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2018年8月

2018年8月31日 (金)

今夜の晩酌

今夜は、安い薩摩揚げで晩酌。

菊駒で一杯です。

明治43年創業。

菊作りの名人でもあった四代目三浦久次郎により、昭和初期に菊と五戸名産の馬(駒)を組み合わせた「菊駒」と改めました。

地元に大切にされ、育まれてきた味。現在は7代目が引き継ぎ、「地元に愛されてこその銘酒」の想いで、酒造りをしています。

会社名株式会社菊駒酒造

代表者三浦 弘文

郵便番号039-1554

青森県三戸郡五戸町字川原町12

TEL0178-62-2323

https://youtu.be/vb1Xxgn2jPE


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ずっしりとしたコーヒーミル

手動で挽いた豆で淹れるコーヒー☕。

美味く淹れた時は格別ですね。

道具も選びたいです。

古い道具ほど、手間がかかりますが、その動作も楽しいですね。

こんなことを考えながら現実逃避中。

https://youtu.be/rXDLrSE0Tp0

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ソ連の本

ソ連と言っても言ってもソビエト連邦ではありません。

蕎麦の蘊蓄本です。

何度も読み返しています。

蕎麦屋巡りが楽しくなりますね。

蕎麦と天ぷらで一杯やりたいですね。

https://youtu.be/KExrmtf--So

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2018年8月30日 (木)

出前一丁

漆器で食べて欲しい即席麺です。

食べて見たい気になります。

もちろん味も良いです。

インスタントラーメンでは、二番目に好きです。

https://youtu.be/jNjdUA1avcQ

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ほほえみ工房

昼食は、ほほえみ工房のピザパンにレトルトカレーを!

それに冷蔵庫の残り物。

ミントを煮出した水にシロップをすこし入れてお茶代わりに!

病気してから、食事の好き嫌いが激しくなりました。

ですが、カレーは比較的大丈夫です。


https://youtu.be/rXDLrSE0Tp0

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手引きろくろの椀を発掘

久しぶりに発掘しました。

二ヶ月ぐらい磨いていたら、何となく景色が出てきましたよ。

本当は、毎日使いながら椀を育てられればいいのですがね。

使ってみたいという数奇者はいませんか。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s567772913

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2018年8月29日 (水)

栃木県大田原市は黒羽藩があった土地です。

その家臣に浄法寺某がいます。

法寺 高勝は、黒羽藩の城代家老で俳人。松尾芭蕉の門下で俳号を桃雪と号したようです。

元禄2年(1689年)4月4日、松尾芭蕉と曾良を自邸に招きます。

弟の豊明とともに歓待し、芭蕉は豊明邸を含め足かけ14日間逗留しており、これは奥の細道の中で最も長い滞在だそうです。

黒羽藩の城主は大関氏で、家伝では「武蔵七党のうち、畠山重忠が党にして、武蔵国児玉郡大関村に住せしにより家号とす」というから、陸奥の浄法寺氏とも関連出てきそうです。

https://youtu.be/VA1b9nhRkZQ

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古道具

岩手北部から集めた古い刃物。

その用途が分からず・・。

たぶん漆掻きに関連した道具と予想しています。

数人の古老から聞いてみましたが、用途が解りません。

やっぱり修理には漆を使います。

固まったら、本当にビクともしません。

国内には、1000年以上前に漆で修理した陶磁器が存在します。

現在の最高水準の接着剤が、1000年後にも接着しているという証明まで1000年必要です。

その意味で、世界最高の接着剤は漆と言うことになります。

日本の金箔文化は、漆が無いと成り立ちません。

金閣寺も漆が無いと金箔を貼ることができないのです。

金閣寺が炎上した後、修理でベトナム漆を使ったそうですが、数年で駄目になったそうです。

ベトナム漆が駄目なのではなく、適材適所に使えば問題ないようですね。

金閣寺も国産漆を使ったら、きれいに丈夫に直ったようです。

日本国内で必要としている漆の10%ぐらいしか自給できません。

国産漆を使いたいのだけど、値段と供給量で難しいと聞きます。

国産漆の増産は意外に難しそうです。

日本の技術の伝承の意味でも、ぜひ漆器をお使いください。

https://youtu.be/jfIsX3e9YcE

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銀座カリー

レトルトカレーも美味しいです。

近くの中国人が言っています。

本国のレトルトカレーはまずいと言っています。

食べたことがないので、何ともいえませんが、もしかしたら国内で流通しているかも知れませんね。

次は海軍カレーに挑戦してみたいです。

https://youtu.be/gP3Wq2DRh_E

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2018年8月28日 (火)

南部煎餅 わさびマヨネーズ味

地元の煎餅店がやってくれました。

食べたら やみつきになります。

価格も手ごろ。

名物に認定です。

石橋煎餅店ですよ。

よろしくお願いします。

https://blogs.yahoo.co.jp/michinokumeet

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漆の雑感 

近世の初頭期、17世紀の初めころの桃山文化期といわれる時期には漆器のことをジャパン、陶磁器のことをチャイナと呼ばれた時期がありました。

現在の欧米ではそのような呼び方はしないようです。

これは、日本の漆の歴史が古いことを物語っています。

さらに漆の黒い艶と蒔絵の金のコントラストが美しいため、日本の工芸品の代表の一つとして海外の方に広くイメージされた物です。

黒の美しさは、日本人が最も美しく表現できるとも言われています。

「漆器はアイヌ社会では大変好まれた」という話はよく聞きます。

実際に、多くの漆器がアイヌ社会に残っており、特に古い浄法寺ものは今でも時々北海道で発見されています。

世界的なオークションサイトのebayでも、ロシア共和国から古い浄法寺モノと思われるものが出品されます。

中・近世において、日本の漆、漆器を異文化社会がどのように受け入れたかと言う研究もあるようで、その報告が興味あります。

ヨーロッパ社会で漆=ジャパンと呼称された背景は、桃山文化期に輸出された南蛮漆器、鎖国下の長崎交易を通じて行われた漆器の輸出があります。

さらには、近代以降に欧米に大量に流出した文化財、これらを通じて世界に漆器の存在、特にその美を印象づけたのです。

その漆芸に欠かせない基本が漆の樹液の回収の問題です。

現在は、日本国内の年間消費量の約8割以上が中国からの輸入に頼っています。

日本産漆は岩手県二戸市浄法寺周辺で作られているものを中心に2割弱です。

浄法寺漆を中心とした国産漆はどこで使用されているかというと、文化財修理のためにほとんどが使われているようです。

江戸時代の絵図には、鎌で漆掻きしている風景が描かれています。

しかし、今日使われている漆掻き用具は越前衆の道具であり、浄法寺でも現在の技法は越前衆が伝えたと言われています。

つまり江戸時代の道具と越前衆の道具は大きく異なります。

浄法寺でも、江戸期以前はどのような道具で、どのように漆樹液の回収を行っていた
のは、よくわかっていないというのも現実です。

昭和40年頃、農家の納屋で蕎麦包丁のような道具を見た記憶がありますが、もしかしたら漆に関係した道具だったかもしれません。

日本産漆のほとんどを生産している岩手県二戸市浄法寺周辺の漆掻き職人さんたちは20名ほどの、高齢化が進んでいると言われています。

この説は、半分は事実なのですが、漆掻きができる人は100名はくだらないと思います。

それというのも、昭和40年代前半までに生まれた掻き職人が、実は別の仕事の就いているのです。

安定的に漆掻きで収入が得られれば、職人の問題は解決できると思います。

漆掻き用具造りの鍛冶屋は、工房一軒のみでと言われていますが、すでに初心者でも使える道具が開発されています。

ぜひ、世界に誇る日本の漆文化を伝えるために、需要の掘り起こしや漆木の植樹、職人の待遇改善が急務です。

https://youtu.be/1jzBnrYdCZA

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2018年8月27日 (月)

修行僧の使った四ツ椀

三戸地方の修験道場。

名久井岳の麓の修行僧が使っていたと思われる椀です。

100年は経過していると思われます。

形、椀の収まり、塗りとも申し分ないものです。

補修がありますが、このままで使えます。

塗り直せばとも考えますが、個人的にはこのままでも良いと思ってます。


https://youtu.be/gP3Wq2DRh_E


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松沢漆藝 葆光庵

知り合いが花巻マルカンビル1階に出店しています。

小さなコーナーですがわんこきょうだいグッズなど取り揃えています。

漆を植えよう手拭いが気に入っています。

松沢漆藝 葆光庵です。

https://youtu.be/0002H_AuBQ0

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末の松山と浪打峠

末の松山と浪打峠
 
二戸市と一戸町の境にある末の松山に登る道は、かつては人馬の往来も多く道幅も広かったそうです。

また山頂に登ると岩手山や姫神山が望まれ、雄大な風景がひらけています。

古くから歌に詠まれる名所として知られ、三十六歌仙の一人清原元輔が詠んだ歌は有名です。

「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 なみこさじとは」

後拾遺和歌集の歌は有名ですね。

「末の松山」を詠んだ歌は、古今和歌集の他、拾遺和歌集や千載和歌集などに数多く撰ばれている。
 
しかし、かつては海底だったことを物語る交差層を見ていると、海の気配が感じられ風景全体が波打っている。別名を浪打峠と称ばれる。
 
明治9年7月10日朝、明治天皇東北御巡幸の際にここで休まれたと記録に残っています。
 
「後撰和歌集」 
「わが袖はなにたつすゑの松山かそらより浪のこえぬ日はなし」

「拾遺和歌集」
「浦ちかくふりくる雪はしら浪の末の松山こすかとぞ見る」

「金葉和歌集」
「いかにせんすゑの松山なみこさばみねのはつゆききえもこそすれ」

「千載和歌集」
「あきかぜは浪とともにやこえぬらんまだきすずしきすゑの松山」

「新古今和歌集」
「霞たつすゑの松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空」

「能因集」
「すゑのまつ山にて白浪のこすかとのみそきこえける末の松山まつ風の声」

「後鳥羽院御集」 
「 見わたせば浪こす山のすゑの松木すゑにやとる冬の夜の月」


末の松山は、一般的には多賀城周辺とされていますが、二戸地方の説も根強くあります。

二戸地方の末の松山は、現在では通る人はほとんどありませんが、和歌でも詠みながら歩いてみたいと思うこの頃です。

https://youtu.be/MhuKyKNJgdA

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時代椀 

漆の里として知られる岩手県二戸市浄法寺町周辺で使われていた椀です。

明治期と思われる坪椀を塗り直しました。

時代を経た木地は抜群の安定性があります。

100年後に伝えて頂ければ幸いです。

大きさは径12cm、高さ5cmぐらいです。

ぜひお使い下さい。


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2018年8月26日 (日)

天台寺

天台寺。

宗派そのものを名乗る寺院は珍しい。

他にはあるのだろうか。

天台寺は岩手県二戸市浄法寺町にある。

平成18年の市町合併前は岩手県二戸郡浄法寺町であった。

旧鹿角街道、県道6号から安比川を渡り山道を登ること5分で桂の大木と冷たい清水に到る。

霊山と呼ぶにふさわしい雰囲気が漂う。

ここから先の参道を登る。

急坂の参道は仁王門に向かってまっすぐに伸びている。

昭和20年代までは「参道の両側に直径2メートル前後の杉の大木が立ち並び、昼でも電灯がほしいと思った」と古老は語るのであった。

昭和28年から行われた「霊木伐採事件」により往事の面影は失われたが、昭和50年頃からの復興運動により少しずつではあるがかつての偉容を取り戻しつつある。

昭和45年に天台寺を訪れた北海道宗教古美術研究会代表の森川不覚氏は、機関誌に荒れた様子を投稿している。

「無残な寺の姿に腰が抜けそうになった。切株の年輪を数えたら比叡山や高野山と同じ年輪の杉の大木あったとわかり、残念さがこみ上げ、伐採した心ない人への怒りを覚えた」

仁王門の左右に立つ仁王像も痛々しい。

鼻や指が欠け、胸と膝には激しい斧の刃跡。腕と足首は鎹で接ぎ合わさっている。

明治3年12月に青森県の官吏が廃仏毀釈政策を実行した際の破壊の痕跡だ。
この時期に大部分の仏像は破壊されたと伝わる。

この当時、二戸地域は青森県に属し岩手県への編入は明治9年まで待たねばならない。

この仁王像は運慶作と伝えられる。

その真意はともかく、こうした文化財が失われなければならなかったことが残念である。

仁王は病気を治すと信じられ、患部と同じところに白い紙が貼られている。

長年続く庶民信仰である。
 
仁王門を抜けると本堂にたどり着く。

「本堂を中心に寺はうっそうと茂る杉はやしの中にあり、昼でも本堂は日光を遮られてぼんやりとしか見えなかった」とかつての威容を知る人々は語るのであった。

天台寺には長慶天皇に関する伝承も残されている。

古くから「おやまさかり」として親しまれてきた天台寺のお祭りは、桜が満開の5月に春の大祭が、稲刈りが終わる10月に秋の大祭が行われます。

例大祭の呼び物の「神輿渡御」は長慶天皇の葬列を模したものといわれ、三角の紙を頭に着けた男たちの神輿行列が歩く。

独特の厳かな雰囲気が漂うこの葬列は、吉野を追われ海路みちのくへ逃れ天台寺で没した南朝時代の3代長慶天皇の法要と伝わる。

にぎやかなかけ声もなく、静かな太鼓の音とともに境内を三度回りものである。

仏像マニアにも知られているようだ。

木造十一面観音立像、木造聖観音立像(桂泉観世音) -像表面の大部分に規則的なノミ痕を残して荒彫り風に仕上げた、いわゆる「鉈彫」の典型的作品で、平安時代、11世紀頃の作と推定される。

知り合いの仏像マニアに言わせると、松島の瑞巌寺、平泉の中尊寺と毛越寺、山寺こと立石寺、そしてこの天台寺が東北の名刹だそうだ。

しかし、天台寺の知名度は低いのだ。

境内で骨董品でも商いながら、お茶や蕎麦を提供しながら、天台寺研究ができたら面白いだろうな。

https://youtu.be/5QbPi9_Y3EQ

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こぶくら 秀衡文様

30年ぐらい前に盛岡の旧家から譲られた小椀です。

5個ありました。

こぶくらとして使っていたようです。

こぶくらとは濁酒を呑む器です。

ちょっと大きいような気がしますが、確かに箔がなければ酒器でも良いですかね。

大事にされたのが災いして、口縁の漆が剥がれています。

ちなみに、享保年間に作られたようですので、180年ぐらい前ですかね。

どのように補修するか思案中です。

https://youtu.be/DcYu5NOc4UA

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かくしめ食道

今でも思い出すのが「かくしめ食道」です。

廃業してから10年ぐらいですかね。

ここで古式浄法寺椀を使って頂いてました。

使っていた椀はどうなったのでしょうか。

すこし興味があります。

https://youtu.be/V9zqj0afZHc

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携帯用の巾着付き 

漆塗りの酒器と巾着セットです。

酒器の大きさは直径6cm、高さ4.5cmぐらいです。

木地が会津産、漆は浄法寺です。

巾着は14.5cm*11.5cmです。

粋に自分の酒器を持ち歩いて、お気に入りの酒場でお気に入りの酒をいただいてください。

海外でも意外に人気です。現地ではエスプレッソなどに使われているようです。

ヤフオク出品中です。

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2018年8月25日 (土)

ワンカップと言えば「大関」

大関株式会社は創業300年を越える歴史ある酒造メーカーです。

その歴史は灘酒造業の発展とともに始まりました。

江戸時代、江戸や大坂が発展を遂げると、灘では「江戸積酒造業」と呼ばれる江戸向けの酒が盛んに造られるようになったそうです。

大関の発祥は、灘の今津村の大坂屋長兵衛で、廻船を所持し、干鰯商などを営んでいたのが大坂屋です。

早くから米や薪、材木、魚などを諸国に上下する廻船業が活発だった今津一帯は、酒造業の発展とともにさらに発展していくのだが、大坂屋も「万両」という銘柄の酒を造り、幕末にかけて拡張を遂げていくのでした。

下り酒とは、江戸時代に上方で生産され、江戸へ運ばれ消費された酒のことです。

上方で生産され、大消費地江戸へ輸送され消費されるものを総じて下りものというが、下り酒も下りものの典型的な商品でした。

上方、とくに摂泉十二郷(せっせんじゅうにごう)で造られる酒は味も品質も良く、江戸でも評判だったからです。

上級酒である諸白はさらに好まれ、下り諸白(くだりもろはく)といって高値で取引されたそうです。


大坂屋では明治17(1848)年、「万両」に代えて「大関」を主要銘柄として登録しました。

これは、「大関」が「大出来」に通じ、さらに「覇者」を意味することから、酒造業界の「大関」としての地位を築こうという決意も込められていたと言います。

明治の相撲人気にあやかって命名したとも言われ、優勝力士に副賞として「大関」が贈られたという記録もあるそうです。

昭和10年には株式会社となり、東京も進出しましたが、大東亜戦争によって、昭和20(1945)年には空襲を受けて工場はほとんど焼失してしまいました。

昭和24(1949)年には東京支店を再開し、昭和27(1952)年に開かれた戦後初の全国新酒鑑評会で優等賞を受賞しています。

社名を「大関酒造株式会社」に改めたのは昭和37(1962)年のことです。

「ワンカップ大関」は、昭和39(1964)年に誕生しました。

自販機の普及、レジャーブームの到来などによって販売が好転します。

カップもコレクションの対象となり、「大関」といえばワンカップと言われるほどの主力商品となっています。田宮次郎出演のコマーシャルも良かったですね。

現在の社名「大関株式会社」となったのは平成3(1991)年4月です。

現在、大関では兵庫県西宮市の本社にある「寿蔵」、「恒和蔵」、そして本社から45㎞ほど離れた丹波篠山にある「丹波蔵」の三つの蔵で酒造りを行っています。

なお、「ワンカップ」「ワンカップ大関」は同社の登録商標(それぞれ第1394471号ほか、第1406154号ほか)だそうです。

「いつでも、どこでも飲める」をキャッチフレーズに、手軽さ、利便さで今でも人気の商品です。

他社でも同じような商品を投入し、各地の美味しい酒を楽しむことができます。

日本に生まれて幸せです。

https://youtu.be/jNjdUA1avcQ

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堂々とした風格の浄法寺椀

コレクションを放出です。

堂々とした風格の浄法寺椀です。

伝統的な形状です。撮影のために開封しました。

長年使っているうちに、漆独特の光沢が出てくることでしょう。

送料は全国一律700円です。

大きさは直径12cm、高さ8cmです。

各地の漆器店で1万円以上の品物です。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j470195071

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二戸市浄法寺町 桂泉 カレー

浄法寺で30年以上続く桂泉。

カツカレーが美味いです。

個人的にはもう少し辛くても良いです。

デザートも良いですよ。

特に揚げたてのカツは最高です。

https://youtu.be/rXDLrSE0Tp0

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櫛引河内守清長

九戸政実と九戸城に籠もった櫛引河内守清長と弟左馬助清政は櫛引城の城主でした。

櫛引城の築城年間は不明。

櫛引氏は初め根城南部氏に仕えていたが、三戸南部氏13代守行の頃には三戸南部氏を主と仰いでいた。

永禄十年(1567年)、櫛引氏が八戸政栄の留守中にその所領を侵略し、近隣に放火したため、元亀二年(1571年)、八戸氏の軍勢によって櫛引城は攻撃を受けた。

東政勝が櫛引氏を支援したものの、櫛引勢は降伏した。

櫛引氏の本拠地には、南部一宮と言われる櫛引八幡宮がある。

櫛引八幡宮の前名は、四戸八幡と称していた記録がある委。

三戸南部家24代晴政書状によれば、櫛引氏が剣吉に出動することを「四戸殿は戸内に馬を出す」などと書いている。

九戸と同じく、晴政派の武将だったのだ。

と言うことは、三戸と五戸の中間に位置する浅水(五戸町)、剣吉・名久井(名川町)、苫米地、さらに東に伸びて櫛引・中野・島守・大森を含む、馬淵川下流域と浅水川流域は、四戸であったと想像される。

櫛引氏は、四戸氏の有力は一族であったのでしょう。

四戸一族からは、櫛引、中野、武田、金田一、足沢などの諸氏が出ました。

このなかでは櫛引氏が優勢で、南部信直方の八戸南部氏に対抗したと伝わります。

天正十九年(1591年)に起きた九戸政実の乱に際し、当主櫛引河内守清長と弟左馬助清政は九戸政実方に加担した。

浅水城・苫米地城・根城・是川館の諸城館を攻撃したあとに九戸城に入城するが、羽柴秀吉の率いる奥州再仕置軍との戦いで、櫛引清長は戦死した。

櫛引清政は九戸政実と共に降伏し、三迫松尾村(栗原市)で斬首されて櫛引氏は滅亡した。櫛引城もまた根城南部氏の攻撃を受けて敗れ去った。

天正二十年(1592年)の「諸城破却書上」には、「櫛引 平城 破 代官 桜庭 将監」とあり破却された。

https://youtu.be/R_GVVb8fIzc




2018年8月24日 (金)

南部美人

岩手県二戸市にある蔵元南部美人は、地元岩手県産の酒米(「吟ぎんが」「ぎんおとめ」など)を中心に使っています。

こうした地産を重視した高品質な酒造り、輸出や海外コンテストへの出品のほか、南部杜氏が酒造りのノウハウ(酒米の種類や精米歩合、気温に合わせた吸水時間の決定など)を人工知能(AI)に学ばせて継承するといった新しい取り組みを行っています。

5代目蔵元である久慈浩介氏が、酒造りのかたわら、PR・プロモーション、海外市場開拓など渉外活動に熱心に取り組んだ結果、岩手の清酒でも知名度の高い銘柄の一つとなりました。

南部美人は、日本航空のファーストクラスやエティハド航空とエミレーツ航空の機内酒として採用されています。

東日本大震災の際は、花見自粛ムードがある中、同じ東北地方のいくつかの蔵元とハナサケ!ニッポン!の共同サイトを立ち上げ、YouTubeに、過度の消費自粛による東北地方の経済的二次被害の惨状を訴える動画を投稿しました。

南部美人の代表銘柄を紹介します。

大吟醸 大吟醸初ぼしり
大吟醸 限定大吟醸 生
大吟醸 純米大吟醸
大吟醸 大吟醸純米仕込
大吟醸
純米吟醸 ひやおろし生詰原酒―無濾過
純米吟醸 生
純米吟醸 吟ぎんが
純米吟醸
特別純米酒
特別純米酒 夏のにごり酒(7月販売)
吟醸酒 吟醸しぼりたて生原酒
本醸造
本醸造 辛口
本醸造 本生酒
本醸造 生貯蔵
創業は明治35年です。

酒銘は「南部美人のごとく美しい酒」をイメージしてつけられました。

従業員からは、「酒が好き!酒造りが好き!」というオーラが全身からほとばしっています。

「自分が好きな酒、うまいと思う酒だけを造る。最もゆるせないのは、この世にまずい酒が存在すること。人の輪が、良い酒を醸す。だから本当に好きな酒を、みんなで力を合わせて、明るく楽しく元気良く造るのがモットーです。」

もちろん酒質レベルは高く、岩手県で最も多く、全国新酒鑑評会で金賞を受賞しています。

久慈のホヤでいただく南部美人は最高です。


ホームページURL
http://www.nanbubijin.co.jp/

住所
岩手県二戸市福岡上町13

電話
0195-23-3133

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二戸市浄法寺町 石橋煎餅

地元石橋煎餅店の黒糖煎餅です。

パッケージのデザインも良いですね。

価格も手ごろです。

お土産にもちょうど良い大きさです。

味も!

ぜひ関東方面でも売って欲しいですね。

二戸応援の意味でご利用下さい。

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2018年8月23日 (木)

箕をつくるむら

面岸というむらがある。

現在は88戸、明治の中頃には32戸だったという。享和三年ごろの村には30戸、人口80余人と南部叢書に書かれている。同書に、「木皮をもって箕を造る。世を挙げてこれを面岸の箕という。所謂この地の名産となすとある。

この村は、東北本線の小鳥谷駅から姉帯までバスで行き、あとは山道を歩かなければならない。南部叢書には「山中の面岸村、上り坂なり、嶺上は八戸境西南の間冬部野道なり、大豆食坂左右は連山にして、雪中は行路絶ゆ」と記してある。

十年ほど前に自衛隊の手によって車が通れるようになったが、それ以前までは享和そのままの道であったに違いない。古老のいうところによると、昔は全戸が箕をつくっていたという。現在は17戸ほどに減った。この村に住んでいる男たちは、十五才になると箕を造り始め、ふつうは一日一枚、まれに二枚造るものもあった。一年で300枚造った人もいる。

箕をつくる材料はサルナシである。これを伐り取って大きな共同の釜で蒸して使う。できあがったものは、飴色の見事なものである。この村の男たちは、この箕つくり技術を身につけて、代々伝承して生涯箕をつくる。箕を売りに出るのは、一般の農家が必要とする七月頃からと、盆と正月とである。十枚くらい担いで近所の町や村の市日の日を選んで出かける。しかし販路は広く、県内はもちろんのこと鹿角や三戸・八戸など旧南部領全域にわたる広大なものであった。

昭和の初めころにこの村の古老が唐箕というものを見てその便利さに驚いた。そして、村で二台買い求めて、上部落と下部落に置いて共同で使うことにした。この便利な唐箕によって、自分達のつくっている箕の売れ行きがわるくなることを恐れたが、影響が亡かったので、大いに安心したという。

面岸部落は親戚縁者で成り立っていた。嫁が実家に泊まりに行くときも、帰って来たときも、一言も挨拶をしないことがあたりまえであった。嫁の姿が見えなくなると、「実家に泊まりに行ったろう」というのがしきたりのようであった。

男は年中箕をつくっているので、百姓仕事は女手によらなければならない。だから女たちは「オナゴとベゴは働いていればいい」といわれている。婚姻圏がこの村に限られるというのは、箕を作りの技法が他に洩れることを極度に警戒したためといわれている。そんなことから、他の社会との交流が全くないため、近隣の村からは「面岸のマス」と軽蔑されていた。

面岸には小さな流れに沿って細々とした帯状の水田がある。それに畑がある。が、これらによっては生活ができなくなって、みんな出稼ぎということになった。十年ほど前に、他の村に嫁いだ娘がいる。この村はじまって以来の伝統が破られたのであった。

https://youtu.be/qyQcpn8Y4SY

角カコべ(腰籠) 大【山菜屋 次郎長さん】

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のへりん

金田一温泉駅前にある藤萬菓子店。

「のへりん」という不思議な名前のお菓子があります。

由来は「にのへのりんご」からのようです。

りんごの形で可愛らしいですよね。

米粉の皮で包まれているのはりんご餡で、食べてみると和菓子のような洋菓子のような不思議な食感。

甘酸っぱいりんご餡が美味しいんですよ。

https://blogs.yahoo.co.jp/michinoku2005

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[岩手土産] ミニかもめの玉子 6箱 <直送品/代引き決済不可> (岩手 土産 お土産 みやげ おみやげ 和菓子 饅頭 日本 国内土産)

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法輪寺

法輪寺は京都市西京区の嵐山の中腹に建つ有名なお寺です。

多宝塔でも知られていますね。

法輪寺の本尊として祀られているのは虚空蔵菩薩です。

虚空蔵菩薩は知恵を授けてくれることで知られています。

そして、漆文化の発展にも深い関係があります。

漆の歴史は古く、平安時代以前までさかのぼります。

文徳天皇の第一皇子の惟喬親王が法輪寺に参籠した時、本尊の虚空蔵菩薩より、うるしの製法と漆塗りの技法を伝授され完成したそうです。

轆轤の原理を発見したのが惟喬親王とも伝わっています。

近江国蛭谷で隠棲していた小野宮惟喬親王が、住民に木工技術を伝えたのが木地師のはじまりであるとも伝わっています。

これによって惟喬親王は木地師の祖と呼ばれ、同地の大皇器地祖神社で祀られているそうです。

そして、漆芸を日本国中に広めました。

惟喬親王の参籠満願の日が11月13日だと言われていることから、漆業関係者は、この日を「うるしの日」と定め、毎年、漆業の発展を祈願しています。

参籠満願の日とは、神社や仏堂などへ参り、一定の期間昼も夜もそこに引き籠って神仏に祈願することです。

古来、祭りに神を迎える際には一定の場所に忌み籠って身心を慎む聖別の過程があるが、参籠はこの籠りの儀礼がとくに個人的な祈願形式となって平安朝以来発達したものです。

法輪寺境内には、日本精漆工業協同組合と全国漆業連合会が建立した「うるしの碑」が置かれています。

建立されたのは昭和63年11月13日ですので、うるしの日に建立していることになります。。

11月に法輪寺に参拝すると、参道や境内に「うるしの日」と書かれた赤色の幟が何本も立っています。

うるしの日には、漆業界の方々がたくさん参加される「うるし祭り」が催されます。

仕事の技術の上達と業界の発展を祈願した後、狂言の奉納が行われます。

平安時代からの長い歴史を持つ法輪寺ですが、過去には室町時代の応仁の乱や幕末の蛤御門の変によって焼失しています。

その都度再興され、現在も法輪寺は嵐山の中腹に建っていますが、法輪寺が再建されなければ、「うるしの碑」がこの地に建立されなかった事でしょう。

ちなみに法輪寺は漆寺(うるしでら)とも呼ばれています。

また、法輪寺には電電宮社が祀られています。

雷電神社は電気と電話の神様を祀るそうです。

日本の神様は八百万どころか、益々増えて一億の神になるかもすれません。

https://youtu.be/wSdkAMoaoaw

Urushimatsuri



ボンカレー

本当に久しぶりに大塚のボンカレーを食べました。

箱のデザインが懐かしいです。

この看板、かつては町のあっちこっちで見かけましたね。

今ではコレクターズアイテムになっています。

程度の良い看板を、可能であれば1枚は残したいです。

ヤフオクで見たら、ビックリするほど高額でした。

https://youtu.be/Vl3ynHbG7WU

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【在庫あり/即出荷可】【新品】まんだらけZENBU55 戦前・戦後カルピス琺瑯看板 (全1巻)

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心惹かれる漆器に川連があります

心惹かれる漆器に川連があります。

古い技法が残っている地域でもあります。

鎌倉時代(1193年)、源頼朝の家人で稲庭城主の小野寺重道の弟、道矩公が、家臣に鞘、弓、鎧などの武具に漆を塗らせたのが始まりとされています。

本格的に漆器産業が始まったのは17世紀中頃、元和(1615年)から元禄にかけてであり、川連村を中心におよそ26戸が椀師業を営んだと伝わります。

名前は忘れましたが、古い天台寺院があり、それとの関連で漆器産業が発達したという記事を読んだ記憶もあります。

文化12年(1815年)、藩の許可を得て朱塗りの漆器をつくり販路を他国にひらき、江戸時代後期には藩の保護政策で発展します。

椀、膳、重箱など幅広い漆器がつくられるようになり、沈金、蒔絵などの飾りが加わって、産業基盤をさらに大きく築きました。

近年は新製品開発など、販路の拡大によって多種企業との連携で全国展開を試みています。

個人的には、秀衡椀の産地だった可能性があると考えています。

https://youtu.be/GUQL6HBFza0

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秋田の銘酒 秀よし 吟醸酒 1.8L

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2018年8月22日 (水)

メルカリで“偽装酒”販売 空き瓶も数万円で高額取引のナゾ

やっぱり実行する人がいました。

niftyニュースからの転載です。

メルカリで“偽装酒”販売 空き瓶も数万円で高額取引のナゾ

2018年08月22日 15時03分 日刊ゲンダイDIGITAL

メルカリで“偽装酒”販売 空き瓶も数万円で高額取引のナゾ

本物はともかく…(メルカリのHPから)

サントリーのブランドウイスキー「響30年」の偽物を販売したとして、詐欺と商標法違反の疑いで、いずれも東京都の古物店店員の根本武明と笹川裕の両容疑者が21日、三重県警に逮捕された。販売された偽装酒は箱と瓶は本物だが、中身は詰め替えられたものだった。

2人はどこからか「響30年」の本物の瓶と箱を入手。安酒を入れて栓をし、新品未開封のように偽物をつくりあげた。

これをフリマアプリ「メルカリ」を利用して、仙台市の男性会社員に「サントリーウイスキー響30年」と称して、4回に分けて計5本販売。合計で代金99万円をだまし取った。「響30年」の定価は、1本12万5000円だ。

それにしても逮捕された2人は、果たしてどこから本物の箱と瓶を入手したのか。

実は偽装酒が販売されたメルカリで、1本数万円の高級酒ならぬ“高級空き瓶”が高値で取引されているのだ。

21日現在確認しただけでも、「山崎25年 空き瓶 旧ボトル」が11万5000円で、「マッカラン1949空き瓶」が22万円で売られていた。有名ブランドの高級酒を中心に、1万円以上の空き瓶が約150点も出品されていた。その半分ほどが既に売り切れていた。


ITジャーナリストの井上トシユキ氏はこう言う。

「実物を確認できないため、ネットでの通販やオークションを利用した人が偽装酒を掴まされるトラブルは多いです。空き瓶が出品されているのはコレクター向けの場合もありますが、偽装酒づくりに利用されている可能性もあります」

メルカリに高級空き瓶について問い合わせたが、締め切りまでに返答はなかった。ネットでお酒を購入する際は注意が必要なようだ。

https://blogs.yahoo.co.jp/michinoku2005


栗羊羹

高級品の岩谷堂羊羹。

包み紙も素敵です。

紙ものコレクターとしては、当然収集品に加えました。

捨てる包み紙がありましたなら、ぜひご連絡を!


https://youtu.be/NZ4MkQWXyWk

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近江の君ヶ畑系の木地挽

郷土史研究家の田中庄一氏によれば、戦国時代に近江の君ヶ畑系の木地挽きが浄法寺に来住し、浄法寺氏に仕えて多彩な椀を作った。

しかし、慶長3年(1803)には浄法寺氏は南部利直によって取りつぶされ、領地没収となったのだが、浄法寺湾の製作は中断しなかった。

南部氏が盛岡に築城してから幕末までの約300年間、椀作りを浄法寺通りに命じていたという。

浄法寺椀の原木には、ケヤキ・ホオ・トチ・ヤマグワ・ハン。ブナ・ヒノキなどが用いられた。

東北本線の好摩駅から花輪線に乗り換えると、七番目の駅が赤坂田である。

ここで南部藩御用の椀木地が作られた。

さらに二つ目の駅が荒屋新町で、ここから福岡町まで安比側沿いに鹿角街道続いており、浅沢は昔から椀の産地として知られていた。

さらに北西に進むと浄法寺町に出るのだが、このあたりはかつて浄法寺通りと呼ばれ、ここから産する箔椀(薄椀)は御留物(御禁制)として他領への流出をきびしく差し止められていた。

たとえば正保二年(1624)六月二十日付の文書に、箔椀とその木地は、先年から御留物になっているから、もしわき道をかくれ通って他領に持ち出そうする者があった時、その者をとらえて差し出せば褒美を下さるであろう、という通達が残されている。

したがってこれは、十七世紀中頃以前から浄法寺箔椀の評判が他領でも高く、ひそかに持ち出される場合が多かったという証拠になるであろう。

秀衡椀の産地については諸説があり、まだ明らかにされていないようであるが、秀衡椀とは古い時代に浄法寺通りで産した椀のことであり、古式箔椀とも呼ばれていると、田中氏は述べている。

また、浄法寺椀といわれているものには二通りあり、一つは江戸時代初期の古文書に出てくる三ツ椀、四ツ椀である。
これらは三ツ重ね椀、四ツ重ね椀ともいわれ、ゴキと呼ばれた庶民用の塗り物であった。

他の一つは、箔椀と称されたもので、南部家の定紋が入っており、浄法寺通りから盛岡城へ献上される以外は、製作、使用、販売は一切許されぬ禁制品であっったという。

(平成2年5月発行「目の眼」5月号より引用)

https://youtu.be/pZA8WUR6SNg

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和算の本

岩手県二戸地方の寺社に保管されていたモノです。

文久年間の和本です。

内容は解りませんが和算関係の物と思います。

倉庫整理で捨てられる直前に救い出しました。

捨てる前にぜひお知らせください。


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http://airinjuku.blog.fc2.com/

2018年8月21日 (火)

九戸政実の客将大里修理親基

九戸政実の客将大里修理親基は、武蔵七党丹党安保実光の子孫と言われている。

武蔵七党とは、畠山重忠にも縁があったはずで、鹿角にも近い浄法寺とも深い繋がりがありそうだ。

大里修理親里を祖とする鹿角安保氏の惣領である。

陸奥国鹿角郡大里村(現 秋田県鹿角市八幡平)の在名により氏とした。

鎌倉期に郡内地頭職に任命され、鹿角安保氏の惣領は大里村を領した大里上総、次男が花輪村を領した花輪次郎、三男が柴内村を領した柴内弥次郎と言われる。

彼らは「安保三人衆」とも呼ばれた。

安保氏が成田氏と同族関係にあって、安保氏が成田氏を名乗り、南北朝期には大里に拠った成田小二郎左衛門尉頼時と六郎奉時が南朝方であり、北畠顕家の下で頼時は鹿角の国代に任ぜられた。

建武4年(1337年)津軽の曾我貞光が足利尊氏に呼応して戦端を開くと、成田奉次は南部師行らとともにこれを破った。

永禄元年(1558年)鹿角侵入を図った檜山の安東愛季に一族の応じ、大里備中が呼応して長牛城を攻撃したために、鹿角は一時安東方の占有するとこになった。

しかし、同11年(1569年)、南部信直の出陣によって秋田勢は敗れ鹿角から撤退した。

その後、大里氏は旧領を回復し、戦国後期には他の鹿角郡の領主と同様に南部勢力下にあったと思われる。

大里修理親基は、三戸の信直と終始反目し、天正19年(1591年)、九戸政実の乱において同郷の大湯四郎左衛門昌次と共に九戸氏側に加わった。

戦いでは中心的役割を果たしたとして九戸城降伏の際、政実ら主だった首謀者達として集められ、栗原郡三迫(宮城県栗原市)で処刑された。

https://youtu.be/VrxfQJSVPgk

御山ゴキ 四ッ椀塗り直し

江戸期の御山ゴキの四ッ椀です。

塗り直したら新品同様になりました。

というか新品です。

京都の茶道の先生に嫁ぎました。

塗り直し用の四ッ椀を何個か在庫しています。

ぜひお使いいただければと思います。

お問い合わせ歓迎!

https://blogs.yahoo.co.jp/michinoku2005

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ワンカップ 菊の司

昭和に時代に較べて日本酒が確実に美味くなっています。

まず、ベタベタしません。

酒造会社祖知り合いから聴くと、水飴で薄めなくなっているそうです。

きちんと作れば、日本酒も悪酔いしません。

海外で人気なのも納得です。


初代 平井六右衛門が伊勢松坂から移り住み、元和年間(1615年頃)現紫波町日詰で御宿を開業
6代目が安永年間(1772年)に酒造業を始める。

明治初期に盛岡油町に支店を開設

大正末期に現在地に移転、昭和4年に平六商店株式会社を設立

太平洋戦争中、盛岡酒造に統合

昭和29年に盛岡酒造から分離独立

昭和30年に酒造再開
小野寺酒造店(現八幡平市)や平長酒造店(紫波町)などと合併

昭和43年に菊の司酒造株式会社に社名変更

昭和50年、「七福神」を醸造する箱庄酒造店(現花巻市石鳥谷町)と合併

平成14年、平井 滋(15代六右衛門)が社長就任、現在に至る

https://youtu.be/GUQL6HBFza0

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菊の司 純米酒吟ぎんが仕込 720ml

価格:1,512円
(2018/8/19 10:58時点)
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2018年8月20日 (月)

三陸・大船渡から  

<縮む浜>三陸・大船渡から  

老舗の倒産/原料不足 魚価高に苦慮



8/19(日) 9:00配信  河北新報



東日本大震災からの復興を目指す三陸の浜が、深刻な漁業不振にあえいでいる。主力魚種の記録的不漁に貝毒禍が養殖漁業を襲う。活気が失われていく浜で今、何が起きているのか。東北有数の水産基地・大船渡から報告する。(大船渡支局・坂井直人)



地域経済をけん引してきた老舗企業の、まさかの倒産だった。



創業の地大船渡市に今も主力工場を構える水産加工「太洋産業」が7月、東京地裁に民事再生法の適用を申請した。



加工用サンマの記録的不漁が響いたという。東京商工リサーチ盛岡支店によると負債総額は約49億円。岩手県の水産業者の倒産では過去最大規模だ。



当面は操業や雇用が維持され、連鎖倒産は回避される見通し。影響は最小限にとどまりそうだが「震災からの復興に向かう中、非常に暗いイメージになる」と斉藤俊明大船渡商工会議所会頭の表情はさえない。



市魚市場の総水揚げ量と1キロ当たりの平均単価の推移はグラフの通り。2017年度も3万7604トンと低迷する一方、単価は16年度の158円から186円に上昇。原料不足と魚価高が浜の加工業者を苦しめる。



水産庁によると、岩手の水産加工業が挙げた震災復興の課題は「原料確保」が13年度の13%から17年度は31%に跳ね上がり、「販路確保・風評被害」(15%)を上回った。



人件費などの経費増に、震災前の債務や新たな借金がのし掛かり「どこも、明日はわが身だ」(大船渡市内の水産加工業者)。



イカの加工を手掛けるサンコー食品は近年、原料を求めて輸入割合を引き上げた。しかし、イカもまた世界規模で資源の奪い合いが始まっていた。



今年から安価な地元産フグの加工を始め、生産ラインの複線化に取り組む小浜健社長。「顧客が求めるものづくりをして、大きい会社ではなく強い会社を目指す」と話し、生き残りを懸けた模索を続ける。



水産加工団体も動く。7月末には大船渡市を含む気仙地域の業者が勉強会を初めて開いた。「各業者に業務を割り当て、地域で一つの商品に仕上げたらどうか」。企業間連携に活路を見いだそうというアイデアも示された。



大船渡に水揚げされた魚介類の流通は鮮魚出荷や冷凍処理が9割以上を占め、より高度な加工に回るのは1割に満たない。



「これまで大船渡は豊富な漁獲に頼り、付加価値を高めることに後れを取っていた」と、水産加工会社「森下水産」社長で大船渡湾冷凍水産加工業協同組合の森下幹生組合長は語る。



不漁のただ中で、水産加工業が自己改革を迫られている。


https://blogs.yahoo.co.jp/michinoku2005/18624829.html

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岩手・大船渡魚市場で競り落として直送「おまかせ海鮮セット」(マリンプロ)

価格:5,000円
(2018/8/19 17:40時点)
感想(3件)


八木沢醤油

陸前高田市の八木沢醤油。

そこの醤油を使った煎餅。

美味しいです。

こうしてみると、南部煎餅も将来はいろんな味ができそうです。

チョコとの相性もいいです。

醤油味は、お湯をかけて即席スープになりそうです。

https://youtu.be/GUQL6HBFza0

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南部かしわ

古来から浄法寺地方(二戸地方・東北地方)では、お祝いの際には自宅で飼育している鶏を食べる習慣がありました。

しかし、このごろは自宅で鶏を飼っているお宅も少なくなっています。

明治時代の終わり頃まで岩手県北のどこの農家でも飼っていた『地鶏』。

昭和30年代以降、その姿が消えて数十年。

ところが、1975(昭和50)年の家禽共進会で、特別出品された二戸市下斗米を源とする1つがいの地鶏が、「幻の鶏」として話題を呼び、1984(昭和59)年、日本古来種であることから国の天然記念物「岩手地鶏」として指定されました。

かつて飼っていた懐かしさもあり、幻の地鶏のおいしさを復活させようと、二戸市川代地区の生産者たちが「岩手地鶏」の系統を継ぐ「南部かしわ」を、二戸ならではの地域ブランドとして生産に取り組んでいます。


先日、久しぶりに「南部かしわ」を食べました。

比内鶏にも負けない味です。

南部かしわの出汁で食する「蕎麦」は最高です。

もちろん、器は漆器です。

ともかく熱い汁物を食べるときは木製の器でたべてください。

体の芯から温まります。


https://youtu.be/LSWO0WFsWrM

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2018年8月19日 (日)

南部椀考察 古川保正

本県(岩手県)は、古来生漆の生産地として知られているが、漆器の産もかなり昔からのように伝えられている。
 
現今県内の漆器産地の集団地をみると、県南はまず胆沢郡衣川増沢と、旧南部領内では盛岡市並びに二戸郡荒屋新町を中心とする一帯の地だけである。

古くから浄法寺椀と呼ばれる郷土的な椀は此の二戸の荒沢地方を中心とする安比川流域に沿って産競られるモノである。

此の浄法寺椀の創めは、秀衡時代にあるように謂われているが、今の浄法寺椀は所謂南部椀の係累であるから南部椀の祖とその源を一元にしてうるわけである。

南部椀の嚆矢には諸説あって、地元の伝承としてより、むしろ中央識者の間に著述されたものに見える処の説である。

一は高倉天皇の御宇陸奥の南部の工人漆器を製す、是を南部椀といふとか、浄法寺御山天台寺にて自家用漆器を作りしに創る、或いは正平年間正法寺にて自家用什器の椀を製したそれより南部椀は出でしと称される如く平安時代、天台寺、正法寺の什器製作にその源を凝定しているので伝説以上の進展を見ていない有様である。
 
日本漆器工業論(昭和21年刊)の著者磯部喜一氏も、前二者の説を掻き混ぜて藤原秀衡が農民に命じて押領使御用の秀衡椀を作らせた秀衡は故に此の面に於いて貴族工芸品と目されるし、また一般庶民の需要のものを製らした、是が後世の南部椀であると解されるように書いている。 

然し一方、秀衡椀は南部椀で、江刺正法寺の寺什や浄法寺の御山天台寺の寺什製作に伝わる正平年間から浄法寺付近の農民の手で浄法寺椀が作られるようになったと述べているが、変遷推移の時代漠然としたものがあって単に伝説の交識に過ぎないもので終始している。
 
現在本県内で伝えられる古椀によると、秀衡椀と世に云われる椀を厳然とした一形式を備えた三ツ椀様式のものを見ることが出来る。

此の椀に就いては既に岩手県史学研究(第八号28ページ)に於いて自説を掲げたので、私は茲では南部椀の圏外に一応おいて、しばらく秀衡椀には触れない事にしたい。

尚ほまた江刺郡黒石村正法寺什器の正法寺椀についても同様取り扱って、南部椀は南部氏時代南部領内に於いて製作された椀のみについて検討を加え研究をしたいと思う。
 
思うに南部椀の呼称は南部領内者よりは領外の者の呼称として考へらるべきで、地元には恐らく此の呼称が用いられてなかったと見られるし、南部椀と云うのは南部領内産の椀類一般に対するものであるかもしれない。

今は概念的であるが浄法寺椀と云われている椀は内外共空き赤か黒の三ツ椀、四ツ椀をさして呼び、北海道漁場などに近年移出された単独椀も左様に呼ばれて地方使用の雑器的のものである。

現在製出のものには南部椀として地元呼称のものはないが、此の名称につながるものとして即ち南部椀と称するものは内は朱色にして外は黒色なり、又は黒漆の上に朱色又は青漆黄漆を用いたるを以て或いは鶴或いは花卉を描き所々方切りしたる金箔を附着し其の朱色絢爛なる此の模様を南部模様と云う云々の説明に従って見ると、現在においてはその様な椀は造られていないが、南部領内に於いてのみ見られるこの説に符号する古椀を見ることが出来る。

然しこうした椀がはたして南部領の何処で造られたかということは問題であったが事実生産されたことが実証出来る文献、最近、淵澤定行氏によって南部家古文書の中に見出された。

先づ南部椀、いや漆器が古くから領内に生産されたり、藩外に移出される程の事実が知れることは、

 南部家雑書(享保二年乙酉年正月の分
  極月廿九日
  黒塗御椀十人前浄法寺太山孫右衛門如御佳例之今日進上し・・・
 南部家雑書(享保二年分)
  六月廿日
  澤内通り御留め物之事
  箔椀同木地
 南部家雑書(寛文十二年分)
  閏六月十二日
  浄法寺村其外御領分中椀師共仕出候塗物箔絵物の外地領へ出し申し度く望み候付遣候証文の事

  御領分中椀師共仕出候塗物箔椀ッ椀、つぼひらき共に壹駄に付三百人前其外の塗物も右椀壹駄の目形の積に体餞一駄に付四百文宛て其度々に指上定右塗物共他領へ出候時分は御町奉行迄其方荷物の書付相出候町奉行手形を取り他領へ通可申し候若御法度の箔絵物不寄何に少し成共隠密仕荷物之内へ入通候者可為曲事候云々
南部家雑書(寛文六年霜月十四日分)

 仙台の泉屋吉右衛門火事に逢遺道具迄焼失に付き当地にて御椀、台皿、平皿二三共参拾人前小数三百六拾同折敷三拾人前小数九拾九枚重箱二厳右調度申御町奉行を以訴訟に付為相調候無相違可申手形鬼柳番所へ右の手形以来引付には無之旨申渡水谷六右衛門迄遣之

是に依って見ると南部領内の漆器は寛永寛文年代相当の産があって、鬼柳番所を経て仙台領或いは澤内街道を秋田等に迄出荷していたようである。

むろん江戸市場にも出ていたことは染屋が南部椀の花鳥模様を南部模様といって応用して流行したことでも推量される。(工芸志料229ページ)
 
以上の記録によると椀のみではなしに各種の塗物が出されていたようであるが箔絵椀のみは何かの理由で厳重な移出管理のもとに作られていたふしがある。

それでは箔絵椀とはどのような椀を言うのであろうか、箔椀とは何か、まず箔椀については工芸資料(二三一頁)会津椀の項に、「天正十八年蒲生氏郷会津領主となる。氏郷漆工に命じて創て南部椀に模擬して以て漆器を製せしむ是を会津塗といい其の椀を箔椀といい其の盆を箔盆という其の中に或いは抹金の描画を少し施して製を南部塗と異にせるものあり」とあり、南部の記事にも薄椀の名も見え箔絵物とも書いているが、南部の場合は薄手物即ち上椀の意か不明であるが箔と薄との音の誤りであろうか判別に苦しむものがある。ともあれこの資料の言に依れば会津ものと南部ものの相違は僅かに抹金を施した点に於いてのみであるとされる。南部の技法には南部蒔絵の名称があり抹金でなしに色絵であることは今日見る古椀について確かめられる点である。

然しまた箔のみで模様の部分を表して雲の菱文を欠くものもあって、大迫の村田氏所蔵椀は真に箔絵椀と言い得る箔のみで藤花を絵画的に表している。平椀や重箱に桐花或いは葡萄を箔絵で描いているものなどの古椀を見ることが出来る。

然しそう多数見受けられ無いが南部地域外にはどの程度にみうるものかは今のところ不明で是が南部椀の産地であるという確認は今のところなされておらぬが箔絵の言葉には完全に合致するものである。
寛永寛文代の南部古椀で所謂箔絵の金蒔絵ものを見るに九戸郡軽米町小笠原哲二氏並びに二戸郡福岡町川嶋一郎氏蔵の四ッ椀は上作で且つ最古と目されるが左のような特徴がある。

一 四ッ椀(秀衡椀三ツ椀 正法寺椀単独椀)
一 母体の外型(正面図)側線が高台から上方に放物線に開いている
(秀衡椀は口辺に近くしぼむ)
一 高台が高く直線に踏ん張る、高台の底面の括りが浅い。南部椀、秀衡椀共に高台の底の括り浅いその理由は手斧作りの手仕事上の為であるこの技術は南部の作りに見られる。(秀衡椀の高台線は主に曲線)
一 高台に帯状の模様がある(秀衡椀はない)
一 方切箔の金模様がある(秀衡椀の切箔は菱形或いは不定)
一 天雲が秀衡椀は概して源氏雲の趣きで南部ものは意匠が強い。
一 花紋は三輪の輪状菊花と枝葉で一定している(秀衡椀は各種の草花梅桜等を描く)
一 輪口の帯状箔が太い
一 用漆は黒地に黄漆にて模様を描き色蒔絵を施し、朱、黄、緑等多彩である点と、片切筆と称する別の筆を使用して模様を描くことも特徴とされる。
 (秀衡椀は朱一色で絵漆仕立てで蒔絵技法をとらない) 
 
私は此の椀を以て南部椀のオリジナルを認めるものであるで、是が箔絵椀とすることに異論がないとすれば南部椀を代表として黒川眞頼や藩末江戸の茶人や数奇者の間にもてはやされた南部椀は秀衡椀と混同される此の箔絵椀が名を得ていたものと思われる。
 

斯様な次第で南部椀にも子細に言えば種々あると思うが、秀衡椀に並び称される南部椀は箔絵椀であると断定してよいようである。

更に係累椀を示して不足の言葉を補って此の研究を終える事にする。

一 秀衡椀 古椀  後世の南部での模作あり
一 正法寺古椀   後世の模索なし
一 南部椀  箔絵椀 古椀 後世の作
  浄法寺椀 主として赤黒無地三ツ椀、四ツ椀 近時単独椀
  荒澤椀 現在産の浄法寺椀と同系
一 會津椀
一 大内椀

https://youtu.be/0yAlJ5_8G0Q

ピーナッツ太鼓

店頭で見かけて購入しました。

食べ応えがあります。

子供の頃は、駄菓子屋で30円ぐらいでした。

同じ物かどうか判りませんが、価格は3倍強になっています。

駄菓子屋も少なくなりましたね。

国内もグローバリズムが蔓延ですね。

https://youtu.be/GUQL6HBFza0

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片口収集!

片口を収集して30年以上です。

中学時代に美術の先生から、古民具の美しさをレクチャーされたのがきっかけです。

目標は100個集めることですが、30個ぐらいで止まっています。

眺めているだけで楽しいですよ。

浄法寺の片口は形や使い勝手がいいです。

能登や滋賀方面の片口も素敵です。

展示館を作りたいと思います。

完成したら見に来てください。

https://youtu.be/wSdkAMoaoaw

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2018年8月18日 (土)

源タレ味のせんべい

地元の煎餅店がやりました。

あの有名な源タレ味の煎餅です。

酒のつまみにも良いですよ。

流行して欲しいです。

関東でも受けると思うけど。

小松煎餅の朝鮮に拍手!

https://youtu.be/9PDW3_lrsXw

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【お中元 煎餅 せんべい 詰め合わせ】 南部せんべい乃巖手屋 味ぞろい 10種10枚 おせんべい 詰め合わせ 個包装 和菓子 お菓子 お礼 御礼 お土産 おみやげ 人気 老舗 おすすめ オススメ 御中元 御歳暮 母の日 父の日 敬老の日

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遣唐使の末裔

前回は、遣隋使や遣唐使よりも、「遣日使」が多かった事を書きました。

日本には隋や唐の他、インド、ベトナム、新羅、渤海などからも遣日使が押し寄せて来ていました。

あの有名な小野妹子が日本に帰国する際には、32隻もの大船団がついてきたそうです。

9~19世紀の日本では、遣唐使などよりも遣日使のほうが多かったのです。

日本の教育機関は、なぜこのことを教えないのでしょう。

悪意を持って、一定の方向に目を向かせようとしているかのようです。

「飛鳥時代から平安時代にかけ遣隋使、遣唐使の派遣目的は隋や唐から先進文化を取り入れるためである。」

日本の教科書は、基本的にこのように記述しています。

しかも、歴史学者と言われる人々は、遣唐使の何倍もの遣日使が来ている事実を見逃しています。(故意に見逃した?)

最初の遣隋使を派遣するに当たり、聖徳太子が小野妹子に持たせた国書のあの有名な文言は象徴的です。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」を見れば、当時の力関係は台頭だったのです。

太子の書を不快に思った煬帝は、この遣隋使への返礼として大使裴世高を小野妹子に同行させ、隋の冊封体制に組み入れようと試みたのですが失敗に終わります。

小野妹子は、隋の皇帝の返書を求められた際には「無くしました」と聖徳太子に応えています。

素晴らしい外交術です。

これ以降、日本は常にチャイナとは対等な関係です。

忘れてはならないことですが日本と唐は対等でしたが、百済は兄弟国であり、新羅に対しては宗主国でした。

高句麗はチャイナの地方政権のようなものです。

朝鮮は、チャイナを宗主国として仰ぎ、自らは日本の兄と称して格付けに躍起ですが、歴史的証拠も無くて、滑稽というしかありませんね。

ちなみに、日本からあちらに行った人たちは、帰れなくなった人を除いて、みんなこちらに帰ってきたそうです。

現在でも、チャイナから多くの人が日本にやって来て住むのに、その反対は?

どうでも良いことですが、小野妹子の子孫は昭和の御代になり、英国の若者と結婚します。

相手の名はジョン・レノンで、その子孫は小野ヨーコです。

https://youtu.be/ymchCOLEUz0

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遣日使は遣唐使より多かった #2

日本には隋や唐からも、インド、ベトナム、新羅、渤海などからも遣日使が押し寄せて来ていました。

あの有名な小野妹子が日本に帰国する際には、32隻もの大船団がついてきたそうです。

9~19世紀の日本では、遣唐使などよりも遣日使のほうが多かったのです。

なぜこのことを教えないのでしょう。

「飛鳥時代から平安時代にかけ遣隋使、遣唐使の派遣目的は隋や唐から先進文化を取り入れるためである。」

日本の教科書は、基本的にこのように記述しています。

しかし、歴史学者と言われる人々は、遣唐使の何倍もの遣日使が来ている事実を見逃しています。(故意に見逃した?)

特に、最初の遣隋使を派遣するに当たり、聖徳太子が小野妹子に持たせた国書のあの有名な文言は象徴的です。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」を見れば、当時の力関係は台頭だったのです。

太子の書を不快に思った煬帝は、この遣隋使への返礼として大使裴世高を小野妹子に同行させ、隋の冊封体制に組み入れようと試みたのですが失敗に終わります。

小野妹子は、隋の皇帝の返書を求められた際には「無くしました」と聖徳太子に応えています。

素晴らしい外交術です。

これ以降、日本は常にチャイナとは対等な関係です。

忘れてはならないことですが日本と唐は対等でしたが、百済は兄弟国であり、新羅に対しては宗主国でした。

高句麗はチャイナの地方政権のようなものです。

朝鮮は、チャイナを宗主国として仰ぎ、自らは日本の兄と称して格付けに躍起ですが、歴史的証拠も無くて、滑稽というしかありませんね。

ちなみに、日本からあちらに行った人たちは、帰れなくなった人を除いて、みんなこちらに帰ってきたそうです。

現在でも、チャイナから多くの人が日本にやって来て住むのに、その反対は?


https://youtu.be/hC7KxTch63Y

神棚にあった石器

家屋解体の際に、解体屋さんから処分を依頼された神棚。

信仰する神社からアドバイスをいただき処理しました。

その際の古い和紙に包まれた石器が出てきました。

どのようなものかは分かりません。

どなたか、詳細をしりませんか。

調査続行中!

https://youtu.be/wSdkAMoaoaw

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2018年8月17日 (金)

煙草

今では嫌われものになりつつある煙草。

江戸時代の煙草のように粋に吸えば格好いいですよね。

煙草入れもキセルもアートです。

時代を経て残っているものは、とても素敵です。

刻み煙草、今でも売っているんでしょうか。

50年前は、各自に刻み煙草を愛飲している人がいて、かっこよかったのを覚えてます。

煙管を直したり掃除する商売もありましたね。

煙管も芸術品になりつつありますね。

https://youtu.be/nLOWcmtcVRU

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あっさりラーメン

二戸のあっさり味ラーメン。

友人によく勧めるのが「あらや食堂」です。

中華そばの暖簾がかかっているだけで、特にお店の看板等もありません。

友人が見つけられないのも納得です。

時々、近郊からのおばちゃんが、相席になることもあります。何もなく

カウンター席はありません。

4人掛けのテーブル席が4つです!

女性店主が一人で切り盛りしています。

昼時は結構混み合います。

メニューは麺類にライスだけです。

これだけでも十分だと地元の人は言います。

やっぱり、初めての人は中華蕎麦を食べて欲しいです。

透明感のある琥珀色のスープが美味いエス。

スープを最後の一滴まで飲み干してします。ます

そんな旨いラーメンでした!ごちそう様~♪

味噌ラーメンも評判がいいです。

夏になったら、ぜひ冷やし中華を。

隠し味がウスターソースだそうです。


あらや食堂八幡下
住所:岩手県二戸市福岡八幡下44
TEL:0195-23-3053

https://youtu.be/GUQL6HBFza0

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2018年8月16日 (木)

UCC缶コーヒー

安かったのでまとめて購入しました。

好きな味です。

羊羹と一緒にいただきましたが、ちょうど良い味のなりますね。

羊羹が出てくる落語を聞きながらいただいています。

ところで、各地の名物羊羹を調べています。

どこの産地も美味そうです。

羊羹だけで一冊の本ができそうです。

誰か書いているんですかね。

https://youtu.be/rXDLrSE0Tp0

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遣日使は遣唐使より多かった

日本とチャイナ、日本とコリアはギスギスした話題が多い昨今ですが、ギスギスした関係にも長い歴史があることが判りますね。

インターネットを検索すると、「遣日使」という言葉を見かけます。

戦後教育で私たちは、日本が隋や唐から日本より優れた文化を取り入れようとして、遣隋使遣唐使を盛んに送ったと教えられました。

しかし、田中英道・東北大学教授は「遣日使の方が多かった」との見解を述べています。

「日本の歴史において、常に外国から学び、模倣して日本文化が形成されている、という歴史家、評論家の固定観念が、日本の世界における文明的な位置づけを怠らせ、その意義の検討を遅らせてきたのである。遣唐使という言葉はあるが、遣日使という言葉がないこともその証拠である」

そこで思い出されるのが聖徳太子のあの有名な言葉です。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」

実は、遣唐使の何倍もの使者が唐から日本に来たと田中氏は説きます。

日本書紀には、「唐人を乗せた船が余りにも多く押し寄せたので、防人たちはすわ侵略軍かと思い弓を射た」という記述があります。

教えを請おうと渡って来たのは唐のみならず、新羅や渤海からも来ていました。

渤海は日本への朝貢国で、高句麗とは対立関係にあった国です。

鑑真和上は有名ですね。

日本へ仏教を広めるため何度も日本への渡海を試みて、やっと日本に来たときは目が見えなくなっていたと教えられました。

なぜ鑑真和上は、日本への渡海を何度も試みたかが不思議でした。

しかし、当時の日本の文化への憧憬から「遣日使」という言葉から浮かんできます。
仏教はすでに聖徳太子が国策として取り入れ、神道と仏教両輪でそれなりに安定した社会でした。

彼らにとって日本は文化果つる国ではなく、憧れの国だったのです。

明治維新後に、清国から多くの留学生が日本を目指したのと同じ現象だったのですね。

この部分を、日本の教育は教えません

チャイナの文化を吸収し、独自に高め、庶民までもが「万葉集」に見るように和歌を自在に詠む教養度の国が日本でした。

文化だけではなく、金や銀の精製技術をさえ日本は有していたようです。

遣隋使、遣唐使の人や船の数より遣日使の数が上回り、それらの人々の多くが、鑑真のように帰化する道を選びました。

当時の奈良の人口の三分の一は帰化人だったとの説もあります。

反対に、遣唐使や遣隋使として海を渡った日本人たちが、帰化して住み着いたという話は

あまり聞きません・・・・。

遣隋使、遣唐使よりも、「遣日使」が多かった事を覚えておいてください。

https://youtu.be/32viSbJ25mo


2018年8月15日 (水)

競り負け 片口

ヤフオクで競り負けました。

残念です。

片口100個収集を目的に頑張っています。

古漆器展示スペースを将来的に作りたいです。

これからオークションサイト検索です。

https://youtu.be/0yAlJ5_8G0Q

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長万部の駅弁

「長万部」は、 難読地名として知られています。

鉄道好きにはよく知られた駅だそうです。

それというのも”山線と海線”の分岐駅だからです

函館本線は本来「函館~旭川間」を結ぶ路線で、長万部からはニセコ、倶知安、小樽を経由して札幌へ向かいます。

一方、海沿いの室蘭本線、通称「海線」回りで、千歳線に入って札幌へ行く路線もあります。

昭和中期までは、まさしく鉄道の町だったとのことです。

数年前に長万部で下車し、時間をつぶしながら駅周辺を散策したことがあります。

昔ながらの駅弁売りの姿を見て感動したものです。

そこで駅弁を売っている人を見かけて、華やかだった頃の思い出話を聞かされました。

最盛期には一日300個売ったことがあったそうです。

現在では、全国で「かにめし」が売られるようになりましたが、その元祖は長万部町の「かなやのかにめし」だといわれています。

かにめしの誕生は、戦後、弁当の食材の入手が困難になり、駅構内で弁当を立売販売していた「かにめし本舗かなや(当時は長万部駅構内立売商会)」先々代の金谷勝次郎が、他の地方での食生活を査察するため地方出張に行った際、留守を預る妻が弁当に代わるものをと車内で「茹で毛がに」の販売をしたのがきっかけでした。

きっかけは妻の機転だったんですね。

出張から戻った勝次郎は、妻の考案した茹で毛がにの販売を大変評価し、かにの美味しさを一年中味わってもらえるようにと考え出したのが「かにめし」だったのです。

完成までに50種類以上の試作を繰り返し、その都度長万部駅の鉄道マンに試食してもらい納得いくまで作りこんだ末、昭和25年、ついに「かにめし」は誕生しました。

ふっくら炊いた北海道米「ほしのゆめ」を使っています。

ご飯の上に、かにのほぐし身を敷き詰め、酢漬けカニ身、錦糸玉子、梅干、椎茸、グリーンピースで彩りを添えています。

カニのほぐし身を釜で炒り、水分を飛ばすことで旨みを凝縮したのがこの駅弁の真骨頂です。

隠し味として刻んだタケノコが良い食感を演出しています。

予約すると時間に合わせて調製してくれるため、温かい状態で食べることができるのも嬉しいですね。

人気の駅弁で、アマゾンや楽天でも手軽に購入できるようですが、やはり長万部駅で購入して食べたいですね。

https://www.youtube.com/watch?v=pSzUevTdSuo

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2018年8月14日 (火)

御山ゴキ

100年は経過した漆器。

塗りもしっかりしています。

このたび、江戸に嫁ぐことになりました。

大切に使って欲しい物です。

剥がれてきたら、塗り直して使えば、100年後でも新品同様です。

倉庫にはまだ在庫あります。

https://youtu.be/wSdkAMoaoaw

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津軽蕎麦

お隣の青森県。

津軽蕎麦なるものが伝わっています。

製法が変わっていて、つなぎに呉汁を使います。

数日間は保存も効きます。

画像で見るとラーメンのようですが、コシがしっかりしていて不思議な触感です。

というか、今まで1回しか食べたことがありません。

今度はじっくり味わっていただきます。

お勧めのお店がありましたら教えてください。

https://youtu.be/V9zqj0afZHc

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越前 漆器神社

越前漆器の産地として栄えてきた、福井県の河和田地区片山町の八幡神社と河和田町の敷山神社の境内には漆器神社があります。

八幡神社には、漆器工芸がすべて手作りで行われていた当時の、全工程の道具や漆器に関する古文書が保存されています。

神社からの眺めが良く、河和田の町並みを一望できます。

敷山神社には美しい漆の天井絵があり、こちらは河和田町会館まで問い合わせをすれば見ることができます。

これら2つの神社では、毎年職人の道具の供養やさまざまな関連イベントを実施しています。

いかにこの地域で漆器づくりが古くから盛んだったかがわかるってものです。

河和田の漆器のはじまりは約1,500年前の第26代継体天皇の頃といわれています。

実はこの継体天皇は越前の国にゆかりが深く、まだ継体天皇が皇子のころ、壊れた冠の修理を河和田の塗師に命じたそうです。

塗師は、冠を漆で修理するとともに黒塗りの椀を献上ました。

皇子はその見事さに感動し、片山集落で漆器づくりを行うよう奨励したことが越前漆器の始まりと伝えられています。

その後、江戸の後期には京都から蒔絵師を、輪島から沈金の技術を取り入れ、明治期には「丸物」とよばれる椀類から、重箱、お膳など「角物」にまで製品を拡大。生産エリアも河和田地区全体に広がり越前漆器の一大産地になりました。

その後、河和田を含むこの辺りの地域で作られる越前漆器は、工芸品にとどまらず旅館や飲食店向けの業務用として東京、大阪、名古屋といった大消費地に供給しつづけました。

こうした歴史の中で、たくさん作る量産技術、工程ごとの分業体制が構築され、町全体で漆器に携わることになりました。

古い河和田漆器を数個所有していますが、その質実剛健な作風と、どこかに感じる作風が気に入っています。

漆器神社(八幡神社)
電話番号  0778-65-1987
所在地  福井県鯖江市片山町漆器(敷山神社)

https://youtu.be/il2FE5s5Czc

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2018年8月13日 (月)

廃れた技法

浄法寺の古い漆器には時々驚く技法が用いられることを発見します。

現物は、売られてしまって残っていませんが、煤文様の器です。

漆を塗ったばかりの器を、蝋燭の炎にかざして文様をつけるんだそうです。

何度か試してみましたが、ほとんどが失敗します。

西洋蝋燭より、和蝋燭の方が文様がきれいに出ます。

ともかく、先人の技術には驚きます。

出せない色もたくさんあります。

https://youtu.be/wSdkAMoaoaw

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タマゴパン

地元の味が復活しました。

復活後なかなか食べることができませんでしたが、昨日にいただきました。

牛乳との相性も抜群です。

できれば直売所やお徳用セットも復活して欲しいです。

ぜひご利用下さい。

https://youtu.be/rXDLrSE0Tp0

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ジンギスカンを特産品に!

二戸市福岡には、幕末の志士たちが訪れた結社があります。

会輔社といいます。

じっくり調べると、おそらくですが、面白いことが出てきそうです。

明治9年には、木戸孝允も来ています。

日本の綿羊発祥の地でもあります。

ジンギスカンを特産品に!

https://youtu.be/LSWO0WFsWrM

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2018年8月12日 (日)

シロちゃん

愛猫のシロちゃんでし。

じゃれあって、指から出血です。

夏の暑さに負けずに元気です。

窓の外に小鳥を見るけると掴まえようとします。

体は小さいけど、虎の一族ですね。


https://youtu.be/IAUyRUPdbMo

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2018年8月11日 (土)

幾寅

幾寅に 白雲なびく 八月の 駅前を想う ジンギスカレー

10年ぐらい前に、幾寅で食べたジンギスカレー。
あの味を思い出しています。

次回は鉄道で行って見たいと思います。
八戸からフェリーで苫小牧。
そして鉄道ですかね。

https://youtu.be/pSzUevTdSuo

明治10年の政府転覆計画

明治10年2月に西郷隆盛を中心として起こった反政府運動がいわゆる西南戦争です。

これに呼応して、明治10年5月に青森県三戸郡、岩手県二戸郡、秋田県鹿角郡の旧南部藩士たちも政府転覆計画を起こします。

これは三戸郡田子町の真田太古を首謀者とする怪事件でした。
 
その計画を簡単に説明すると、5月17日に一派は青森分営を襲い兵器や弾薬を奪い、県庁を撃ち公金を奪う。

別の一派は鹿角地方の金山を襲い、七戸、五戸、三戸を扇動して福岡(二戸)を経て浄法寺に入り、 南部領内随一の豪農小田島勘治を説得(脅し)して資金を出させ、鹿角方面の一派と合流し盛岡に入り、 賛同者を募り仙台鎮台を破り、東京に入ろうとするものでした。

この計画は会輔社(二戸市)の社員・岩館迂太郎の密書により岩手県警察の知るところとなり、青森、秋田の三警察共同捜査により、 5月12日に首謀者が逮捕され未然に防がれたのでした。

この事件の檄文を書いたのが小田為綱です。

彼の明治11年日記によると、この事件の背後には西郷一派のはたらきかけがあったと見られます。

小田為綱は盛岡藩校作人館寮長で、同年の真田太古がおこした反政府運動に参加し投獄されています。

出獄後「憲法草稿評林」を書き、明治21年八戸義塾をひらき漢学をおしえたそうです。

明治31年衆議院議員に就任し当選2回でしたが、明治34年4月5日63歳で死去しました。

南部藩佐幕派の首領楢山佐渡の参謀であった那珂通高は、真田事件を事前に知っており,
福岡(二戸市)の会輔社代表小保内定身に明治10年2月1日付けで手紙を送り、反真田運動を奨めます。

この際、小保内定身は表だった動きを見せていませんが、同志とも言うべき岩館迂太郎が県に密書を送り、 会輔社の下斗米与八郎を実情調査のために鹿角方面に差し向けています。

また、西郷決起を聞いた際には「私の体を投げ打つには他人の勧誘は受けない。西郷が皇室に対して不忠の心があれば別だが、ただ政府内の意見が異なった為のものである。」といって、西郷討伐にはやる社員をなだめたと伝えています。

会輔社代表の小保内定身の自宅には、明治9年7月10日に明治天皇や木戸孝允などが立ち寄っている。定身には客観的な情勢が判っていたと思われます。

反真田の手紙を送った江幡五郎は、 吉田松陰の友人です。

江戸滞在時に国許で兄が、藩の内紛で死に追いやられたことを知り、対立していた家老への仇討ちを企画します。

江幡は吉田松陰・宮部鼎蔵のみちのく旅行に同行し、途中で別れて仇討ちをする計画でしたが、結局決行にいたりませんでした。

この頃に偽名として那珂弥八郎を名乗りましたが、これが気に入ったのか後に苗字を那珂に改めて、五郎をもじって梧楼と号したようです。

戊辰戦争では南部藩の責任者されましたが、なぜか重い処罰はされませんでした。

明治維新後は新政府に出仕し、大蔵省ついで文部省に勤め、特に文部省で活躍した。

https://youtu.be/LSWO0WFsWrM

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2018年8月10日 (金)

御朱印

朱印(しゅいん)は、神社や寺院において、参拝者向けに押印される印章、およびその印影である。敬称として御朱印(ごしゅいん)とも呼ばれることもある。

複数の朱印の印影を集めることを集印(しゅういん)という。

朱印を押印し集印するための専用の帳面を朱印帳(しゅいんちょう)と言います。

他にも、御朱印帳(ごしゅいんちょう)、納経帳(のうきょうちょう)、集印帳(しゅういんちょう)と呼ぶ事もあります。

一般的には、古くからある和綴じ(和装本)のものが知られています。

大正時代ごろからは、屏風折(折り本)にして両側に固い表紙をつけた形式のも使われています。

寺社、仏具店、神具店や文房具店、書店などで販売されています。

朱印は宗教行為と考えられています。

そのため「記念スタンプ」とは違い、寺社の職員や僧侶、神職、氏子などが押印し、参拝者側が自由に押印できないのが一般的です。

中には、無人あるいは無人となることが多い寺院や神社の場合は参拝者が押せるように用意されている場合もあるようです。

室町時代末期から江戸時代初期頃には確実に存在しており、当時は神仏習合であるため寺社のどちらで生まれたかははっきりしない。

一説には、元々は寺社に写経を納めた際の受付印であると言われる。

現在は「奉拝」と書くことが多いが、昔は「奉納大乗経典」と書かれていたそうです。

現在でも納経(写経の奉納または読経)をしないと朱印がもらえない寺院があります。

すでに江戸時代中期には、多くの寺社では少額の金銭(御布施・初穂料)を納めることで朱印がもらえるようになっていました。

霊的な力が満ちている場所とされる「パワースポット」を訪れるブームが30年ほど前から起こります。

今では「パワースポットめぐり」はすっかり一つのアクティビティとして定着した感がありますね。

朱印を目的に、神社仏閣を巡るのも楽しそうです。


https://youtu.be/Ny9-qaqoyq8

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2018年8月 9日 (木)

水戸黄門

本日のBS-TBS。

復活水戸黄門に高須クリニック院長が出演。

再放送です。

なんと漆器屋の役柄?

しかも浄法寺漆器で登場。

全く関係ないけどうれしいですね。

院長に漆器送ろうかな!

https://youtu.be/0yAlJ5_8G0Q

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鉄鉢椀 3

浄法寺地方で作られたと思われる古椀を長年集めています。

100年ぐらい前に作られたと思われる椀を5個限定で塗り直しています。

塗り直せば、ほぼ新品です。

というか、新品です。

若手塗師への、技術伝承の意味もあります。

今回は1個7000円での販売ですので、よろしくお願いします。

https://youtu.be/kQzhcF6JXiM

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浄法寺漆器工芸企業組合 岩舘隆 片口(5寸) 溜 浄法寺塗 浄法寺漆器 【受注生産】

価格:37,800円
(2018/8/1 09:33時点)
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2018年8月 8日 (水)

焼茄子で一首

焼き茄子の 味かみしめる 夏の夜に 吹く風涼し 安比の川原

子供の頃は茄子の田楽は好きで無かったのですが、今では大好物です。

これからはもっと美味い季節ですね。

ワンカップの日本酒でほろ酔い気分は最高です。

30年前に比べて、日本酒は美味くなりました。

まず、ベタつかなくなった気がします。

調べたら、製造過程で水飴を使わなくなったようです。

妙に納得しました。

https://youtu.be/rXDLrSE0Tp0

杉浦日向子さんと蕎麦椀

「遊びと仕事は夫婦みてぇなもん」と言い切る江戸の人々。

カラッとしていて楽天的、日々を楽しむことに情熱を傾けて生きる彼らこそ、遊び友達に最適ですね。

いかした相棒・江戸人と、春画や相撲を観戦して、食事してお酒飲んで、たまには異性をひやかしたりしながら、江戸時代にタイムスリップ。

庶民から大道芸人、はたまた奇人変人など、江戸の街のキャストをおもしろおかしく紹介した江戸の「入門編」は、杉浦日向子さんの名著です。

『コメディーお江戸でござる』(NHK総合テレビ)では江戸の歴史、風習についての解説コーナーを担当していました。

毎回観ていて楽しみにしていましたが、2004年春に番組がリニューアルしたのを期に、作家の石川英輔に解説役をバトンタッチしました。

2005年7月22日、下咽頭癌のため死去したようですが、そのことを知ったのは数年後のことです。

当時は、解説を降板した理由として「念願だった豪華客船で世界一周の旅をする」と称していたが、実は闘病していたのです。

蕎麦通としても知られ、浄法寺の漆器にも興味を持ち、二戸駅前の名店「かくしめ食堂」で使っていた椀を贈った事があります。

密かに杉浦日向子の人気が再燃しているようです。


https://youtu.be/nLOWcmtcVRU

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タマゴパン復活

懐かしい味が復活しました。

タマゴパンはやっぱり美味いです。

価格も以前と同じです。

牛乳との相性も抜群です。

ぜひ地元の味を守りましょう。

https://youtu.be/bpSfXSaVFuA

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御山ゴキ

浄法寺で明治期に作られた古椀です。

ヤフオクに出品中です。

このままでも使えます。

100年経過して、独特の風合いです。

塗り直しも可能ですので、興味のある方はお問い合わせ下さい。


https://youtu.be/0yAlJ5_8G0Q


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鉄鉢椀 塗り直し 2

100年以上経過した椀です。

木地としては、長い年月を経過していますのでくるいがありせん。

形状も独特で、手に馴染みます。

22世紀に伝えて欲しいですね。

5個修理しています。

予約価格として、限定で7000円。

あなたの漆器コレクションにして下さい。

https://youtu.be/YZmpyDDx5TQ

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岩舘隆 岩手 浄法寺塗 漆器 お椀 漆 送料無料浄法寺漆器工芸企業組合浄法寺椀(大)朱 【国産漆100%仕様】 お椀 民芸 民藝 きょうの料理

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感想(3件)


2018年8月 7日 (火)

一戸の町並み

隣町の風景です。

所用があって訪問しました。

じっくり歩いてみると面白そうです。

次回は動画撮影をしながら散策してみます。

一杯引っかけながら歩いてみたいですが、酔っぱらいは危険ですね。

https://youtu.be/KDWWuCCMbZU

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糖質カット

この頃は糖質カットの日本酒にはまっています。

最初は・・・?でした。

いつのまにか愛飲していました。

でも、普通の純米酒は、やっぱり美味いです。

皆さんのお勧めは何ですか。

よろしければ教えてください。

https://youtu.be/gP3Wq2DRh_E

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鉄鉢椀 修理 1

100年以上前に作られた鉄鉢椀。

今では、同じような木地は高額です。

製品として出すとすれば、塗った状態で13000円程度です。

今回は、技術の伝承を兼ねて若手塗師に塗り直しを依頼します。

完成は3ヶ月後の予定です。

予約価格として、7000円で提供します。

5個限定。

ぜひ使ってみて下さい。

https://youtu.be/0yAlJ5_8G0Q

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感想(1件)


2018年8月 6日 (月)

猿田彦

猿田彦珈琲のカフェラテを気に入っています。

朝に吞むと元気が湧いてきます;。

猿田彦で思い出したのが日本神話です。

サルタヒコ、またはサルタヒコノカミは、日本神話に登場する神。

『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する(『日本書紀』は第一の一書)。

天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神。

『古事記』では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記する。

伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。

猿田彦伝説から命名したんでしょうかね。

ちょっと調べて見ます。

https://youtu.be/rXDLrSE0Tp0

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富山の薬

秋深く 今年も来たぞ 薬売り 土産わくわく 童あつまる


昭和40年代、岩手の田舎では、各集落に薬売りがやってきました。

決まった時期に来ていたように思います。

ある時は一泊して言ったように思います。

薬売りのことは「とやま」と言っていました。

先用後利や富山の薬売りのことは、後日知ることとなります。

日本の先人が考えた、素晴らしい仕組みです。

富山の薬売りは、販促品に珍しいおもちゃをくれた物でした。

それを目当てに、近所の子供達が自然と集まります。

今の日本に大切な何かがあるような気がします。

https://youtu.be/nLOWcmtcVRU

2018年8月 5日 (日)

コーヒーカップ

お気に入りのコーヒーカップ。

名久井焼きです。

三戸地方の焼き物。

なかなか味があります。

コーヒーが間違いなくうまく感じます。

将来のきゃばカフェで使いますよ。

https://youtu.be/rXDLrSE0Tp0

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掛け紙 山口松山堂

駅弁の 集めて楽し 掛け紙に 見つけて思う 松山堂


今は無くなった松山堂の駅弁。

作家の高橋克彦さんは、通算で1000個ぐらいは食べたという噂です。

子供の頃はごちそうでした。

何とか地元の名物には残って欲しい物です。

https://youtu.be/mFTkb4AIS38

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2018年8月 4日 (土)

茄子田楽

江戸人が愛した食べ物。

田楽。

一年を通して食べられたようです。

でも、秋ナスの時期になると、一時的に消費量が落ちたそうです。

主役の座は秋ナスの味噌田楽にに代わったそうですよ。

豆腐の田楽は、東西で串の形が違うようです。

そんな事を考えながら田楽を食べると楽しいですよ。

https://youtu.be/V9zqj0afZHc

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湯桶 角形

蕎麦には欠かせない湯桶。

江戸は円柱形が多い様な気がします。

関西は角柱。

なんとなくです。

どちらも技術が素晴らしいですね。

時代屋では、コーヒーポットとして重宝しています。

https://youtu.be/rXDLrSE0Tp0

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2018年8月 3日 (金)

てうち


「てうち」という言葉を辞書で引きますと「そば・うどんなどを機械にかけずに手で打って作ること」と書いてあります。そんなの当りまえ常識だよと言ってしまえば確かにそうなのですが、言葉というものは時代とともに意味が変わっていくものです。

そばを打つのに使う製麺機は明治時代に発明されました。ですから製麺機発明以前に手打そばというものがあったとしたら「機械にかけずに手で打って作ること」は意味がないことにならないでしょうか?だってそもそも機械が無いのですから、すべてのそばが手打ちということになり、わざわざ手打ちという意味が無いですよね。

じつは、「手打ち」という言葉は製麺機が発明される何百年も前からあったのです。

■ 江戸時代に手打ちという言葉が何を意味していたのか?

江戸時代に「手打ち」という言葉が何を意味していたのでしょうか。江戸時代の言葉ですから、江戸時代の言葉を解説した辞書を見るべきと思い、『江戸語辞典』(東京堂出版)を見てみました。すると・・
 [手打蕎麦]
 手を下して作った蕎麦

とありました。江戸時代ですから、さすがに機械がどうのこうのという説明はありませんね。しかし、手を下すって誰が?手を下すってどういうこと?と疑問がわきませんか。

■ お手討ちそば?

『蕎麦と江戸文化』(笠井俊弥)という本には「手打ち」の語源として手討ち説をあげています。

手討ちというのは、殿様が、「無礼者じゃ、切り捨てぃ!」と家来に命じるのではなくて、「無礼者そこへなおれ!」と自分で刀を抜いてみずから手を下すことです。

そこから、お侍さんが刀ならぬ包丁を持って、みずから蕎麦を打つことを、しゃれで手打ち蕎麦といったようです。

江戸時代の川柳で「手打ちそば下女前垂れを借りられる」というのがあります。おさむらいさんが、いまから蕎麦を打つからといって下女の前垂れ(エプロン)を持って行ってしまったといった、というような様子を詠んだものなのでしょうね。落語の『そばの殿様』みたいなことは本当にあったようです。

今でいえばサラリーマンが趣味でそば打ちをするようなものですが、武士の趣味であるがゆえに手打ちという言葉には高尚な雰囲気がありました。「手打ち」を看板にするそば屋も現れますが、これには、ウチのそばは屋台なんかの二八そばとは違う高尚なそばなんだよ、っていう差別化戦略があったようです。

ちなみに、現代では「手打ち」の反対語は「機械打ち」ですが、江戸時代には「手打ち」の反対語は「二八」でした。

参考資料 : 
蕎麦の事典(新島繁著 柴田書店) 
蕎麦と江戸文化(笠井俊彌著 雄山閣出版)
江戸語辞典(東京堂出版)


https://youtu.be/F24AvHWnpmY


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江戸期の看板は楽しい

江戸期の看板です。

鎌と漆椀が描かれています。

判時絵で「かまわん」という意味ですね。

「かまわん、はいれ」という看板だそうです。

蕎麦屋で使われていたと何かで読んだ記憶があります。

時々どきヤフオクなどでも見かけます。

収集したい品物です。

https://youtu.be/VA1b9nhRkZQ


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真夏日

真夏日の 朝に聞こえる 蝉の声 身に応えるか 今日の暑さ 


今朝から気温が上がっています。

蝉も鳴いています。

今年の暑さはモウレツです。

岐阜は40度越えのようです。

熱中症注意ですね。

https://youtu.be/IAUyRUPdbMo

2018年8月 2日 (木)

古道具

岩手北部から集めた古い刃物。

その用途が分からず・・。

たぶん漆掻きに関連した道具と予想しています。

数人の古老から聞いてみましたが、用途が解りません。

やっぱり修理には漆を使います。

固まったら、本当にビクともしません。

国内には、1000年以上前に漆で修理した陶磁器が存在します。

現在の最高水準の接着剤が、1000年後にも接着しているという証明まで1000年必要です。

その意味で、世界最高の接着剤は漆と言うことになります。

日本の金箔文化は、漆が無いと成り立ちません。

金閣寺も漆が無いと金箔を貼ることができないのです。

金閣寺が炎上した後、修理でベトナム漆を使ったそうですが、数年で駄目になったそうです。

ベトナム漆が駄目なのではなく、適材適所に使えば問題ないようですね。

金閣寺も国産漆を使ったら、きれいに丈夫に直ったようです。

日本国内で必要としている漆の10%ぐらいしか自給できません。

国産漆を使いたいのだけど、値段と供給量で難しいと聞きます。

国産漆の増産は意外に難しそうです。

日本の技術の伝承の意味でも、ぜひ漆器をお使いください。

https://youtu.be/kQzhcF6JXiM

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2018年8月 1日 (水)

鉄鉢椀 100年前の製品

コレクションを放出です。

堂々とした風格の浄法寺椀です。

伝統的な形状です。

100年以上前の古漆器を塗り直しました。

撮影のために開封しました。

長年使っているうちに、漆独特の光沢が出てくることでしょう。

送料は全国一律700円です。

大きさは直径12cm、高さ8cmです。

新品だと、各地の漆器店で1万円以上の品物です。

https://youtu.be/aTrUZg95TXw

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漆桶

漆の入った器の再利用です。

紙製ですが、これに漆を塗るととても強く水漏れしません。

氷を入れてワインや日本酒を冷やしても面白そうです。

生け花に使っても良いですかね。

製作途上ですが、桶は5個あります。

嫁ぎ先探していますので、ご希望の方はお気軽におといあわせください。

https://youtu.be/0yAlJ5_8G0Q

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時代椀 溜 浄法寺塗 浄法寺漆器 お椀 民芸 民藝 きょうの料理

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(2018/8/1 08:50時点)
感想(1件)


日本の老舗は世界一

日本の門前町には、団子を商って数百年生きてきたお店があります。

素晴らしいですね。

つい30年前の日本には、駄菓子を商って生きて行ける田舎の商店がありました。

地元の豆腐屋さん、大手の食品会社に凌駕されました。

そろそろ日本人は気づくべきでしょう。

団子でも食べながら、企業のあるべき姿を語りましょう。

https://youtu.be/NZ4MkQWXyWk

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