漆芸

2020年6月 6日 (土)

捏ね鉢修理

久しぶりに漆器の修理に着手しました。

江戸期と思われる捏ね鉢です。

まずは秘密のパティで内側を補修です。

しばらくすると黒ずんできました。

このまま一週間ぐらい放置です。

今の季節は漆の固まるのも早く、週末には外側の補修に入れそうです。

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2020年5月17日 (日)

刃物届きました

浄法寺地方で作る人のいなくなった刃物。

漆掻きには必要な道具です。

別のサイトで知り合った鍛冶屋さんに、見本を送ったら作ってくれました。

これでよければ、量産もできるかも。

改良を加えれば、素人でも使えるものができそうです。

はたして、漆増産の助けになるんでしょうか。

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2020年3月 4日 (水)

桂材

ブログで知り合った木地屋さんから、椀木地が届きました。

桂材です。

かつては浄法寺町の木でした。

よく見ると木目が美しいですね。

漆を塗るのが楽しみです。

https://airinjuku.blog.fc2.com/

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2020年2月24日 (月)

和菓子用フォーク

木製漆器 天然木、漆塗りです。和菓子用フォーク5本セットです。瀬戸内寂聴キャラクターです。

■サイズ:11×2.3cm
■素地 :天然木
格安出品で、送料は当方で負担します。

ボールペンは大きさの参考品です。

ヤフオク出品しています。

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2020年2月20日 (木)

半分ほど貯まりました

楽天でおもしろいものを見つけました。

お手軽漆芸セットです。

お手軽かどうかは別として、興味のある機械です。

漆の乾燥と言うより、固まるといった方が正解です。

湿度が無いと固まりません。

梅雨時期の環境を作る必要があります。

一か月分の給料ぐらいの価格ですが、何とか半分ほど貯まりました。

頑張ります。

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2020年2月16日 (日)

奈良時代の漆

 奈良時代の大宝元年(西暦701)に施行された「大宝令」により、大蔵省に設けられたのが「漆部司」です。漆部司は、長官(かみ)・判官(じょう)・主典(さかん)の職員が置かれ、その下には塗部20人、使部6人が配置されました。


 大同3年(西暦808年)には、中務省の内匠寮が配下の画工司と大蔵省漆部司を併合します。当時の職務内容は、「内」の文字から連想されるとおり朝廷の漆器需要に応じるためのものであり、十五業種の工人120人を抱えるほどでした。


 これらの工人は、官営仏寺建立に伴う需要の増大や、院宮王臣家や富豪貴族層などから漆器需要に応えるためのものです。彼らが残した奈良時代から平安時代の美術工芸品や建造物を、現在の我々は重要文化財や国宝などによって知ることができます。その技術力の高さには目を見張るものがあります。 


 この時代の法華寺金堂の造営、近江の石山寺造営などに多量の漆が使われた記録が残っています。大日本古文書には陸奥守から漆を仕入れた記録が残されています。買い入れたのは造東大寺司であり、陸奥守は藤原仲麻呂の三男でした。もしかしたらこれらの漆も浄法寺周辺のもの・・と考えれば、大いに歴史のロマンを感じます。


 聖武天皇が行基に命じて開山したと伝えられる「天台寺」が安比川中流部の浄法寺地方にあります。寺伝によれば神亀5年(西暦728)に開山したと伝えられています。開山した時期の伝承が東大寺造営や法華寺金堂の造営時期と重なるのも歴史に埋もれたロマンを感じさせます。偶然か必然か今となっては証明困難ですが、必然だと思っています。


 この時代の浄法寺地方は大和朝廷の影響下には置かれていません。朝廷の権威が及ぶのは現在の宮城県北部までです。しかし、何らかの形で仏教の影響が及び、後世の平泉藤原氏、安部一族につながる源アベ一族(アベの源・ルーツ)が、漆という武器を携えて一大勢力を誇ったとは考えられないでしょうか。もしかしたら平泉文化の源は浄法寺の漆なのかもしれません。


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2020年2月14日 (金)

浄法寺の謎

 あるサイトで江戸期の浄法寺では漆器が作られていなかったというように書かれていた。その理由として、東京(江戸)遺跡から出土する漆器椀については、家紋を散らす文様が多くみられるが、こうした文様構成は浄法寺漆器の施文にみられないことが挙げられていた。。


 しかし、南部藩の古文書などで、浄法寺での漆器生産は確実に江戸時代には行われていたのである。ただ、一般庶民が使うような雑器は江戸にはほとんど出荷されなかったと思われる。これは生産地と消費地との距離の問題で、より江戸に近い会津漆器が有利だったと考えられる。


 一方、南部箔椀と呼ばれる、金箔をあしらった浄法寺周辺で生産された漆器椀は少数ながら江戸遺跡から出土している。このことから付加価値の高い箔椀は江戸に流通し、会津や大内の箔椀などに影響を与えたと思われる。


 江戸時代の一大生産地であった日野町(滋賀県)の伝世品調査では、一部に浄法寺漆器(箔椀)が認められている。箔椀は日野で生じた技術と一部ではいわれているが、日野は17世紀代までに生産が途絶していることから、これは浄法寺漆器が流通した例と考えられる。浄法寺の漆問屋の資料には「火野もの」といわれる椀が伝わたとの記録もあるので、近江商人や会津との交流があったことが推測される。


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2020年2月13日 (木)

漆増産

 ここ数年、浄法寺では国産漆に関する問題が表面化しつつある。文化庁が、国宝や重要文化財の建造物の修復に使われる漆は、下地も含めて国産の漆を使うようにと通知したからである。

 一見すると、浄法寺にとって嬉しいと思われる通知であるが、よく考えてみると国産漆の生産量は、消費量の1~2%と言われており、文化財にかぎっても必要な量が確保できそうにない。確実に確保できない状況である。
 発端は、日光東照宮だった。修復工事が終わって3年目にして塗られた漆が剥げだしたというのだ。ほかにも各地で建物の修復工事後わずか数年にして塗料が剥げる事例が相次いでいる。その理由として、漆塗りの部分を国産漆ではなく中国産漆を使ったからとしている。

 そもそもウルシノキは、大陸産も日本産も同種のもなのだ。加えて、桃山のころから日本が漆を海外から輸入していたのは、古文書によって明らかである。江戸時代の元禄文化は、海外からの漆輸入がなければ成り立たなかったはずである。江戸期に海外漆を使った製品が数年でダメになったという話は聞かない。

 現在の大陸では、樹液を自然に流れ出させて容器に受けるだけの方法で採取しているようだ。しみ出てから採取まで時間があり劣化しやすい。それに加えて、不純物が混じっているようだ。量を増やすために水飴を混ぜるという話も聞いたことがある。

 つまり、大陸産の漆は採取方法と生成過程の管理が悪いのであって、国産漆ならなんでもよいのではなく、樹液の採取方法や流通と精製法をよくしないと質のよい漆は生産できないわけだ。浄法寺の漆はこの点が優れているのだ。

 さて、文化庁の通達どおりにするには、年間2トン以上の国産漆が必要である。それに漆器業界が使う量を考えると、どれだけの漆が必要になるんだろうか。

 まずウルシノキを増やさないといけない。漆掻き職人も確保しなければならない。道具をつくる鍛冶職人も確保しなければならない。

 隣の大国産漆の生産方法や流通を改善してもらって品質を上げる方が有効かもしれない。

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2020年1月28日 (火)

桂材の椀

ブログで知り合った木地屋さんから、椀木地を作ってもらったのが6年前。

木目が美しいですね。

数年寝かせたので、木地も落ち着いていい雰囲気になってきました。

春になったら、漆を塗ってみたいと思います。

どなたか、使ってみたいと思う方が出てくればうれしいです。

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2020年1月26日 (日)

奈良時代の大宝元年

 奈良時代の大宝元年(西暦701)に施行された「大宝令」により、大蔵省に設けられたのが「漆部司」です。漆部司は、長官(かみ)・判官(じょう)・主典(さかん)の職員が置かれ、その下には塗部20人、使部6人が配置されました。
 大同3年(西暦808年)には、中務省の内匠寮が配下の画工司と大蔵省漆部司を併合します。当時の職務内容は、「内」の文字から連想されるとおり朝廷の漆器需要に応じるためのものであり、十五業種の工人120人を抱えるほどでした。

 これらの工人は、官営仏寺建立に伴う需要の増大や、院宮王臣家や富豪貴族層などから漆器需要に応えるためのものです。彼らが残した奈良時代から平安時代の美術工芸品や建造物を、現在の我々は重要文化財や国宝などによって知ることができます。その技術力の高さには目を見張るものがあります。 

 この時代の法華寺金堂の造営、近江の石山寺造営などに多量の漆が使われた記録が残っています。大日本古文書には陸奥守から漆を仕入れた記録が残されています。買い入れたのは造東大寺司であり、陸奥守は藤原仲麻呂の三男でした。もしかしたらこれらの漆も浄法寺周辺のもの・・と考えれば、大いに歴史のロマンを感じます。

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Toudaiji

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