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2018年8月26日 (日)

天台寺

天台寺。

宗派そのものを名乗る寺院は珍しい。

他にはあるのだろうか。

天台寺は岩手県二戸市浄法寺町にある。

平成18年の市町合併前は岩手県二戸郡浄法寺町であった。

旧鹿角街道、県道6号から安比川を渡り山道を登ること5分で桂の大木と冷たい清水に到る。

霊山と呼ぶにふさわしい雰囲気が漂う。

ここから先の参道を登る。

急坂の参道は仁王門に向かってまっすぐに伸びている。

昭和20年代までは「参道の両側に直径2メートル前後の杉の大木が立ち並び、昼でも電灯がほしいと思った」と古老は語るのであった。

昭和28年から行われた「霊木伐採事件」により往事の面影は失われたが、昭和50年頃からの復興運動により少しずつではあるがかつての偉容を取り戻しつつある。

昭和45年に天台寺を訪れた北海道宗教古美術研究会代表の森川不覚氏は、機関誌に荒れた様子を投稿している。

「無残な寺の姿に腰が抜けそうになった。切株の年輪を数えたら比叡山や高野山と同じ年輪の杉の大木あったとわかり、残念さがこみ上げ、伐採した心ない人への怒りを覚えた」

仁王門の左右に立つ仁王像も痛々しい。

鼻や指が欠け、胸と膝には激しい斧の刃跡。腕と足首は鎹で接ぎ合わさっている。

明治3年12月に青森県の官吏が廃仏毀釈政策を実行した際の破壊の痕跡だ。
この時期に大部分の仏像は破壊されたと伝わる。

この当時、二戸地域は青森県に属し岩手県への編入は明治9年まで待たねばならない。

この仁王像は運慶作と伝えられる。

その真意はともかく、こうした文化財が失われなければならなかったことが残念である。

仁王は病気を治すと信じられ、患部と同じところに白い紙が貼られている。

長年続く庶民信仰である。
 
仁王門を抜けると本堂にたどり着く。

「本堂を中心に寺はうっそうと茂る杉はやしの中にあり、昼でも本堂は日光を遮られてぼんやりとしか見えなかった」とかつての威容を知る人々は語るのであった。

天台寺には長慶天皇に関する伝承も残されている。

古くから「おやまさかり」として親しまれてきた天台寺のお祭りは、桜が満開の5月に春の大祭が、稲刈りが終わる10月に秋の大祭が行われます。

例大祭の呼び物の「神輿渡御」は長慶天皇の葬列を模したものといわれ、三角の紙を頭に着けた男たちの神輿行列が歩く。

独特の厳かな雰囲気が漂うこの葬列は、吉野を追われ海路みちのくへ逃れ天台寺で没した南朝時代の3代長慶天皇の法要と伝わる。

にぎやかなかけ声もなく、静かな太鼓の音とともに境内を三度回りものである。

仏像マニアにも知られているようだ。

木造十一面観音立像、木造聖観音立像(桂泉観世音) -像表面の大部分に規則的なノミ痕を残して荒彫り風に仕上げた、いわゆる「鉈彫」の典型的作品で、平安時代、11世紀頃の作と推定される。

知り合いの仏像マニアに言わせると、松島の瑞巌寺、平泉の中尊寺と毛越寺、山寺こと立石寺、そしてこの天台寺が東北の名刹だそうだ。

しかし、天台寺の知名度は低いのだ。

境内で骨董品でも商いながら、お茶や蕎麦を提供しながら、天台寺研究ができたら面白いだろうな。

https://youtu.be/5QbPi9_Y3EQ

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