« 高山党 | トップページ | 五戸の菊駒呑みながら執筆 »

2018年12月16日 (日)

浄法寺氏を考える 藤岡市

浄法寺氏を考えるうえで参考になるサイトです。
群馬県藤岡市も浄法寺氏を考えるうえで重要な場所です。

http://www.geocities.jp/tsukayan0112/jyoukan-gunma/jyouhouji-jou-fujiokasi-oisi-gunma/jyouhouji-jou-fujiokasi-oisi-gunma.html

 山崎一氏は浄法寺城については、山城としての三ツ山城、金鑚御嶽城を防御ラインとした地域城という見解を示しています。これによりますと古くは浄法寺氏(浄法寺左近大夫)、後に平沢氏(長井氏)、西上州地域に武田氏の支配が及んでいたころには信濃佐久を本願地とする依田氏がその支配に関わったと推定されるのが通説のようです。(「日本城郭体系 4」より)
 しかし、浄法寺氏の事跡については南北朝期に高山・小林一族ととも足利方に加わったとされているほか、のちに戦国期の「安保文書」に断片的に登場しているもののかなり不明な部分が多いものと思われます。また武田氏・後北条氏勢力の間隙を縫うようにして登場し神流川右岸一帯を中心としてその支配下に収めていた平沢氏についても、何通かの所領安堵状が残されているほかは、長井斉藤氏の系譜であることを示す系図が存在するというものの他にその出自を示す明確な史料は見当たらないとされています。
 さらに、依田氏(はじめ芦田氏、のちに松平姓を賜る)についても関ヶ原の合戦以前に早々と歴史の表舞台から姿を消し去っていることもあり、芦田川屋敷の伝承と関東入府にあたり徳川家より藤岡城主として3万石を拝領したという以外にはこの地域との関わりを如実に示す史料が十分に残されているとは言えないものと考えられます。

C0299631_07445893_2


« 高山党 | トップページ | 五戸の菊駒呑みながら執筆 »

二戸地方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 浄法寺氏を考える 藤岡市:

« 高山党 | トップページ | 五戸の菊駒呑みながら執筆 »

ウェブページ

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31