二戸地方

2020年11月 8日 (日)

毘沙門堂阿闍梨のこと

 元弘2年(1332)蝦夷の乱を契機として鎌倉幕府討幕の機運たかまり、新田義貞は武家政治の根拠地鎌倉に攻め入った。

 この時の鎌倉攻めに、南部師行は甲斐の本領を動かなかったが、長兄の時長、その子行長、 師行の嗣子政長は新田軍に加わった。

 時長と行長は5月7日、政長は奥州より馳せ参じ15日に新田義貞軍に加わり、北条泰家の軍と戦ってこれを破り、ついに北条氏を滅ぼした。その後、晴長と行長の親子は鎌倉の守備兵となって鎌倉に在住したようである。

 元弘3年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めに加わらなかった師行は鎮守府大将軍北畠顕家の国代として甲州波木井を出発して糠部に入り、八戸の石懸村八森に「根城」を築いたと言われる。八戸南部氏の誕生である。

 戦後になって津軽浅瀬石村にある長寿院から古文書が見つかった。その文書には延命地蔵尊の胎内から発見され、それには師行が動員した部隊の名が記されている。

 南部大膳太夫源師行公之大将、結城七郎左衛門尉親光、都築彦四郎入道、中務右衛門、安保弥五郎入道、弾正左衛門尉、浅石城主千徳頼行公之大将、内紀六郎入道、中村弥三郎祐高、伊賀右衛門資郎、毘沙門堂阿闍梨、大館城主鳴海三郎太郎行光之大将、小河入道弥四郎、武石右衛門惟俊、独錮城主浅利六郎四郎之大将、倉光孫三郎、和賀右衛門勝昌、大里城主成田小次郎之大将、滝瀬彦次郎入道、小川次郎宗武

 山梨県身延町史によれば、この中にある中務右衛門は工藤貞行であり、千徳頼行は一戸南部党の総領、中村弥三郎祐高は波木井の南部氏、毘沙門堂阿闍梨は二戸の浄法寺氏であろうとしている。

 通説によれば、元久二年(1205)、重忠の嫡子六郎重保が北条時政の後妻牧の方の娘婿平賀朝雅と争って時政に殺害され、重忠は武蔵二股川で幕府軍と戦って討ち死した。この時、武蔵国慈院二十九世別当であった三男の畠山小次郎重慶は、陸奥浄法寺に逃れ、還俗して重慶と名乗り浄法寺氏の祖になったと伝わっている。畠山小次郎重慶は阿闍梨とも名乗っていたようである。

 南部師行の八戸入りと畠山重忠が亡くなった時期は約130年程の開きはあるものの、阿闍梨という尊名は浄法寺氏の資料として興味深いものである。

カシオペア歴史研究所

 

2020年5月10日 (日)

岩津天満宮

【岩手県九戸郡軽米町の皆さま】へ

 

岩手県九戸郡軽米町の皆さまにおたずねいたします
5月 9日(土)午前中に当社(岩津天満宮)宛に、発信人の住所氏名の書いてない封書が届きました。
写真の封筒の中には便箋に一行のメッセージが書かれていました。
御守を送って欲しいとの想いの、お子さんからの便りではないかと想像しています。
消印が【岩手軽米】とありますから、岩手県九戸郡軽米町にお住まいの方かと存じます。
折角お手紙を頂いてもお届け先が分かりません。お心当たりの方は、岩津天満宮までご一報下さい。
ご返事をお待ちしております。

 

電話:0564-45-2525 Fax:0564-45-2168
メールアドレス:shomu@iwazutenjin.jp
ホームページ:https://www.iwazutenjin.jp

 

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2020年3月21日 (土)

豆シトギ

近くの産直で「シトギ」を購入しました。

標準語ではなんと表現するか不明ですが、この時期の風物詩です。

なぜか食べたくなるんです。

ほんの少し焦げ目をつけると、さらに美味くなります。

三戸方面でも見かけますので、南部領内では一般的な菓子だったと思います。

秋田や津軽方面でもあるんでしょうか。

知っている方は教えてください。

https://airinjuku.jp/

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2020年3月 3日 (火)

浄法寺駅

 かつては立ち乗りも出たほど利用者が多かったバス路線ですが、今では利用者はほとんど見かけません。廃止が提案されれば、一応は反対運動がおこりますが、JRも営利企業なので、利益が出ない路線の運営は難しいですよね。そんな浄法寺駅のちょっと前の画像を集めてみました。

Kikou921

 

 

2020年2月23日 (日)

はち郎の蜂蜜

 一戸の土屋養蜂場の商品名「はち郎のはちみつ」と呼ばれる商品があります。商品名は、土屋養蜂場の創業者の名前に由来します。
 
 晴になると、二戸地方に咲くアカシアや、高原のトチを中心に蜂蜜を集めています。秋はオオスズメ蜂など天敵から蜜を守り、冬は関東方面で越冬させてハチミツは生産されます。
巣箱を作るのも養蜂家の仕事です。養蜂家の努力があって、蜂も元気に活躍できます。

 花の蜜は蜂の体を通して巣箱の中で、まろやかな甘味の、とろりとしたおいしい蜂蜜になっていきます。いろいろなお料理にお使いいただく他に、ジュースや珈琲、紅茶など飲み物に入れたり、パンにつけて食べたり、毎日お召し上がりください。

 淡白で上品な「アカシア蜜」と、香り高い「トチ蜜」とあります。どちらも同価格です。ご注文の際は「アカシア」か、「トチ」か、お知らせくださいとのことです。

 個人的には、パンや南部せんべいにつけて食べています。

https://airinjuku.jp/

 

 

 

2020年2月 6日 (木)

水飴と南部せんべい

南部せんべいと水飴の組み合わせは、子供のころのごちそうでした。

手作りの水飴も良かったのですが、ちょっとした旅行でのお土産が楽しみす。

あまり飴をつけすぎると、せんべいの味が負けてしまいます。

温度によって飴の硬さが変わるので、冬は飴を温めて使ったものです。

いまは便利になり、すでに飴が塗られたものが売られています。

試してみてください。

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2020年2月 5日 (水)

南部せんべいの謎?

 南北朝時代の頃、南朝の長慶天皇が名久井岳の麓(現・三戸郡南部町)、長谷寺を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家から蕎麦粉とゴマを手に入れ、自分の鉄兜を鍋の代わりにして焼き上げたものを天皇に食事として出しました。この食べ物が後の南部せんべいの始まりであるとされています。この故事は、テレビCMなどでも放映され、多くの人に知られています。天皇はこの食べ物をとても気に入り、煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣、楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したといいます。

 八戸南部氏創始説
 応永18年(1411)の「秋田戦争」で、根城南部の兵士たちが戦場で蕎麦粉にゴマと塩を混ぜ鉄兜で焼いて食べたところ、将兵の士気大いに上がり、戦に勝利しました。その後多くの合戦に携行され、南部せんべいの始まりとなったとする説もあります。南部煎餅の分布が八戸南部氏の勢力圏と重なるので、何らかの関連がありそうです。

 キリスト創始説
 南部煎餅に文様は、古い時代には「松ヶ枝」が三段から五段つけてあったそうです。そしてその文様は何とユダヤ章に酷似していました。旧約聖書の「民数紀略六章三節ー二十一節」に、「モーゼの律法の一つに、俗を離るるの日の満たる時、幕屋の門に携えて行く供物のなかに、酵(たね)いれぬパン一かご、麦粉に、油をまぜて作る菓子、油をぬりたる酵入れぬ煎餅をもちてゆくこと」という律法があるそうです。油をぬり酵いれぬ煎餅とは、実に現在の「南部煎餅」の事だという説です。

 キリスト創始説は、一見すると荒唐無稽な説ですが、トルコ地方には煎餅焼器と同じような器具があったような文献を読んだ気がしますし、「酵いれぬパン」とは、まさしく南部煎餅のような気がします。
 煎餅の模様の「松ヶ枝」は、キリストが八戸港の松ヶ崎に上陸した「松の森」を記念として、今日まで残したとも言われます。ユダヤ教徒が祭で食べる、種無しパンのマッツァーが変じて南部煎餅になったとすれば、壮大な歴史ロマンです。以前の、カゴメ紋の入った南部煎餅もあったとも伝わりますので、カゴメ印を入れて売り出せば地域の話題になりそうです。子供のころには煎餅にカゴメ紋があったのを何となく覚えています。

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2020年2月 3日 (月)

南部維新記

太田俊穂さんの著書「南部維新記」を読んでいて、40年前に聞いたある出来事に繋がりました。

昭和54年の秋だったと思いますが、母校の大先輩で剣道部の選手だった内藤正介さんから聞いた話です。

大正7年に盛岡で行われた剣道の大会で、新選組の隊士から指導を受けたという思い出話でした。

そんなことはないと、思って気になっていたのですが、そのままにしていました。

ところが、「南部維新記」によれば奥田松五郎が盛岡で武術を指導したとあります。

だとすれば、内藤正介さんの言葉は本当だったわけで、自分の不明を恥じています。

今となっては、内藤先輩に確認できませんし、奥田松五郎は当然生きていません。

盛岡中学で武術の指導をしたようなので、そのあたりから調べてみようかと思います。

https://airinjuku.jp/

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2020年1月11日 (土)

ウルトラクイズ

復活 その3

座敷童子で知られる金田一温泉は、昭和40年代に金田一温泉と命名されましたが、それまではなんと呼ばれていたでしょうか。
漢字二文字で○○温泉と言われていましたと。

答えをお分かりの方は、メールでお答えください。
締め切りは令和2年1月15日とさせていただきます。
メールはこちらのサイトからお願いします。

答えは公開しないでください。宜しくお願いします。

https://airinjuku.jp/quiz/quiz003.html

駅弁ひとり旅 : 12 (アクションコミックス)

2020年1月 3日 (金)

二戸小唄

 二戸出身で東京在住の方から、このサイトを見てと合わせがありました。「二戸郡の名所を紹介した歌があったのですが、分かりますか?」というものでした。追加情報として、「二戸地方の四季」が歌詞にでていたというものです。

 それは「二戸小唄」に間違いないと思い、歌詞を思い出してみました。

 春は折爪、山から明けて~~。何となく覚えていましたが、全部は思い出せません。調べてみても、完全に最後まで分かりません。高校時代の生徒手帳に、応援歌の一つとしてあったので、必死に探しましたが見つかりません。

 そして探す事数日。
 やっと見つけました。二戸市の川島一郎しの資料にあったのです。歌詞を見て、名曲だと改めて感心しました。 安代が二戸郡だった証拠です。この歌詞に出てくる名所を巡る企画も浮かんできます。この歴史を大切にしたいものですね。

 たしかレコードもあったような気がしますので、気長に探します。

https://airinjuku.jp/

 

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