陣場台熱球録

2019年7月16日 (火)

昭和53年夏 駅蕎麦の思い出

昭和53年夏の高校野球岩手県大会の決勝戦は、盛岡一高と黒沢尻工業高校の対戦となった。

その対戦を北福岡駅の待合室で観戦していた。

200人ぐらいの観戦者が居たような記憶がある。

7回だったと記憶しているが、盛岡一高が逆転に成功し、そのまま試合に勝利し甲子園出場を決めた。

その7回の観戦中、小腹が空いたので駅蕎麦を食べていた。

食べ終わる前に逆転の場面があった。

その場面に見とれていて、蕎麦の入った容器をこぼしてしまった。

恥ずかしいやら何やらで、なんとかその場をしのいだ。

しかし、空腹は満たされない。

すると近くにいた人が蕎麦をおごってくれた。

よくよく話を聞くと、盛岡一高の卒業生だった。

この時の優勝で、盛岡一高が9回目の甲子園出場を果たした。

母校は昭和52年、昭和51年と決勝敗退。

甲子園の出場回数で抜かれた年であった。

その駅蕎麦を食べた建物もなくなり、駅名も二戸駅に変わってしまった。

当時は毎年夏になると、両校とも必ず優勝候補に名を連ねていたものだ。

令和の今では夢のような時代だった。

11回目の甲子園出場を、決勝戦で盛岡一高を破って果たしたらと考えると楽しい。

両校の奮闘を期待する。

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https://airinjuku.jp/

11回目の夏を目指して

母校が11回目の夏を目指して奮闘中です。

本日の試合で3-0で高田高校を降しました。

最後の甲子園出場が昭和60年。

あれから34年目。

今でもあの時代が蘇ります。

在学中には9回目の甲子園出場を果たしました。

今でも同級姓との間で、その話題で飲めます。

野球部ではなかったけど、野球部以上に母校の活躍を祈っています。

次の対戦は久慈高校。

高校二年生の夏、決勝戦で敗れたのも懐かしくて悔しい思い出です。

ところで、今年も歩いたんでしょうか。

そのことが気になる同窓生も多いはず。

情報をお持ちの方は書き込みお願いします。

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カシオペア歴史研究所

2019年7月10日 (水)

萬卒に功無く一将枯る

昭和2年に母校は夏の甲子園大会に出場しました。


そして、その戦いぶりは飛田穂洲氏に絶賛され、一躍岩手の福岡という土地が有名になるのです。


その時の母校野球部の活躍を、後世に残すために原稿を書き始めました。


その中で読み返しているのが「新説日本野球史」です。


大正編の327ページに母校の先輩が登場します。


そして、昭和編では数ページにわたって母校の戦いぶりが出ています。


90年以上前の、過去の物語といわれようとも、同窓生としてはやっぱりうれしいものです。


まもなく夏の甲子園予選が始まります。


母校の奮闘を期待しています。


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2019年3月 3日 (日)

陣場台熱球録 小田島権五郎

夏の甲子園出場10回、春は一度も出場のない岩手福岡高校。

そんな福岡野球部の、創部期の記録です。

明治35年入学の小田島氏が、その当時の野球について語った記憶です。

いまとなっては貴重な記録です。

↓で紹介しています。

よろしければチャンネル登録をお願いします。

https://youtu.be/Hm-maPFHYIQ

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2019年2月 1日 (金)

二戸地方への野球伝来

二戸地方に野球を伝えたのは、誰でいつ頃のことであろうか。

結論から言うと記録は発見されていないが、当時の人々の書き残した資料などからある程度は想像ができる。

そのことを調べているうちに、田中館愛橘博士が、野球伝来のころに登場するのにびっくりでした。

https://youtu.be/rqN86NnzSTw

2019年1月31日 (木)

埋もれた二戸の歴史 昭和3年、御大典奉祝記念大会

神宮外苑に明治神宮競技場が竣工したのは1924年(大正13)のことであり、同年から内務省主催の「明治神宮競技大会」が開始されることになった。日本のスポーツ競技普及に大きな役割を果たし、戦後の国民体育大会の基になった大会でもある。

中等野球(現在の高校野球)も第1回から開催された。ただし、野球場が完成したのは1926年の第3回大会からで、それ以前は大学グラウンドなどを用いていた。基本的に夏の全国大会上位チームを招待することが多く、この方針は現在の国体に受け継がれている。

他の競技大会と同様、戦争の影響で1942年(昭和17)の第17回をもって大会は中止となった。年次によっては「明治神宮体育大会」、「明治神宮国民体育大会」、「明治神宮国民練成大会」とも呼称していた。

1928年(昭3年)には、御大典奉祝記念大会として開催されたが、この大会には、旧制福岡中学が選抜されて出場し、見事に準決勝に勝ち進んだのである。前年夏の大会には、初出場ながら、優勝した高松商業と大接戦を演じ、春の大会には、東北・北海道勢としては初めて選抜された強豪チームであった。

春の大会には、練習部不足のため出場を辞退したが、御大典奉祝記念大会にも選抜されて出場した。御大典奉祝記念大会は、昭和天皇陛下の即位を記念して開催された大会であったが、初戦で春の選抜大会優勝の関学中学に勝利したのであった。

準決勝は、名門和歌山中学と対戦。和歌山中学の小川投手と、福岡中学の戸来投手対戦は、屈指の人気を博し、東の戸来か、西の小川かと言われた。試合は、2対3で惜敗であった。

語り継ぎたい二戸の歴史です。

中等野球 選抜大会1928年(昭3年) [御大典奉祝]

1回戦

和歌山中 000 100 100=2
広陵中 000 010 000=1
【和】 小川―島本
【広】 八十川―小川

鹿児島商 000 000 000=0
松本商 100 000 01X=2
【鹿】 能勢―餅田
【松】 中島―百瀬

高松中 003 011 000=5
早稲田実 000 000 000=0
【高】 梶原―中村新、小舟
【早】 小林―佐伯

関西学院中 103 010 012=8
福岡中 250 020 00X=9
【関】 悳、加藤―浅井
【福】 戸来―村田

準決勝

福岡中 020 000 000=2
和歌山中 000 011 001=3
【福】 戸来―村田
【和】 小川―島本

高松中 301 100 000=5
松本商 001 020 010=4
【高】 梶原―中村新、小舟
【松】 中島、佐藤―百瀬

決勝

高松中 100 000 002 00=3
和歌山中 120 000 000 00=3
※延長11回、日没のため引き分け
【高】 梶原―中村新
【和】 小川―島本

高松中 320 002 003=10
和歌山中 000 000 000=0
※高松中(香川)が優勝
【高】 梶原―中村新
【和】 小川、土井―島本

※ 昭和天皇即位の御大典奉祝の為、明治神宮体育大会は行われず、
※ 特別に全国中等学校選抜野球大会が行われた。

※ 野球統制令以前の大会>御大典奉祝 全国中等学校選抜野球大会と重複

関連動画



2018年12月18日 (火)

陣場台熱球録 第40話

昭和2年の夏の甲子園大会に出場した福岡中学は、敬遠満塁策を成功させ観客を驚かせた。

昭和2年夏の東北大会を制したのは、岩手の北僻にある福岡中学。 全校生徒200人の小さな中学校。

しかし、ベスト8に進出して球聖と言われた飛田穂州を驚かせました。
この大会で優勝した高松商業に延長11回で0-1で惜敗。

圧巻だったのは、高松商業9回裏の攻撃。

1死二塁で福岡バッテリーの選択は敬遠満塁策。 二人を歩かせ1死萬塁。

次打者の2球目を外角高めに外し、三塁走者の水原茂を挟殺。

続く者を三振に打ち取りピンチを凌いだのであった。

試合には敗れたが、飛田穂州は最大限の賛辞を送り健闘を称えた。
この活躍が認められて、昭和3年の春に選抜された。

予算不足で選抜を辞退したが、後世に伝えたい快挙であった。

http://www.airinjuku.com/index.html

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2018年12月16日 (日)

平成15年 決勝0-1で惜敗 陣場台熱球録38

平成15年の野球部は、前年秋の新人戦地区予選一回戦でコールド負けしたチームとは思えない活躍を見せる。

春季は地区代表決定戦で16-6と軽米高校を破って県大会出場を果たした。県大会一回戦では3-8釜石南と成績は振るわなかった。

しかし、春から夏にかけて投手・守備陣が安定し、打撃も好打者五日市陽介を中心にチャンスをものにするねばり強いチームに仕上がった。

一回戦5-3宮古工業、二回戦13-3宮古水産、三回戦6-5一関学院を撃破した。一関学院は前年夏のエースが残り、この大会でも優勝候補であった。序盤から試合を優位に進め、一時は逆転を許したが、不動の四番五日市の同点本塁打などが飛び出し会心の勝利を収めた。        
続く準々決勝の金ヶ崎高校戦は押されながらも2-1と逃げ切り、準決勝の花巻東戦では遠投戦で3-2と接戦をものにした。昭和60年以来の決勝進出である。接戦を勝ち上がってきた勢いをそのままに戦いたかったが、雨天のために試合は一日順延となった。

決勝戦も稀に見る接戦となった。福岡投手陣が踏ん張り、特に7回の無死満塁を無得点に切り抜けたあたりでは、流れは完全に福岡にあるかに思われた。

しかし、実力に勝る盛岡大学付属は8回に1点を挙げこれが決勝点となった。福岡も最終回に、気力十分の五日市のバットに期待が持たれたが、敬遠気味に歩かされ次打者が打ち取られて万事休した。

敗れたとはいえ、この年の野球部の活躍は見事であった。私立四強の一角を崩し、1点差の接戦をものにして勝ち上がる姿は高校野球の醍醐味である。雨天での順延がなければ・・・。

http://www.airinjuku.com/


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2018年4月 5日 (木)

一戸の野球小僧 小田野柏

一戸の野球小僧と言えば小田野柏さん。

スライドショーを作ってみました。

戦争がなければ、もっと偉大な記録を残したと思われます。

創生期のプロ野球界で、一戸の人が活躍したのです。

よろしければスライドショーをご覧下さい。

https://youtu.be/EKdl5ojhHNI

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2018年4月 4日 (水)

選抜大会で思い出すこと

昭和3年春、福中野球部は春の大会に選抜されました。

しかし、予算不足などを理由に辞退。

東北北海道からは初めて選抜されたのでした。

夏は10回出場していますが、春は出場無し。

ある意味で珍記録ですね。

https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=QJ3c6GldnOE

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