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2018年9月 9日 (日)

南部枡

10年ぐらい前にインターネットで見つけた記事を残していました。

ネタ元のURLは、残念ながら失念してしまいました。

メモによると、盛岡藩は江戸時代には全国の半分以上を漆を生産したそうです。

生産の半分は運上金として藩に納めさせ、後の半分を物産問屋の下で、荷造樽を馬や引き舟、河川船、渡海船などの流通ルートに乗せ、江戸や大坂などに送ったとあります。

これらの過程で、江戸着の目方が7%減ったとの問屋からの申し出があり、独特な計量管理の跡も残ります。

揆籌という独特の枡があったとも言われ、盛岡藩(八戸・七戸藩含む)で使用された南部枡の規格を表す文書に記録されています。

一合二勺五才は、方形三寸二分、深さ 一寸

二合五勺は、方形三寸七分、深さ一寸五分

揆籌規格の枡は、今のところ現物は見つかっていませんが、明治生まれの古老達は、普通よりも大きい升があったことを語っています。

平べったくて、容量も普通より約27%も多く入り、幕府容認の盛岡藩特有の枡であったようです。

漆は取引の段階では重量(目方)だが、藩の運上金納入記録は盃(杯)が使われてたようです。

霊前などに供える「一杯めし」は二合五勺で、山盛一杯の意味が含まれると言われます。

「一杯めし」を普通の枡で精米を計ってみると、約25~6%多くなり、揆籌規格の枡が基準になっていたかもしれません。

「盃」は、藩の取り決めで、次のように使用細目を決めていました。

「生漆」計量の場合、

(1)一盃の目方三二〇匁

(2)百盃の目方三二貫

(3)一駄 百盃入れ一つ

(4)一盃の値段九百文


「精製漆」計量の場合

(1)一盃の目方百六・七匁

(2)百盃の目方一〇貫六六七匁

(3)三百盃の目方三二貫

(4)一駄 百盃入れ三つ

これらから見ると、精製漆の比重は、三分の一になります。

南部枡の始まりは以下のように書かれています。


 南部大膳太夫領内通用舛、寛文八年五月津留書上之節、岡田豊前守

 様え御届申上候通、京舛通用仕候、尤、従京都差下候舛にては、領

 内手廣に付、末々迄行届兼、往古より舛方役人并職人共迄申付置、

 京舛本形に仕、入目相改仕足舛申付来候、以前之儀は相知不申候得

 共、天正年中より慶長初迄、越前国新保罷有候久末長右衛門と申者

 え、京都・大坂用事頼候付、京舛為相調差下候得共、前書に申上候

 通、手廣にて領内中行渡兼、右舛本形に仕、仕足舛申付用ひ来候得

 共、東照宮御治威己来御当地舛を本形に仕、当時共舛方役人共え為

 遂吟味、仕足舛申付儀、寛文八年津留等書上候己後、同年七月故大

 膳太夫重信参勤仕候節、前書之通往古より仕足舛申付来候趣、御面

 談御届申上候之処、御聞届被置候、舛恰好之儀は、往古より仕来之

 通、只今共に不相替申付置候、入目之儀は、本形舛之通相違無御座

 候、舛恰好并焼印共に、絵図之通御座候、以上、

   安永五年九月    



漆に関しては、現在の精製業者から聞くと、感覚的なものだが江戸時代の文献に間違いないそうです。

南部枡の始まりは以下のように書かれています。

南部枡の実物を見てみたいです。

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