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2018年8月23日 (木)

箕をつくるむら

面岸というむらがある。

現在は88戸、明治の中頃には32戸だったという。享和三年ごろの村には30戸、人口80余人と南部叢書に書かれている。同書に、「木皮をもって箕を造る。世を挙げてこれを面岸の箕という。所謂この地の名産となすとある。

この村は、東北本線の小鳥谷駅から姉帯までバスで行き、あとは山道を歩かなければならない。南部叢書には「山中の面岸村、上り坂なり、嶺上は八戸境西南の間冬部野道なり、大豆食坂左右は連山にして、雪中は行路絶ゆ」と記してある。

十年ほど前に自衛隊の手によって車が通れるようになったが、それ以前までは享和そのままの道であったに違いない。古老のいうところによると、昔は全戸が箕をつくっていたという。現在は17戸ほどに減った。この村に住んでいる男たちは、十五才になると箕を造り始め、ふつうは一日一枚、まれに二枚造るものもあった。一年で300枚造った人もいる。

箕をつくる材料はサルナシである。これを伐り取って大きな共同の釜で蒸して使う。できあがったものは、飴色の見事なものである。この村の男たちは、この箕つくり技術を身につけて、代々伝承して生涯箕をつくる。箕を売りに出るのは、一般の農家が必要とする七月頃からと、盆と正月とである。十枚くらい担いで近所の町や村の市日の日を選んで出かける。しかし販路は広く、県内はもちろんのこと鹿角や三戸・八戸など旧南部領全域にわたる広大なものであった。

昭和の初めころにこの村の古老が唐箕というものを見てその便利さに驚いた。そして、村で二台買い求めて、上部落と下部落に置いて共同で使うことにした。この便利な唐箕によって、自分達のつくっている箕の売れ行きがわるくなることを恐れたが、影響が亡かったので、大いに安心したという。

面岸部落は親戚縁者で成り立っていた。嫁が実家に泊まりに行くときも、帰って来たときも、一言も挨拶をしないことがあたりまえであった。嫁の姿が見えなくなると、「実家に泊まりに行ったろう」というのがしきたりのようであった。

男は年中箕をつくっているので、百姓仕事は女手によらなければならない。だから女たちは「オナゴとベゴは働いていればいい」といわれている。婚姻圏がこの村に限られるというのは、箕を作りの技法が他に洩れることを極度に警戒したためといわれている。そんなことから、他の社会との交流が全くないため、近隣の村からは「面岸のマス」と軽蔑されていた。

面岸には小さな流れに沿って細々とした帯状の水田がある。それに畑がある。が、これらによっては生活ができなくなって、みんな出稼ぎということになった。十年ほど前に、他の村に嫁いだ娘がいる。この村はじまって以来の伝統が破られたのであった。

https://youtu.be/qyQcpn8Y4SY

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