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喫茶・カフェ

二戸地方

2024年2月 4日 (日)

境内に出店の要望

かつては天台寺境内に出店していました。

出店できなくなった経緯はよくわかりませんが、参拝者から復活を要望されています。

個人的には別にやらなければならないことが有り、直接関わるのは難しいです。

ですが、茶店やお土産品は必要でしょう。

語り部も必要。

なんとかしたいですね。

思案中です。

https://www.facebook.com/groups/840142819947141

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2024年1月30日 (火)

天台寺と長慶天皇

宮古市には古くから多くの信仰を集めてきた霊山黒森山と黒森神社があります。黒森信仰は古来より農業や業に従事する人たちの厚い信仰に支えられました。。


記録によると、黒森大権現、黒森薬師観音などと称され、江戸時代には南部藩の庇護を受けてきた史実もあります。


黒森山、黒森神社が宮古当地方のみならず、旧南部領内にとって大切な信仰のよりどころで、霊域、神域でとして崇められたことから多くの伝説や逸話を残しています。


その黒森神社には、南北朝時代の長慶天皇に関する言い伝えが残っています。


長慶天皇は大正15年(1926)天皇に関した古写本が発見され、それまで在位を否定されていた天皇が在位認められ、実在した天皇として認証されました。


そして長慶天皇には御陵がなかったため全国規模の御陵探しがはじまりました。この時名乗りを上げたのは、全国の200箇所に及んだと言われます。


この黒森神社も、古くから身分の高い人の御陵であると伝えられてきたことから、長慶天皇の御陵であると運動が巻き、長慶天皇御陵説の旗下に集まった人々が「黒森顕彰会」を発足、会では大学教授を招いての現地調査をはじめ各種報告書を編集したそうです。


天台寺に近辺に残る伝承では、南朝方の武将を頼った長慶天皇は海路で石巻に到着し、さらに宮古、八戸などに逃れます。その後、八戸から馬淵川を遡り、法光寺、長谷寺などに身を隠した後、天台寺に逃れ、その地で没したと伝わります。


言い伝えを荒唐無稽なものと思わず、長慶天皇の足跡と考えると信憑性が出てきそうな気がしています。


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2024年1月 1日 (月)

謹賀新年

皇紀2684年の新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

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2023年12月11日 (月)

浄法寺に必要な物

少ないながらも浄法寺にやってくる観光客があります。


天台寺。


漆。


食。


稲庭高原など。


そして、ともかく必要な物は集まって休める茶店。


商業的には難しいかもしれませんが、茶店(カフェ)の意義は大きいです。


美味い水と食材の宝庫ですが、それらを上手く活用したい物です。


画像は評価の高い稲庭牛です。


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2023年11月30日 (木)

天台寺

 山に囲まれた浄法寺町は、21世紀となった今でも外部との交流は、ほとんど鹿角街道に頼っています。かつてほどではありませんが、冬は1メートル近くの雪に閉ざされ、農家の働き手の多くは農閑期には出稼ぎに行く土地柄です。


 この町には謎の古刹天台寺があります。近年では今東光大僧正や瀬戸内寂聴に縁の寺院として知られます。一見すると何事もない寺院ですが、平安期の遺産が残り、その成り立ちは古代東北地方の歴史をしる手掛かりになるとする研究者もおります。


 天台寺はこの土地の小高い丘(標高320メートル)を拠点に、早くから青森、秋田方面へと仏教の影響力を伸ばしたといわれます。
森嘉兵衛岩手大学名誉教授は「生きた人間にとって平地の方が食料を確保する点でも環境は良好なはずなのに、“山岳寺院”を築く必要はどこにあったのだろう」と疑問を投げかけています。天台寺の古い歴史を知る手がかりがない現在、研究者の考え方もまちまちのようです。

 高橋富雄東北大教授は「古代東北の地に、北に向かって伝播していった中央文化が、しっかりと根をおろしたことを物語る遺跡だ」と“歴史のシンボル論”主張しています。それによると「鎮護国家を旗印にした我が国の天台宗は9世紀半ば、その理想を実現しようと、六か国に法華経を置く塔(六所宝塔)を建てたそうです。関東以北では栃木と群馬がその地だと言います。
この高橋富雄教授の説を読んだときに衝撃は走りました。栃木と群馬といえば「浄法寺」という地名や寺院が残る土地です。明らかに畠山重忠につながる人物の足跡、天台寺院の存在が、陸奥浄法寺氏を知る手掛かりになりそうです。もしかしたら浄法寺氏は天台仏教に関係にある人物で、天台寺の庇護者だった可能性もあります。

 天台寺は鎮護国家の理想を北東北にも実現させようとしたものだったのかもしれません。
古代中央の軍事的北限は、七時雨から西岳を結ぶ地点より南までで、それ以北は蝦夷の住む‘異邦の地’でした。朝廷勢力圏との国境である地に建てられた天台寺は、いつしか天台仏教に帰依していた畠山氏一族が上野国、下野国を経由し、最終的には陸奥浄法寺にやってきたとは考えられないでしょうか。

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2023年6月28日 (水)

予定は未定

4月以降は自由時間がたくさんできるはずでした。


ですが、なんやかんやとやることがあり漆の情報発信ができていません。


あれもこれもでは無く、少しずつ解決するしか無いんで書ね。


いつの間にか漆の木が勢いよくなっています。


たまにしか更新しないと思いますがよろしくお願いします。


 



2023年3月11日 (土)

大イワナ

浄法寺の川で捕獲したイワナです。

川幅が1メートルの小川で捕獲です。

体長は60cm近くありました。

大物を狙って浄法寺に来てください。

そしてきちんと釣券を購入お願いします。

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2023年3月 9日 (木)

田中舘愛橘と天台寺

浄法寺の漆芸に影響を与えたであろう天台寺。

間もなく1300年祭を迎える古刹です。

そして、世界的な地球物理学者田中舘愛橘博士の先祖は、浄法寺氏の家臣で漆芸を生業としていた時期があります。

その田中舘愛橘博士が、天台寺を参拝した時の画像です。

先祖のいた栃と云うことで、度々浄法寺を訪れています。

小田島家や髙田家などにも縁がありました。

そのあたりの事績も纏めてみたい気がしています。

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2023年3月 2日 (木)

漆の実

鎌倉のギャラリーから漆の実が欲しいとの連絡がありました。

3年ぶりです。

なんでも冬の展示会で使いたいそうです。

特に漆器にかかわる展示会ではないようです。

今すぐには無理なことをお伝えし、秋になったら確保すると伝えました。

かぶれる可能性があることも伝えました。

どのように使われるか楽しみです。

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2023年3月 1日 (水)

漆蠟

岩手県北部は国産漆の産地として知られている。

現在でも国産漆の大半を産出する地域である。漆の産出が多いということは、当然ながら漆の木が多いということでもある。

明治以降は、越前地方からから出稼ぎに来た漆掻き職人が「殺し掻き」という新しい技法をもたらした。

それ以前は「養生掻き」という掻き方をしており、漆液は数年に一度の割りで少しずつ採取する方法が主流であった。

それは漆の実をたくさん採るためで、漆蝋の原料確保のためであった。

江戸期には、今の岩手県から青森県東部にかけては盛岡藩の領地であった。

その家老日誌である『雑書』(盛岡市中央公民館刊行中)によると、藩には複数の「漆掻奉行」が置かれ、秋になると担当地域内から漆液と漆の実を集めたことが記されている。

正保2(1645)年に盛岡藩が秋田藩との境にある沢内通の番所へ出した命令である「沢内通御留物之事」では、「蝋漆あぶら/箔椀・同木地」などを他藩へ勝手に持ち出すことを禁じ、違反者を捕まえたなら褒美を出すとしている。

同じような命令は、それ以後も各地の番所にも出され、「蝋」が除外されることはなかった。

正保三(1646)年には「一戸蝋懸藤兵衛」という記録が残っている。

蝋燭を作ることを蝋懸(掛)というので、17世紀半ばには一戸でこれを職業としていた人物がいたことがわかる。

盛岡藩の「御領分物産取調書」によれば、福岡通について、蝋と漆は二戸地方全域で、蝋燭は福岡町と一戸町で生産されていたことが記録に残っている。

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