて行ってもらった蕎麦店。

一戸駅前の奈良屋です。

そこで食べた蕎麦が美味かったです。

鉄道のまち一戸を見つめてきた食堂「奈良屋」。

時代を感じさせるこの風情があります。

知る人ぞ知る絶妙な配合の二八そばと紹介されています。

一戸で初めて味噌ラーメンを出した店だそうです。

手羽先ラーメンなるものもあるらしい。


https://youtu.be/V9zqj0afZHc

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2018年7月22日 (日)

一戸のトンカツ弁当

友人から問い合わせのあった一戸のトンカツ弁当。

数年前の廃業を知らなかったようです。

個人的にも復活して欲しい味です。

作家の高橋克彦さんも、この弁当の大ファンだったようです。

古い掛け紙も歴史的遺産と思います。

https://youtu.be/mFTkb4AIS38

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2018年7月21日 (土)

中川五郎治

日本で最初に種痘を施した中川五郎治は、陸奥国川内村(旧盛岡藩、現青森県むつ市川内町)で1768年に生まれ、江戸後期の北方系牛痘種痘法の伝来者として知られている。

小針屋佐助の子で、本名は佐七である。

若い頃から蝦夷地に渡り、松前の商家に奉公する。

後に択捉島の会所番人となったが、1807年(文化4年)、ロシア船の同島襲撃の際に捕らえられ、シベリアへ流された。

その時五郎治は40歳であった。

シベリア抑留生活は5年に及んだ。

何度も逃げ出したり、捕らえられたりを繰り返した。

この頃から松前の商人・中川良左衛門と偽名を使う。

日本に幽閉中のディアナ号艦長ヴァーシリー・ゴローニン中佐との捕虜交換のために、文化7年(1810年)カムチャツカに漂着した歓喜丸の水夫らとともに、日本へ送還されることとなる。

1812年(文化9年)に松前に送還されるが、五郎治は、日本の役人の指示によりゴローニンは死んだと伝えるが、これを信じなかったロシア側は通りかかった官船・歓世丸を襲い、高田屋嘉兵衛をカムチャツカへ連行した。

またこの際五郎治は日本の役人に『五郎治申上荒増』を提出している。

松前及び江戸で取調べを受けた後、文政元年(1818年)、手代として松前奉行配下となり、その後松前藩に仕える。

シベリア抑留中にロシア語を読めるようになったことから、ロシア語の種痘書を持ち帰り牛痘種痘術を習得した。

1824年(文政7年)、日本で初めて、田中正右偉門の娘イクに天然痘の予防接種を施したと言われる。

種痘は、種苗を得るのが難しく、シーボルトはじめ日本の数々の名医が試みるが失敗に終わっている。

公式には、日本への種痘導入は、1849年(寛永2年)に楢林宗建がオランダ商船の医官モーニックの協力を得て長崎で成功したとされるが、これに先立つこと25年前に、五郎次は、松前で多くの人々に種痘を施していたのである。

その種痘法は函館の医師である高木啓蔵、白鳥雄蔵によって、秋田、京都に紹介され、福井の笠原良策によって実践されたが、医学界では画期的なことであった。

後に、ロシア語の種痘書は馬場佐十郎が翻訳し「遁花秘訣」、さらに、三河の利光仙庵が「露西亜牛痘全書」として刊行している。

彼の入手した種痘書は幕府の訳官・馬場佐十郎によって文政3年(1820年)に和訳されている。その後種痘の技術は箱館の医師、高木啓蔵、白鳥雄蔵などにより、秋田、さらには京都に伝達され、さらに福井では笠原良策によって実践される。

弘化5年(1848年)9月27日、川に足を滑らせ溺死。享年81。

その没後150年に当たり第99回日本医史学会が函館市で開催されるのを機に碑が建立され、その功績を讃えた。

https://youtu.be/vPDuT0lGUao

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2018年7月20日 (金)

せんべい汁

二戸市内某所。

せんべい汁を漆器で提供しています。

漆器も使い込まれた感が素敵です。

B級グルメで一躍有名になったせんべい汁ですが、いまは豪華な汁に変化していますね。

50年前のせんべい汁を知っている者としては、隔世の感があります。

ぜひ、漆器でせんべい汁を食べてみて下さい。

暑い日が続いてますが、熱い汁を食べて頑張ります。

https://youtu.be/F24AvHWnpmY

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2018年7月19日 (木)

荒谷食堂の冷やし中華

無性に荒谷食堂のラーメンが食べたくなりました。

明日にでも行ってみます。

あっさり系で煮干しだし。

豪華なラーメンよりも、長く食べられます。

夏は冷やし中華がお勧めです。

冷やし中華の隠し味はビックリですよ。

https://youtu.be/OSIuQ2mNEEI

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2018年7月 9日 (月)

ホヤで純米酒

ホヤが美味い季節です。

純米酒の冷やが美味いですね。

今夜はホヤを買ってみたいと思います。

三陸地方でした食べる習慣が無いのですかね。

日本種の肴に最高です。


https://youtu.be/ad9QdR5i0tQ

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古椀をひたすら磨きました

室町の古椀を、ひたすら磨きました。

方法は、軽く水洗いして、乾いた布で拭くだけです。

磨くこと約一年。

素晴らしい椀に育ちましたが、非常に疲れました。

https://youtu.be/kQzhcF6JXiM

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2018年7月 8日 (日)

平泉の財源は漆かも

奥州平泉の金色堂は有名です。

当時の奥州は、産金で知られています。

しかし、絢爛豪華な黄金文化も、実は漆の文化なのです。

そういった意味で、平泉の財力を支えた物には、漆があったのかもしれません。

そのあたりから、日本史を調べると面白そうです。

https://youtu.be/JmTP0cEGKmM

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2018年7月 7日 (土)

山口松山堂

駅弁の 集めて楽し 掛け紙集に 見つけて思う 松山堂


駅弁の掛け紙集めています。

地元の名物駅弁、今は無くなりましたが、当時を思いながら歌を詠みました。

作家の高橋克彦さんは、その名物駅弁を1000個は食べたとも。

何らかの形で復活して欲しいですね。

https://youtu.be/mFTkb4AIS38

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2018年7月 6日 (金)

漆の蘊蓄 #17

近世の初頭期、17世紀の初めころの桃山文化期には漆器のことをジャパン、陶磁器のことをチャイナと呼んだ時期がありました。

現在の欧米ではそのような呼び方はしないようですが、漆の黒い艶と蒔絵の金のコントラストが美しいため、日本の工芸品の代表の一つとして海外の方に広くイメージされた物です。

黒の美しさは、日本人が最も美しく表現できるとも言われています。

これは、日本の漆芸の歴史が古いことを物語っています。


「漆器はアイヌ社会では大変好まれた」という話はよく聞きます。

実際に、多くの漆器がアイヌ社会に残っており、特に古い浄法寺ものは今でも時々北海道で発見されています。

世界的なオークションサイトのebayでも、ロシア共和国から古い浄法寺モノと思われるものが出品されます。

ヨーロッパ社会で漆=ジャパンと呼称された背景は、桃山文化期に輸出された南蛮漆器、鎖国下の長崎交易を通じて行われた漆器の輸出があります。

さらには、近代以降に欧米に大量に流出した文化財、これらを通じて世界に漆器の存在、特にその美を印象づけたのです。

その漆芸に欠かせない基本が漆の樹液の回収の問題です。

現在は、日本国内の年間消費量の約8割以上が中国からの輸入に頼っています。

日本産漆は岩手県二戸市浄法寺周辺で作られているものを中心に2割弱です。

浄法寺漆を中心とした国産漆はどこで使用されているかというと、文化財修理のためにほとんどが使われているようです。

江戸時代の絵図には、鎌で漆掻きしている風景が描かれています。

しかし、今日使われている漆掻き用具は越前衆の道具であり、浄法寺でも現在の技法は越前衆が伝えたと言われています。

つまり江戸時代の道具と越前衆の道具は大きく異なります。

浄法寺でも、江戸期以前はどのような道具で、どのように漆樹液の回収を行っていた
のは、よくわかっていないというのも現実です。

昭和40年頃、農家の納屋で蕎麦包丁のような道具を見た記憶がありますが、もしかしたら漆に関係した道具だったかもしれません。

日本産漆のほとんどを生産している岩手県二戸市浄法寺周辺の漆掻き職人さんたちは20名ほどの、高齢化が進んでいると言われています。

この説は、半分は事実なのですが、漆掻きができる人は100名はくだらないと思います。

それというのも、昭和40年代前半までに生まれた掻き職人が、実は別の仕事の就いているのです。

安定的に漆掻きで収入が得られれば、職人の問題は解決できると思います。

漆掻き用具造りの鍛冶屋は、工房一軒のみでと言われていますが、すでに初心者でも使える道具が開発されています。

ぜひ、世界に誇る日本の漆文化を伝えるために、需要の掘り起こしや漆木の植樹、職人の待遇改善が急務です。

https://youtu.be/M3uueQgN18o

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使い込まれた道具

北福岡駅前(現二戸駅)前の「かくしめ」食堂。

もう一度あそこの蕎麦を食べたいです。

ざる蕎麦は大盛りで食べてました。かしわ蕎麦も好きでした。

蕎麦湯の湯桶も素敵でした

写真の湯桶はどこに行ったんでしょうか。

こんな古い、使い込まれた道具を発掘したいです。

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https://youtu.be/Z9KCM7FhzkA

椀貸し伝説

浄法寺ゴキ畑の天狗伝説


子供のころ、何かの本で読んだか、誰かから聞いた記憶がある伝説。


浄法寺のゴキ畑には、天狗が住んでいて、人々の集まりには椀を貸すというものだ。


その後に、あれこれと調べるうちに、全国各地に「椀貸し」伝説があることを知ってとても新鮮な驚きを感じた。


「ゴキ畑の天狗様にお願いすれば、お椀を貸してもらうことができた。使った後はきれいに洗って返す。ところがある時、悪い人が借りたお椀の一つを返さなかったため、二度と貸してくれなくなった」


ゴキ畑という地名は漢字で書けば「御器畑」である。


江戸期には、椀木地の材料を切り出していたようである。


現在は木工や漆芸を生業にしている人はいない。


民俗学の大家柳田国男は、全国に分布する椀貸し伝説について、山間部を移動しつつ木製品の生産に従事した「木地師」と関係するものとしている。


都市も交通も未発達だった昔、各地の深い山中で木椀などを作っていた木地師たちについての伝承が、天狗の椀貸し伝説になったのかもしれない。


さて、浄法寺の天狗達はどこに行ったのであろうか。


https://youtu.be/M3uueQgN18o

2018年7月 3日 (火)

平泉の財力は漆かも

平泉の財力は、一般的に金だと言われています。

しかし、もしかしたら、漆かもしれません。

日本の金文化は、実は漆文化でもあります。

漆も、大きな財源になったはずです。

歴史のロマンです。

https://youtu.be/JmTP0cEGKmM

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感想(1件)


2018年7月 2日 (月)

四季の里

二戸の蕎麦処です。

南部煎餅の会社「巌手屋(小松製菓)」創業者が「定年のない会社を作りたい」と、1987年に設立した飲食店。

どこかホッとする建物です。


https://www.youtube.com/watch?v=F24AvHWnpmY

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