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2020年2月16日 (日)

奈良時代の漆

 奈良時代の大宝元年(西暦701)に施行された「大宝令」により、大蔵省に設けられたのが「漆部司」です。漆部司は、長官(かみ)・判官(じょう)・主典(さかん)の職員が置かれ、その下には塗部20人、使部6人が配置されました。


 大同3年(西暦808年)には、中務省の内匠寮が配下の画工司と大蔵省漆部司を併合します。当時の職務内容は、「内」の文字から連想されるとおり朝廷の漆器需要に応じるためのものであり、十五業種の工人120人を抱えるほどでした。


 これらの工人は、官営仏寺建立に伴う需要の増大や、院宮王臣家や富豪貴族層などから漆器需要に応えるためのものです。彼らが残した奈良時代から平安時代の美術工芸品や建造物を、現在の我々は重要文化財や国宝などによって知ることができます。その技術力の高さには目を見張るものがあります。 


 この時代の法華寺金堂の造営、近江の石山寺造営などに多量の漆が使われた記録が残っています。大日本古文書には陸奥守から漆を仕入れた記録が残されています。買い入れたのは造東大寺司であり、陸奥守は藤原仲麻呂の三男でした。もしかしたらこれらの漆も浄法寺周辺のもの・・と考えれば、大いに歴史のロマンを感じます。


 聖武天皇が行基に命じて開山したと伝えられる「天台寺」が安比川中流部の浄法寺地方にあります。寺伝によれば神亀5年(西暦728)に開山したと伝えられています。開山した時期の伝承が東大寺造営や法華寺金堂の造営時期と重なるのも歴史に埋もれたロマンを感じさせます。偶然か必然か今となっては証明困難ですが、必然だと思っています。


 この時代の浄法寺地方は大和朝廷の影響下には置かれていません。朝廷の権威が及ぶのは現在の宮城県北部までです。しかし、何らかの形で仏教の影響が及び、後世の平泉藤原氏、安部一族につながる源アベ一族(アベの源・ルーツ)が、漆という武器を携えて一大勢力を誇ったとは考えられないでしょうか。もしかしたら平泉文化の源は浄法寺の漆なのかもしれません。


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