« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »

2020年2月

2020年2月29日 (土)

桃川

昨夜のご褒美は、桃川の濁り酒。

桃川は、青森県南部の銘酒です。

北海道へのフェリーでは、夜間運航であれば必ず飲んでいます。

しめ鯖を肴に、皆さんもいかがですか。

桃川株式会社
〒039-2293
青森県上北郡おいらせ町上明堂112
TEL : 0178-52-2241
FAX : 0178-52-3145

https://airinjuku.jp/

Dsc_00101

 

2020年2月28日 (金)

桜餅

北海道では新ウイルスが猛威を振るっているようですが、彼の地から桜餅の画像が届きました。


材料がほとんど北海道産です。


桜が咲く季節までにはウイルスを駆逐しましょう。


そして花見をして日本を盛り上げたいものです。


病は気から!


消費税を廃止したら、ひょっとしたらウイルスが終息するかも。


https://airinjuku.jp/


87803672_2562092093919704_77438888915343

かもめの玉子9個入り1箱【岩手の銘菓】【黄身餡入り】

価格:1,215円
(2020/2/27 18:27時点)
感想(2件)



 

2020年2月27日 (木)

柿の種

古いものではありませんが、「柿の種」の缶入りを購入しました。

缶は、当然ながらコレクションです。

知り合いに、お菓子の缶だけ800個ぐらい集めやツワモノがいます。

なつかしいものもたくさんあります。

そんな彼を目指して取集を続けます。

https://airinjuku.blog.fc2.com/

Dscn8401



ボトル入り柿の種お徳用サイズ 【阿部幸製菓】

価格:1,058円
(2020/2/27 18:18時点)
感想(68件)

 

2020年2月24日 (月)

和菓子用フォーク

木製漆器 天然木、漆塗りです。和菓子用フォーク5本セットです。瀬戸内寂聴キャラクターです。

■サイズ:11×2.3cm
■素地 :天然木
格安出品で、送料は当方で負担します。

ボールペンは大きさの参考品です。

ヤフオク出品しています。

Iimg1200x9001578032545ajqndq460817

2020年2月23日 (日)

はち郎の蜂蜜

 一戸の土屋養蜂場の商品名「はち郎のはちみつ」と呼ばれる商品があります。商品名は、土屋養蜂場の創業者の名前に由来します。
 
 晴になると、二戸地方に咲くアカシアや、高原のトチを中心に蜂蜜を集めています。秋はオオスズメ蜂など天敵から蜜を守り、冬は関東方面で越冬させてハチミツは生産されます。
巣箱を作るのも養蜂家の仕事です。養蜂家の努力があって、蜂も元気に活躍できます。

 花の蜜は蜂の体を通して巣箱の中で、まろやかな甘味の、とろりとしたおいしい蜂蜜になっていきます。いろいろなお料理にお使いいただく他に、ジュースや珈琲、紅茶など飲み物に入れたり、パンにつけて食べたり、毎日お召し上がりください。

 淡白で上品な「アカシア蜜」と、香り高い「トチ蜜」とあります。どちらも同価格です。ご注文の際は「アカシア」か、「トチ」か、お知らせくださいとのことです。

 個人的には、パンや南部せんべいにつけて食べています。

https://airinjuku.jp/

 

 

 

2020年2月22日 (土)

昨夜の夕食

昨夜の夕食は「味噌煮込みうどん」です。

 

二食入りで230円。

 

ワンカップをいただきながら、七味唐辛子をたくさん入れて食べました。

 

体がポカポカしてきました。

 

お茶を飲んで一息ついたら、ホームページの更新作業です。

 

わずかですが、更新を楽しみにしている方もいらっしゃるようです。

 

とてもありがたいことです。

 

https://airinjuku.jp/

 

Img_0553

 

 

2020年2月20日 (木)

半分ほど貯まりました

楽天でおもしろいものを見つけました。

お手軽漆芸セットです。

お手軽かどうかは別として、興味のある機械です。

漆の乾燥と言うより、固まるといった方が正解です。

湿度が無いと固まりません。

梅雨時期の環境を作る必要があります。

一か月分の給料ぐらいの価格ですが、何とか半分ほど貯まりました。

頑張ります。

https://airinjuku.jp/

 

 

 

2020年2月19日 (水)

ジンギスカン

知り合いの食堂でラーメン定食始めました‼️


ジンギスカンとライスが付いて950円です。


お昼の営業時間は11時半~14時


橋本屋食堂 隠れ家キッチンsoraです。


二戸は、肉用ではありませんが、綿羊の発祥地です。


その歴史的経緯を利用し、二戸ジンギスカンを発信しましょう。


https://airinjuku.jp/


84836734_511428782708355_879611195442384



 


 

2020年2月18日 (火)

謎の浄法寺漆器

 岩手県を代表する漆器に浄法寺塗と秀衡塗があります。秀衡塗は菱形の金箔と模様が特徴的ですよね。平泉文化を花開かせた藤原秀衡の名が付いている由緒ある漆器です。

 ただ、秀衡塗のルーツとされている「秀衡椀」という呼称は、なぜ「秀衡椀」の名がつけられたのかは分かっていないのです。浄法寺塗は瀬戸内寂聴尼で知られる天台寺がルーツであることが分かっています(これも伝説の域を出ないとの説もある)が、秀衡椀は少し謎めいています。

 中尊寺と天台寺の歴史的関係を考えれば、同じような文様の古い漆器が存在していたことは、歴史的にも何らかの繋がりがあったことを暗示していると思います。
 
 よく間違われるのが秀衡塗と秀衡椀です。秀衡塗という名前は大正時代に当時の盛岡市長によって付けられた名前で、もともと盛岡の名産品として始まりました。秀衡椀は古くから存在していますが、秀衡椀の歴史=秀衡塗ではないのです。

 古い秀衡椀は確かに現存しているのですが、その歴史を綴った古文書などはほとんど存在していません。何かの資料に、秀衡椀は元々は南部椀と言われていたとったように思いますが、定かではありません。柳宗悦氏もそのようなことを書いています。

 南部の名を有つものに古くから「南部椀」があります。時にはこれを呼んで「秀衡椀」という人もあります。
出典柳宗悦『手仕事の日本』(岩波文庫)

 個人的には↑が真実かとも思っています。

https://airinjuku.jp/joboji/joboji-nuri/joboji-18.html

Joboji155

岩舘隆 岩手、浄法寺 三.五寸片口

価格:14,300円
(2020/2/18 18:26時点)
感想(0件)

 

2020年2月17日 (月)

群馬県藤岡市にある浄法寺

 群馬県藤岡市にある浄法寺は、奈良時代初期の神亀年間(724-29)の創建で、古くは緑野寺とも呼ばれていました。緑野は「みどの」と読みます。何となく由緒ある響きです。

 創建は、鑑真和上第一の高弟である道忠とされています。道忠の様な高僧が上野に赴任した事は仏教史の疑問となっていますが、その弟子が武蔵野・下毛野出身者であることから、関東教化の朝命が考えられます。

 古代関東には「毛野(けの/けぬ)」および「那須(なす)」と呼ばれる政治勢力が存在し、前者が上下に二分されて「上毛野(かみつけの/かみつけぬ)」「下毛野(しもつけの/しもつけぬ)」となったといわれます。

 また平安時代には、伝教大師最澄が東国教化の道場として再興したとも伝えられ、朝廷の施策寺色をうかがえます。以降、関東の中心寺として栄えましたが、戦国時代に入って衰退しました。近年発掘された、付近の黒熊中西遺跡の寺院群遺構との関連が注目されています。

 境内には、他に総門・鐘楼・本堂・大師殿・大師像などがあります。北側境外の唐銅製相輪塔は、弘仁6年( 815)に最澄が発願して建立された物の再建で、全国6塔のひとつに数えられています。全国六ヵ所とは、下野国・上野国・比叡山・山城国・筑紫国・豊前国で、最澄が一千部の法華経を納めて、仏法の護持や国家の鎮護を祈願したものと言います。

 この上野国浄法寺は、陸奥浄法寺を考えるうえで重要な意味を持っているような気がします。この地域には畠山重忠にゆかりのある上野浄法寺氏がおり、天台寺院と関わりのあった一族と思われます。

 陸奥の天台寺も天台寺院であり、畠山重忠の後裔を自認する陸奥浄法寺氏の本拠地である二戸郡にあります。歴史的つながりは明らかなような気がします。

 

https://airinjuku.jp/joboji/joboji-hatakeyama/hatakeyama-top.html

2020年2月16日 (日)

奈良時代の漆

 奈良時代の大宝元年(西暦701)に施行された「大宝令」により、大蔵省に設けられたのが「漆部司」です。漆部司は、長官(かみ)・判官(じょう)・主典(さかん)の職員が置かれ、その下には塗部20人、使部6人が配置されました。


 大同3年(西暦808年)には、中務省の内匠寮が配下の画工司と大蔵省漆部司を併合します。当時の職務内容は、「内」の文字から連想されるとおり朝廷の漆器需要に応じるためのものであり、十五業種の工人120人を抱えるほどでした。


 これらの工人は、官営仏寺建立に伴う需要の増大や、院宮王臣家や富豪貴族層などから漆器需要に応えるためのものです。彼らが残した奈良時代から平安時代の美術工芸品や建造物を、現在の我々は重要文化財や国宝などによって知ることができます。その技術力の高さには目を見張るものがあります。 


 この時代の法華寺金堂の造営、近江の石山寺造営などに多量の漆が使われた記録が残っています。大日本古文書には陸奥守から漆を仕入れた記録が残されています。買い入れたのは造東大寺司であり、陸奥守は藤原仲麻呂の三男でした。もしかしたらこれらの漆も浄法寺周辺のもの・・と考えれば、大いに歴史のロマンを感じます。


 聖武天皇が行基に命じて開山したと伝えられる「天台寺」が安比川中流部の浄法寺地方にあります。寺伝によれば神亀5年(西暦728)に開山したと伝えられています。開山した時期の伝承が東大寺造営や法華寺金堂の造営時期と重なるのも歴史に埋もれたロマンを感じさせます。偶然か必然か今となっては証明困難ですが、必然だと思っています。


 この時代の浄法寺地方は大和朝廷の影響下には置かれていません。朝廷の権威が及ぶのは現在の宮城県北部までです。しかし、何らかの形で仏教の影響が及び、後世の平泉藤原氏、安部一族につながる源アベ一族(アベの源・ルーツ)が、漆という武器を携えて一大勢力を誇ったとは考えられないでしょうか。もしかしたら平泉文化の源は浄法寺の漆なのかもしれません。


https://airinjuku.jp/joboji/joboji-top.html


 



 

2020年2月15日 (土)

能登の古椀

 能登地方も魅力的な古漆器が残る地域です。中でも柳田村(現能都町)は往時の面影を残し、合鹿椀の故郷とも言える地域です。地元の農家で、畑仕事の合間に自らの食器として形作り塗り上げた堂々とした椀といえます。

 見るものを圧倒し、いつの時代に作られたのか明らかではありません。おおらかで生命力に溢れる合鹿碗は、まさに能登という風土が生んだ椀です。能州木地師の伝統を伝え、輪島塗の原型ともいわれるこの古代椀は、日常品として長く使われてきたものの、食器が漆器から陶磁器へと変わる中で、その多くが捨てられたり蔵の中で眠っていました。
 
 南部椀、秀衡椀と共に日本三大古式椀と言っても良いとおもっています。合鹿椀の成立は不明ですが、文献で最も古いものは元禄7年(1694年)だそう です。現存する合鹿椀も元禄年間のものと分析されています。

 漆の技法は、柿渋を下地として使う平安時代末期の技法を継承しているといわれます。浄法寺の古い椀も、柿渋が使われていました。そのあたりも興味ぶかいです。

 中世には、全国を渡り歩く技能集団があったのかもしれません。全国の古椀産地を旅したいです。

https://airinjuku.jp/

Map_ishikawa_yanagidavillage

2020年2月14日 (金)

浄法寺の謎

 あるサイトで江戸期の浄法寺では漆器が作られていなかったというように書かれていた。その理由として、東京(江戸)遺跡から出土する漆器椀については、家紋を散らす文様が多くみられるが、こうした文様構成は浄法寺漆器の施文にみられないことが挙げられていた。。


 しかし、南部藩の古文書などで、浄法寺での漆器生産は確実に江戸時代には行われていたのである。ただ、一般庶民が使うような雑器は江戸にはほとんど出荷されなかったと思われる。これは生産地と消費地との距離の問題で、より江戸に近い会津漆器が有利だったと考えられる。


 一方、南部箔椀と呼ばれる、金箔をあしらった浄法寺周辺で生産された漆器椀は少数ながら江戸遺跡から出土している。このことから付加価値の高い箔椀は江戸に流通し、会津や大内の箔椀などに影響を与えたと思われる。


 江戸時代の一大生産地であった日野町(滋賀県)の伝世品調査では、一部に浄法寺漆器(箔椀)が認められている。箔椀は日野で生じた技術と一部ではいわれているが、日野は17世紀代までに生産が途絶していることから、これは浄法寺漆器が流通した例と考えられる。浄法寺の漆問屋の資料には「火野もの」といわれる椀が伝わたとの記録もあるので、近江商人や会津との交流があったことが推測される。


https://airinjuku.jp/


016


 

岩舘隆 岩手、浄法寺 三.五寸片口

価格:14,300円
(2020/2/14 07:23時点)
感想(0件)


2020年2月13日 (木)

漆増産

 ここ数年、浄法寺では国産漆に関する問題が表面化しつつある。文化庁が、国宝や重要文化財の建造物の修復に使われる漆は、下地も含めて国産の漆を使うようにと通知したからである。

 一見すると、浄法寺にとって嬉しいと思われる通知であるが、よく考えてみると国産漆の生産量は、消費量の1~2%と言われており、文化財にかぎっても必要な量が確保できそうにない。確実に確保できない状況である。
 発端は、日光東照宮だった。修復工事が終わって3年目にして塗られた漆が剥げだしたというのだ。ほかにも各地で建物の修復工事後わずか数年にして塗料が剥げる事例が相次いでいる。その理由として、漆塗りの部分を国産漆ではなく中国産漆を使ったからとしている。

 そもそもウルシノキは、大陸産も日本産も同種のもなのだ。加えて、桃山のころから日本が漆を海外から輸入していたのは、古文書によって明らかである。江戸時代の元禄文化は、海外からの漆輸入がなければ成り立たなかったはずである。江戸期に海外漆を使った製品が数年でダメになったという話は聞かない。

 現在の大陸では、樹液を自然に流れ出させて容器に受けるだけの方法で採取しているようだ。しみ出てから採取まで時間があり劣化しやすい。それに加えて、不純物が混じっているようだ。量を増やすために水飴を混ぜるという話も聞いたことがある。

 つまり、大陸産の漆は採取方法と生成過程の管理が悪いのであって、国産漆ならなんでもよいのではなく、樹液の採取方法や流通と精製法をよくしないと質のよい漆は生産できないわけだ。浄法寺の漆はこの点が優れているのだ。

 さて、文化庁の通達どおりにするには、年間2トン以上の国産漆が必要である。それに漆器業界が使う量を考えると、どれだけの漆が必要になるんだろうか。

 まずウルシノキを増やさないといけない。漆掻き職人も確保しなければならない。道具をつくる鍛冶職人も確保しなければならない。

 隣の大国産漆の生産方法や流通を改善してもらって品質を上げる方が有効かもしれない。

https://airinjuku.jp/

2020年2月12日 (水)

窯焼きポテト

コンビニで見かけたスイーツ。

早速、購入して試食してみました。

味は、合格点を超えました。

明日も購入予定です。

しかし、コンビニで出す新製品、このごろの楽しみです。

お勧めの商品あったらお知らせください。

https://airinjuku.jp/

Dsc_0002hvgy

焼き芋

市田柿が届きました

干し柿で知られる下伊那郡から、市田柿が届きました。

発注から二日目、美味しくいただいています。

産地認証の関係で、地域のおばちゃんは市田柿を名乗れなくなっているようです。

産地を守ることは大事ですが、地域のおばちゃんの生業も大切です。

味は間違いないので、何とか応援したいですね。

同じことは浄法寺の漆にも言えます。

地域第一主義復権を願っています。

https://airinjuku.jp/

Imgp4670

南信州ここだに お贈答 市田柿 南信州産 干し柿 化粧箱入 700g L玉 (通常ギフト)

 

馬場のぼる

母校の大先輩に馬場のぼるさんがいます。

漫画家として知られ、昭和末期にはNHKの連想ゲームの準レギュラーでした。

昭和55年に、直接お会いする機会に恵まれました。

馬場さんが旧制中学時代に通った蕎麦屋で、直筆のサインをいただいたのは40年前です。

そんなことを思い出しながら、当時のサインを見ています。

時間の経つのは本当に早いものです。

https://airinjuku.jp/

Imgp4636

11ぴきのねこマラソン大会 (絵巻えほん)

 

2020年2月11日 (火)

鉄道100年記念

鉄道100年記念の入場券が出てきました。

大舘駅発行です。

昭和47年ですので、もうすぐ鉄道150年です。

おそらく2年後には各地でイベントが開かれることでしょう。

鉄道ファンの方に譲渡可能です。

お気軽にお問い合わせください。

https://airinjuku.jp/

Imgp4649

旅と鉄道 2020年1月号 スゴイ駅 [雑誌]

 

2020年2月10日 (月)

市田柿

20年ぐらい前に知り合った知人の実家で柿を栽培していました。

そこの干し柿を食べて目から鱗でした。

本当に美味いと思ったことを覚えています。

3年に1回ぐらい、通販で購入していますが、産地認証なんとかで「市田柿」を使えなくなったとのこと。

産地を守って、製品価値を高めることは賛成ですが、これまで生産していた人が、あまりにも厳しい規制で名乗れなくなるのは考え物です。

そんなことを考えながら、今年も「市田の干し柿」を発注しました。

市田柿は長野下伊那地方の特産です。

https://airinjuku.blog.fc2.com/

P_1399

市田柿 南信州産 干し柿 たっぷり 1kg ご自宅用

2020年2月 9日 (日)

クルミ味

近くのスーパーで「クルミ団子」を購入。


二戸地方をはじめとする東北地方のオニグルミで味付けされています。


二戸地方では、美味いものを表現するときに「クルミ味」と表現します。


団子は、コーヒーでいただきました。


クルミの味とコーヒーは、とても良い相性です。


団子一本80円、それで暮らして行ける社会の復活を望みます。


みんなで地元の団子を食べてください。


https://airinjuku.jp/


Uuuuyffty

和グルミ(殻付き3kg)

 

2020年2月 8日 (土)

カフェの看板

ebayで見つけた看板です。

雰囲気が良いので入札しました。

無事に落札できればうれしいですが、結果はもう少し後になります。

それにしても、ebayにもチャイナの怪しい?業者が価格破壊をしています。

一言でいえば「作りすぎ」です。

結局、誰も利益を得ない結果となりそうです。

https://airinjuku.jp/

20160807102904fcd

 

カフェ開業の教科書―小規模で強い店をつくる

 

2020年2月 7日 (金)

朝顔

注文していた木地が届きました。


会津産です。


これから漆を吸わせて、とても面白い器になります。


日本酒をのむと、味がまろやかになると評判ですよ。


出来上がりが六月ごろと思われます。


ぜひ使ってみてください。


https://airinjuku.jp/


12801244_973512942731998_544667936630025



 

2020年2月 6日 (木)

水飴と南部せんべい

南部せんべいと水飴の組み合わせは、子供のころのごちそうでした。

手作りの水飴も良かったのですが、ちょっとした旅行でのお土産が楽しみす。

あまり飴をつけすぎると、せんべいの味が負けてしまいます。

温度によって飴の硬さが変わるので、冬は飴を温めて使ったものです。

いまは便利になり、すでに飴が塗られたものが売られています。

試してみてください。

https://airinjuku.blog.fc2.com/

Amesen

小松製菓 まきば村のバターせんべいごま 15枚×10袋

2020年2月 5日 (水)

南部せんべいの謎?

 南北朝時代の頃、南朝の長慶天皇が名久井岳の麓(現・三戸郡南部町)、長谷寺を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家から蕎麦粉とゴマを手に入れ、自分の鉄兜を鍋の代わりにして焼き上げたものを天皇に食事として出しました。この食べ物が後の南部せんべいの始まりであるとされています。この故事は、テレビCMなどでも放映され、多くの人に知られています。天皇はこの食べ物をとても気に入り、煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣、楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したといいます。

 八戸南部氏創始説
 応永18年(1411)の「秋田戦争」で、根城南部の兵士たちが戦場で蕎麦粉にゴマと塩を混ぜ鉄兜で焼いて食べたところ、将兵の士気大いに上がり、戦に勝利しました。その後多くの合戦に携行され、南部せんべいの始まりとなったとする説もあります。南部煎餅の分布が八戸南部氏の勢力圏と重なるので、何らかの関連がありそうです。

 キリスト創始説
 南部煎餅に文様は、古い時代には「松ヶ枝」が三段から五段つけてあったそうです。そしてその文様は何とユダヤ章に酷似していました。旧約聖書の「民数紀略六章三節ー二十一節」に、「モーゼの律法の一つに、俗を離るるの日の満たる時、幕屋の門に携えて行く供物のなかに、酵(たね)いれぬパン一かご、麦粉に、油をまぜて作る菓子、油をぬりたる酵入れぬ煎餅をもちてゆくこと」という律法があるそうです。油をぬり酵いれぬ煎餅とは、実に現在の「南部煎餅」の事だという説です。

 キリスト創始説は、一見すると荒唐無稽な説ですが、トルコ地方には煎餅焼器と同じような器具があったような文献を読んだ気がしますし、「酵いれぬパン」とは、まさしく南部煎餅のような気がします。
 煎餅の模様の「松ヶ枝」は、キリストが八戸港の松ヶ崎に上陸した「松の森」を記念として、今日まで残したとも言われます。ユダヤ教徒が祭で食べる、種無しパンのマッツァーが変じて南部煎餅になったとすれば、壮大な歴史ロマンです。以前の、カゴメ紋の入った南部煎餅もあったとも伝わりますので、カゴメ印を入れて売り出せば地域の話題になりそうです。子供のころには煎餅にカゴメ紋があったのを何となく覚えています。

https://airinjuku.jp/

202001311526170d8

小松製菓 まきば村のバターせんべいごま 15枚×10袋

2020年2月 3日 (月)

桃味

自販機で間違えて購入しました。


失敗したと思いましたが、意外に気に入っています。


残念なことに、なかなか売っていないことです。


白状すると、どこの自販機で買ったか忘れたのです。


スーパーで探します。


https://airinjuku.jp/


Dsc_00401

【VEERLIVE】 食品サンプル 桃 ミニサイズ 20個セット [並行輸入品]

 

南部維新記

太田俊穂さんの著書「南部維新記」を読んでいて、40年前に聞いたある出来事に繋がりました。

昭和54年の秋だったと思いますが、母校の大先輩で剣道部の選手だった内藤正介さんから聞いた話です。

大正7年に盛岡で行われた剣道の大会で、新選組の隊士から指導を受けたという思い出話でした。

そんなことはないと、思って気になっていたのですが、そのままにしていました。

ところが、「南部維新記」によれば奥田松五郎が盛岡で武術を指導したとあります。

だとすれば、内藤正介さんの言葉は本当だったわけで、自分の不明を恥じています。

今となっては、内藤先輩に確認できませんし、奥田松五郎は当然生きていません。

盛岡中学で武術の指導をしたようなので、そのあたりから調べてみようかと思います。

https://airinjuku.jp/

Matsuda

Jumper Ezpad 6 Pro 11.6インチ2-in-1タブレットWindows10 FHD IPSタッチスクリーンラップトップ64ビットクアッドコアIntel Atom E3950 6GB RAM / 64GB EMMC / micro HDMI(キーボード付き)

 

 

2020年2月 2日 (日)

漆塗りの猪口

瀬戸内寂聴尼が天台寺にやってきたころに造った器です。

毎日使っているわけではありませんが、30年以上愛用しています。

今のところ、漆も剥げずいてくれます。

この器で飲む酒は、味がまろやかになります。

陶器の器も素敵ですが、漆器も良いですよ。

時々、リサイクルショップで驚くほど格安で売られています。

そんな器をさがすのも楽しみです。

https://airinjuku.jp/

Hukkoku83183dhd

 

南部美人 純米吟醸 1800ml 岩手の日本酒

 

大昌園

浄法寺に合った名店。

無くなって10年近く経過してしまいました。

今でも付近を通ると、あの頃の情景が浮かびまし。

何らかの形で復活捨てほしいです。

儲からなくてもいいから、何とか生活していける環境であれば復活に手を挙げる人が出るかもしれません。

どなたか手を挙げてください。

https://airinjuku.jp/

83101548_2685591054857503_83498359601244

焼き肉 牛肉 味付け 焼肉 300g バーベキュー 前沢牛 岩手県産 世界の名牛 黒毛和牛 牧場直営店直送 前沢牛オガタ 肉の日ギフト

 

2020年2月 1日 (土)

二戸地方の酒造り

 南部藩では寛文元年(1661)には全領内で33軒の酒造業を公認しています。その石高は五十石と少ないものでした。33軒で五十石ですから、1軒あたり二石になりません。それが天和元年(1681)には189軒に増加し、造石高も三千六百石程度まで増加しています。僅か20年で70倍以上に増加です。

 地域別の増加は盛岡城下で6軒から62軒、花巻が2軒から20軒、遠野が1軒から9軒、紫波郡山が2軒から10軒、大迫が1軒から5軒、三戸が2軒から7軒、五戸が1軒から7軒と増加しました。二戸地方の詳細は調べていますが、詳細が不明です。3軒ほどは確実にあったようですが、資料をお持ちの方は教えてください。二戸福岡地方は、米の生産量が少なく、酒米は盛岡や沼宮内方面からの移入に頼ったらしく、少しの凶作でも酒造りが中止されたと想像されます。

 軽米町の元屋五郎助は、造酒高八国の免許を受ける際に五十両の税金等を納め、生産量は十一両二歩二朱と記録されています。それを約七十両で販売し、利益は約十八両でした。この税負担の割合は、令和の時代とほとんど変わらないということです。

 日本酒で乾杯!

https://airinjuku.jp/kikou/kikou.html

Kikou72

南部美人 純米吟醸 1800ml 岩手の日本酒

 

南部こけし

 南部藩領内の木地業は古く、二戸郡浄法寺周辺で、平安期高倉天皇の時代頃から南部椀の製作を始めたと伝えられる。浄法寺は天台宗の古刹で、ここで自家用の漆器を作り始めたのが浄法寺漆器の始まりであり、浄法寺御器とも呼ばれていた。後世の浄法寺椀はこの遺制を踏襲したもの。当初は浄法寺周辺で専ら製作されていたが、原木が不足するにおよび、浄法寺川を遡って、荒屋新町、浅沢、赤坂田等で作られた。現在の安比川を、江戸期には浄法寺川と呼んでいたのである。

 南部領内ではコケシノことを「キナキナ」と呼んだ。コケシづくりで知られた安保一郎の家は非常に古い木地師で、元禄年間に美濃より秋田県鹿角郡安保へ移動して木地業を営み、後に浄法寺氏の勢力圏だった荒屋地区に移った。享保年間に南部藩より二人扶持を与えられてお抱え木地師となり、盛岡に移住した。

 現在では、安代~浄法寺地区でコケシづくりは行われていない。その形跡を長年探しているがみつかっていない。盛岡では、かつてはどの家でもコケシが数体あったと伝わっている。はたして浄法寺で作られたコケシはどんなものだったか興味深い。

https://airinjuku.jp/

121213578

南部せんべい乃巖手屋 南部の薫り 南部せんべい 焼菓子 10種 20枚 ( 胡麻、落花生、二度焼き、しょうゆ南部胡麻、まめごろう、かぼちゃ、みどりちゃん、いか、りんご、納豆 ) 詰め合せ ギフト 贈り物

 

 

 

 

ウェブページ

2020年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30