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2018年11月28日 (水)

爺ちゃんから聞いた話

秋から初冬にかけて集められた漆の実は、果肉と種子に分けられる。蠟分が含まれるのは果肉の部分である。これをさらに搗いて粉状にして蒸す。

蒸し上がったら蝋袋に詰める。蝋袋は竹で編んだ籠状のものである。二戸地方では竹製の籠だが、会津地方では麻袋がつかわれた。

約四〇センチ角に長さ約三メートルの胴木が蝋締めの中心になる道具である。中央部に長方形の穴が開いている。この穴の上に蝋袋を置き、安定させるために蝋袋の両側にコマを配し挟む。さらにコマの外側にヤ(クサビともいう)を差し込む。胴木の両端に若者が立ち、重さ二〇キロもある木槌を振り上げてこのヤを打ち込むと、その圧力により蝋袋の漆の実の粉から蝋が絞り出される。胴木の下に箱を置いてこれを受け、しばらくすると箱の中で蝋は冷え固まりとなる。

現在、岩手県北で実際に蝋燭を作っていたという明確な証拠は残っていない。蝋燭そのものは浄法寺町の旧家から見つかったものが浄法寺町立歴史民俗資料館に展示されている。二戸市の黒沢家には「御用御蝋燭屋 伊勢屋助右エ門」という看板が残る。また、一戸町には蝋燭屋という屋号の戸田家がある。ここには蝋燭作りの道具が数点残っていたから、蝋燭屋は販売よりも蝋燭製造から出た屋号でると思われる。

戸田家の蝋燭販売圏は岩手県北から青森県南だったという。これ以外には今のところ、道具の一部を伝えている家が数軒あるのみである。この地方で蝋燭作りはそれ程盛んに行われていたような形跡がない。

一戸町の田村家に嘉永二(一八四九)年に盛岡藩が出した胴木の鑑札が残っている。蝋燭作りはあまり盛んではなかったが、蝋締めは盛んだったと思われる。蝋燭に加工して売り出すのではなく、蝋を固まりを出荷したのであった。

https://blogs.yahoo.co.jp/michinoku2005

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