木製蕎麦猪口
濁酒を飲むための器を、浄法寺地方では「こぶくら」といいます。
古い「こぶくら」を、会津の木地師から復刻してもらいました。
塗は浄法寺の若手にお願いし、二年寝かせてしっかりした器になりました。
爆発的な人気は出ませんが、根強い愛好者がいます。
有難いことです。
この度、脱サラで蕎麦屋を始める方から、サンプルとして問い合わせがありました。
採用していただければ良いのですが!
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濁酒を飲むための器を、浄法寺地方では「こぶくら」といいます。
古い「こぶくら」を、会津の木地師から復刻してもらいました。
塗は浄法寺の若手にお願いし、二年寝かせてしっかりした器になりました。
爆発的な人気は出ませんが、根強い愛好者がいます。
有難いことです。
この度、脱サラで蕎麦屋を始める方から、サンプルとして問い合わせがありました。
採用していただければ良いのですが!
本来であれば、今の季節はもっとも寒さが厳しい時期です。
山あいにある二戸地方でも、厳冬期に仕込むしみ豆腐作りが盛んに行われています。
各地で、朝から豆腐を外気にさらす作業が見られます。
地元産の大豆で作った豆腐を切り分け、急速冷凍した上、12個ずつひもで結んで一連とします。
網で囲んだ小屋に運んでつるし、じっくりと水分を飛ばすと、凍み豆腐が出来上がります。
この仕込み作業は間もなく終わり、北国にも春が訪れます。
食事処 長瀬屋
ご主人が改良を続ける食堂
食事処 長瀬屋
魚介たっぷりの名物タンメンがおすすめ。昭和52年かいぎょうです。元は洋食屋さんでしたが、お客様の要望にこたえて、徐々に和食やラーメン、そば、うどんなどメニューを増やして現在の姿になったそうです。
約60種類ある、どのメニューでも手を抜かず、ソースは一から手作りする美味しさを追及したオリジナル。料理も改良を重ねています。店を代表する「長瀬屋タンメン」はムール貝やムラサキイカなどの魚介がたっぷり入った塩味。一般的なタンメンとは一味も二味も違う長瀬屋の味です。
冬になると、肉鍋定食が食べたくなります。カツカレーもおすすめの味です。
お店からのメッセージです
お客様に満足していただけるような品揃えを目指して、色々と試行錯誤を繰り返してきました。ちょっと珍しい生ハムサラダに使用している和風醤油味の生ハムなど、自分たちでより美味しいものを選んでご提供させていただいております。
岩手県二戸市堀野字大川原毛105-1
営業時間
定休日 水曜
TEL 0195-25-4944
FAX 0195-25-4944
駐車場 あり /20台
最大人数 48人
おすすめメニュー
・長瀬屋タンメン 1000円(税込)
・カツカレー(サラダ付き) 1150円(税込)
国産鶏肉 ささみ 2kg ササミ 冷蔵品 あべどり 十文字鶏 業務用 特選若鶏 ブロイラー
北海道から「モツ蕎麦」が送られてきました。
やっぱり美味い。お勧めです。
次回は絶対に現地で食べたいです。
機会があれば、この味を二戸でも広めたいです。
まずは、信者を地元で増やします。
もちろん、器は漆器です。
モツ蕎麦を食べる会結成か。
結婚式の二次会の景品にも! 山梨 マルト甲府鳥もつ煮詰合せ 景品パネル+引換券付き目録
ブログで知り合った木地屋さんから、椀木地を作ってもらったのが6年前。
木目が美しいですね。
数年寝かせたので、木地も落ち着いていい雰囲気になってきました。
春になったら、漆を塗ってみたいと思います。
どなたか、使ってみたいと思う方が出てくればうれしいです。
落語の「時蕎麦」は何度聴いて良いですね。
浄法寺の婆ちゃんが作る蕎麦を食べ拓なりました。
祖母世代が、どんどん少なくなっています。
どうも母親世代の蕎麦より、祖母世代の物が好きです。
煮干しとクズ野菜、そして鶏ガラベースの出汁。
本当に美味いです。
熱い蕎麦は、漆器でいただきたいです。
大好きな「美の壺」に、二戸を代表する企業「南部美人」登場です。
日本酒の可能性が語られていました。
ともかく、良い話題で二戸地方が宣伝されることは良いですね。
漆器と日本種の組み合わせも良いですから、ぜひ日本の漆器を見直してほしいです。
浄法寺の「こぶくら」を普及させましょう。
銀盤酒造 純米大吟醸 播州50 箱無 [ 日本酒 富山県 1800ml ]
奈良時代の大宝元年(西暦701)に施行された「大宝令」により、大蔵省に設けられたのが「漆部司」です。漆部司は、長官(かみ)・判官(じょう)・主典(さかん)の職員が置かれ、その下には塗部20人、使部6人が配置されました。
大同3年(西暦808年)には、中務省の内匠寮が配下の画工司と大蔵省漆部司を併合します。当時の職務内容は、「内」の文字から連想されるとおり朝廷の漆器需要に応じるためのものであり、十五業種の工人120人を抱えるほどでした。
これらの工人は、官営仏寺建立に伴う需要の増大や、院宮王臣家や富豪貴族層などから漆器需要に応えるためのものです。彼らが残した奈良時代から平安時代の美術工芸品や建造物を、現在の我々は重要文化財や国宝などによって知ることができます。その技術力の高さには目を見張るものがあります。
この時代の法華寺金堂の造営、近江の石山寺造営などに多量の漆が使われた記録が残っています。大日本古文書には陸奥守から漆を仕入れた記録が残されています。買い入れたのは造東大寺司であり、陸奥守は藤原仲麻呂の三男でした。もしかしたらこれらの漆も浄法寺周辺のもの・・と考えれば、大いに歴史のロマンを感じます。
書庫(単なる物置)に積み上げている本の中から出てきました。
昭和時代に出版されたものです。
読んだことがあったかどうかは記憶にありません。
中身をサラッと見てみましたが、けっこう興味深い内容です。
探せばこの種の本が各地で埋もれているはずですね。
埋もれている資料を探し出したいです。
各種書籍は捨てる前にお知らせください!
南部美人 純米吟醸 1800ml 岩手の日本酒
ツードアという不思議な名前のお店です。
チョコレートと南部せんべいのコラボが知られています。
ツードアの由来は「二つの戸」です。
二つのドアで二戸になるそうです。
ぜひ美味しいチョコ南部をいただいてください。
北海道の南富良野のカレーのおいしいカフェです。
元気なころは何度か行きました。
還暦までの目標として、自転車で行くことです。
それが無理なら、交通公共機関と徒歩。
地元でも、このようなカフェを作りたいと思いますが、夢ですかね。
浄法寺地域周辺では、古来より浄法寺の一地域と見られていた岩手県八幡平市(旧安代町曲田遺跡)で縄文時代後期の漆壺土器が出土しています。曲田遺跡は安比川流域で古代より同一圏域と考えられている地域です。
一方、浄法寺を流れる安比川下流域の青森県八戸市では是川遺跡をはじめとして多くの遺跡から、他地域を圧倒する数の漆芸品が出土しています。これらの事実は何を物語るのでしょうか。
中世以降の資料によれば、浄法寺を含む二戸地方が隣接する九戸、三戸、鹿角などに比べて特段に漆の木の生育に適した地域であり、国内においても特別な地域であったことが立証されています。日本の北緯40度の安比川流域一帯は、悠久の昔から漆という植物によって日本の縄文文化を支えたのかもしれません。
そうすると、平泉の藤原氏が古代豪族の安部氏の血を受け継ぎ黄金文化を創った背景には、浄法寺地方の漆があったという説も現実味を帯びてくるのです。近年の調査で、安部一族の古来の本拠地は安比川流域であり、「天台寺」創建や「安比」地名の由来に関連付ける説が提唱されています。
https://airinjuku.jp/joboji/joboji-nuri/joboji-15.html
三戸地方の修験道場を昨年秋に訪問しました。
そこで発掘した古椀がとても素敵です。
名久井岳の麓の修行僧が使っていたと思われる椀です。
100年は経過していると思われます。
形、椀の収まり、塗りとも申し分ないものです。
補修がありますが、このままで使えます。
塗り直せばとも考えますが、個人的にはこのままでも良いと思ってます。
漆の質も良さそうです。
https://airinjuku.jp/index.html
★リピート3年連続1位!あの時食べた大きな ホッケ 開き干し 4尾セット ( ホッケ ほっけ 法華 しまほっけ トロほっけ )
隣町の素敵な風景。
どんどん町から書店が消えて行っています。
喫茶店など一緒に経営出来たら面白そうです。
貸本喫茶なども面白そうですが、田舎で需要があるかどうか?
挑戦してみる価値はありそうです。
この頃はミルクティーを飲むことが多いです。
紅茶の葉には特にこだわりはありません。
というよりも、一般に売っているティーパックです。
でも牛乳にはこだわっています。
あまり牛乳味が強いと、個人的には何となくダメです。
地元の奥中山高原牛乳がちょうどいいです。
奥中山高原では、ほかにもチーズなどの乳製品が作られています。
国道4号線、八戸や盛岡から1時間。
スキー場などもあり、結構楽しめる場所です。
浄法寺地方で濁酒を飲む器を「こぶくら」と呼びます。
古い「こぶくら」を、会津の木地屋さんから復刻してもらいました。
それで飲む日本酒が美味いと好評です。
蕎麦猪口としても良さそうです。
ぜひ使ってみてください。
岩手椀 お椀 碗 飯碗 汁椀 漆器 浄法寺漆 国産漆 高級 木製 日本製 (大 外黒内朱)
高校生の頃に買い逃した本。
ヤフオクで落札しました。
このごろは、古書をヤフオクで購入することも意外に多いです。
明治の先人が下記の残してくれた、何気ないことから、地域の歴史を想像することが好きです。
そんな、何気ないことを拾い集めて、後世に伝えたいと思っています。
今の時代は電子書籍での出版であれば、ほとんどリスクなしで出版可能です。
出版した際はよろしくお願いします。
昨日に続き、おやつにチョコ南部をいただきました。
いまや二戸の名物になった感があります。
南部せんべいの歴史を辿ると、古代イスラエルに行きつくとの説もあります。
時間があったら調べてみたいと思います。
二戸に来たら、ぜひご賞味ください。
いつも見慣れている「岩手県北バス」の車両。
バス旅行マニアから問い合わせがありました。
まずは画像が欲しいということで送りました。
春になったら久慈の駅弁を食べにバスで行きたいそうです。
久慈のウニは以前から食べたいと思っていました。
バス旅行も、ぜひ行きたいです。
昨日の昼はイワチクのジンギスカン。
ネギの葉っぱをたくさん入れて作りました。
焼いて汁が出たら、中華麺を入れて焼きそばにしてもおいしいです。
二戸は羊飼育では先進地です。
当時は毛糸をとるためでしたが、今では食用で飼育もよさそうです。
除草の目的で飼育するのもどうでしょうか。
【最高級 ラム 北海道】味付き ジンギスカン 1kg 【2kg注文で】1kgオマケ【3kg注文で】2kgオマケ(BBQ)
以前は、古代中国の殷王朝(紀元前1600年頃 - 紀元前1046年)の古代遺跡から漆器の一部が発掘されていたので、漆器は古代中国文明が発祥地で、漆器の技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていました。
ところが、日本の縄文時代前期の遺跡から漆製品が見つかり、さらにDNA分析の結果、日本のウルシの木は日本固有種であることが確認され、漆器の日本起源説も主張されるなど漆器の起源については議論が続いています。我が国では、朱の漆器は縄文前期、黒の漆器は弥生期から作られていたことが各地の遺跡からの出土品によって証明されているようです。
現在、世界最古の漆は、約7000年前の古代中国揚子江河口にある河姆渡遺跡から発見された漆椀とされています。日本で最古は約6000年前、鳥浜遺跡から出土した朱塗りの櫛で今後の調査発掘が期待されます。平成12年には北海道の大船遺跡で約9000年前の地層から漆の副葬品が出土しましたが、火災により焼失してしまったようです。この副葬品に使われた漆が大陸から渡ってきたものか、日本固有種かは不明ですが、古くから日本国内で漆が使われていたのは間違いないのです。
考古学の世界でも「漆」が注目されています。石器の矢尻を木や竹の矢柄にはめ込み、はめ口を藤蔓などで縛りそこを漆をしみこませて固めたものが発見されます。。漆がしみ込んだ部分だけが腐らず、矢柄の材料を知る貴重な手がかりになっているのです。
それにしても、漆という樹液が乾燥することにより比類なき強度に達するという特性を誰が発見したのでしょうか。
道の駅「あつみ」から美味しそうな画像が届きました。
間違いなく美味しいはず!
酒田や鶴岡はとても魅力的な場所です。
北前船が運んだ古道具などを探してみたいです。
ヨーロッパの漆芸を指導した菅原精蔵は酒田の人です。
彼はヨーロッパでは浄法寺から来た漆職人として知られています。
そのことも調べたいです。
橋本屋食堂 隠れ家キッチンSORAで豚タンのタタキをいただきました。
ビールと一緒にいただきましたが、最高の組み合わせです。
外食で消費税10%。
国の政策は、絶対間違っています。
減税をして、どんどん外食をしてもらう政策をとるべきでしょう。
本当はマスコミに突っ込んでほしいところですが、増税を免除された業界ですから無理ですかね。
岩手県産純情豚 愛海(めぐみ) ももブロック 350g×2パックセット いわちく
漆はウルシノキから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料です。
ウルシノキから樹液をとることを「漆掻き」「漆を掻く」と表現します。現在、国産漆の60%以上は岩手県二戸市浄法寺町を中心とした地域で産出されています。他の国内産や外国産の漆に比べて、「浄法寺」の漆はウルシオールの含有率が高く品質も優れているそうです。しかし、国産の漆の生産量はごく僅かで大半を中華人民共和国などから輸入しているのが実情です。
英語で、磁器をchinaと呼ぶのに対して漆器をjapanと呼ぶことがあります。一般的には「ウルシラッカー」で通じるようですが、漆は欧米では日本の特産品と考えられています。
(実際は漆器をjapanとは表現しないようです)
https://airinjuku.jp/joboji/joboji-nuri/joboji-13.html
復活 その3
座敷童子で知られる金田一温泉は、昭和40年代に金田一温泉と命名されましたが、それまではなんと呼ばれていたでしょうか。
漢字二文字で○○温泉と言われていましたと。
答えをお分かりの方は、メールでお答えください。
締め切りは令和2年1月15日とさせていただきます。
メールはこちらのサイトからお願いします。
答えは公開しないでください。宜しくお願いします。
40年前の画像が出てきました。
これに写っている生徒も50歳を超えていますね。
ついこの間のようですが、時間の経つのは早いと思います。
経営母体も変わり、駅名も変わってしまいましたが、これからも利用してほしいものです。
金田一温泉をご利用ください。
駅弁ひとり旅 : 12 (アクションコミックス)
友人からいただいた濁り酒。
新潟産です。
すぐに飲みたいのですが、週末まで我慢します。
瓶収集家としては、このラベルがうれしいのです。
各地の酒瓶を100本並んだら、間違いなく壮観です。
週末が楽しみです。
【2019年新物】菊水 五郎八 ごろはち にごり酒 甘口 1.8L 新潟県 菊水酒造 一升 1800ml 瓶 日本酒 清酒 濁り酒 長S
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(2020/1/8 19:54時点)
感想(0件)
古式浄法寺塗の最大の魅力はその絵付けにあります。施された漆絵は大らかで時として稚拙と表現されます。他の漆器産地ではあまり見ることのできない精神性の高い紋様が特徴です。古式浄法寺紋様として描かれた漆絵は、家紋や草花文、熨斗文、鶴亀文から、大津絵や古九谷の紋様につながる暮らしの歳時記がのびのびと描かれています。
江戸期の商人たちの手により、北海道のアイヌとの交易品として使われ、アイヌ民族では「イタンキ」と呼んで神事に欠かせない器となったのも古式浄法寺紋様で描かれた漆器です。また、アイヌたちはアムール川流域の山東人達ともイタンキを使って交易し、現在でも時々ロシアでは古式浄法寺紋様の漆器が発見されるようです。北方の民族は、驚くほど古式浄法寺紋様の漆器を大切に扱うそうで、その精神性は青森県の三内丸山遺跡などに連なる縄文文化の魂なのかもしれません。
https://airinjuku.jp/joboji/joboji-nuri/joboji-11.html
マスターの人柄も含めて、何度か足を運んだ旭川のタイムトンネル。
ここのカレーもなかなかでした。
というか、カレー以外を食べた記憶がありません。
何度も行っていたはずなのに、不思議です。
誰かあの味を引き継いでいるんでしょうか。
新品価格
¥93,028から
(2019/12/1 15:27時点)
花巻人形を何個か所有しています。
病気療養中に、物置にしまったままにして痛みが激しくなってしまいました。
割れの補修もそのままにしていました。
どのように補修しようか、並んでいるうちに数年経過してしまいました。
やっぱり漆での修理がいいでしょうかね。
花巻人形を何個か所有しています。
病気療養中に、物置にしまったままにして痛みが激しくなってしまいました。
割れの補修もそのままにしていました。
どのように補修しようか、並んでいるうちに数年経過してしまいました。
やっぱり漆での修理がいいでしょうかね。
二戸出身で東京在住の方から、このサイトを見てと合わせがありました。「二戸郡の名所を紹介した歌があったのですが、分かりますか?」というものでした。追加情報として、「二戸地方の四季」が歌詞にでていたというものです。
それは「二戸小唄」に間違いないと思い、歌詞を思い出してみました。
春は折爪、山から明けて~~。何となく覚えていましたが、全部は思い出せません。調べてみても、完全に最後まで分かりません。高校時代の生徒手帳に、応援歌の一つとしてあったので、必死に探しましたが見つかりません。
そして探す事数日。
やっと見つけました。二戸市の川島一郎しの資料にあったのです。歌詞を見て、名曲だと改めて感心しました。 安代が二戸郡だった証拠です。この歌詞に出てくる名所を巡る企画も浮かんできます。この歴史を大切にしたいものですね。
たしかレコードもあったような気がしますので、気長に探します。
年末に古椀を入手しました。
塗もよく、漆の質もいいようです。
長年使われていたらしく、口縁などに剥がれがありますが、程度よく残っていました。
おそらく明治末期のものと思われます。
当時はある程度の裕福な家で使っていたと思われます。
軽く補修をして使ってみようかと思っています。
「ひっつみ」に合いそうな古椀です。
南部の木地業は古く、二戸郡浄法寺周辺で、平安期高倉天皇の時代頃から南部椀の製作を始めたと伝えられる。浄法寺は天台宗の古刹で、ここで自家用の漆器を作り始めたのが浄法寺漆器の始まりであり、浄法寺御器とも呼ばれていた。後世の浄法寺椀はこの遺制を踏襲したもの。当初は浄法寺周辺で専ら製作されていたが、原木が不足するにおよび、浄法寺川を遡って、荒屋新町、浅沢、赤坂田等で作られた。現在の安比川を、江戸期には浄法寺川と呼んでいたのである。
南部領内ではコケシノことを「キナキナ」と呼んだ。コケシづくりで知られた安保一郎の家は非常に古い木地師で、元禄年間に美濃より秋田県鹿角郡安保へ移動して木地業を営み、後に浄法寺氏の勢力圏だった荒屋地区に移った。享保年間に南部藩より二人扶持を与えられてお抱え木地師となり、盛岡に移住した。
現在では、安代~浄法寺地区でコケシづくりは行われていない。その形跡を長年探しているがみつかっていない。盛岡では、かつてはどの家でもコケシが数体あったと伝わっている。はたして浄法寺で作られたコケシはどんなものだったか興味深い。
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