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2019年1月13日 (日)

思い出の昭南博物館

昭南島物語

シンガポールは、昭和17年(1942年)2月から終戦までの3年半、日本軍が占領しますが、日本軍の占領と同時に、ラッフルズ博物館が改名され、「昭南博物館」と呼ばれるようになりました。

日本軍の占領で、それまで植物園や博物館に蓄積されてきた、標本や論文、それらの文化財を、壊されるのではないかと危惧したイギリス人学者がいました。ケンブリッジ大学で、生物学を学び、卒業以来シンガポールに移り住んで植物園や博物館で、研究を続けてきた、E・J・H・コーナー博士です。

そのような状況のとき、シンガポールの文化財を守るため、日本から一人の学者がやってきました。東北帝国大学で、地質学を研究していた田中舘秀三博士です。彼は、陸奥国福岡の生まれで、田中舘愛橘博士の娘婿でした。

当時、「マレーの虎」という異名で恐れられていた、現地指令官・山下奉文将軍に直接談判し、天皇陛下が、博物学に理解が深いことを引き合いに出し、博物館館長になることを認めさせます。こうして田中舘博士が中心となり、日本人学者とイギリス人学者の、協同研究が始まったのです。

田中舘は、無給の館長であったばかりでなく、私財をはたいてコーナー博士ら、イギリス人学者や現地人を雇用します。田中舘博士の働きがなければ、ラッフルズ博物館の文化財は、破壊されたはずです。

戦争という苛烈な状況下で、国籍を超えて博物館や植物園を、守り抜いた人たちがいたことは、コーナー博士は、思い出の昭南博物館(石井美樹子編訳、1982年・中公新書)の中で、きちんと書き残してくれています。

ぜひ、二戸地域の方々の必読書にして欲しいですね。


Omoide




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