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2020年2月17日 (月)

群馬県藤岡市にある浄法寺

 群馬県藤岡市にある浄法寺は、奈良時代初期の神亀年間(724-29)の創建で、古くは緑野寺とも呼ばれていました。緑野は「みどの」と読みます。何となく由緒ある響きです。

 創建は、鑑真和上第一の高弟である道忠とされています。道忠の様な高僧が上野に赴任した事は仏教史の疑問となっていますが、その弟子が武蔵野・下毛野出身者であることから、関東教化の朝命が考えられます。

 古代関東には「毛野(けの/けぬ)」および「那須(なす)」と呼ばれる政治勢力が存在し、前者が上下に二分されて「上毛野(かみつけの/かみつけぬ)」「下毛野(しもつけの/しもつけぬ)」となったといわれます。

 また平安時代には、伝教大師最澄が東国教化の道場として再興したとも伝えられ、朝廷の施策寺色をうかがえます。以降、関東の中心寺として栄えましたが、戦国時代に入って衰退しました。近年発掘された、付近の黒熊中西遺跡の寺院群遺構との関連が注目されています。

 境内には、他に総門・鐘楼・本堂・大師殿・大師像などがあります。北側境外の唐銅製相輪塔は、弘仁6年( 815)に最澄が発願して建立された物の再建で、全国6塔のひとつに数えられています。全国六ヵ所とは、下野国・上野国・比叡山・山城国・筑紫国・豊前国で、最澄が一千部の法華経を納めて、仏法の護持や国家の鎮護を祈願したものと言います。

 この上野国浄法寺は、陸奥浄法寺を考えるうえで重要な意味を持っているような気がします。この地域には畠山重忠にゆかりのある上野浄法寺氏がおり、天台寺院と関わりのあった一族と思われます。

 陸奥の天台寺も天台寺院であり、畠山重忠の後裔を自認する陸奥浄法寺氏の本拠地である二戸郡にあります。歴史的つながりは明らかなような気がします。

 

https://airinjuku.jp/joboji/joboji-hatakeyama/hatakeyama-top.html

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