久慈城の当主久慈直治
久慈城の当主は、久慈直治は九戸政実の弟を、娘の婿としてむかえます。つまり、政実の弟は、久慈家に入り久慈正則と名乗ります。
久慈城は中世の遺構が残ります。現在の久慈中心部からは少し離れて、大川目地区にあります。正確な築城時期は不明ですが,南部氏の庶家である久慈氏の第12代 久慈信実の代である15世紀後半より、居城として機能していたと言われています。
九戸の決起の際には、久慈氏の当主・久慈直治と政実の実弟である久慈政則は九戸政実方につき九戸城に籠城します。久慈直治・政則親子は、降伏後に九戸政実らとともに処刑されて久慈氏嫡流は滅亡しました。戦いの終結後である1592年ごろに久慈城は廃城となったようです。
なお,南部氏より独立して明治維新まで大名として存続する津軽氏の祖・津軽為信は本性を大浦と言い、久慈氏から大浦家の養子となって家督を継いだものです。このことからも、九戸落城後に、九戸の一派が津軽に逃れたのも、単なる伝説とは言えないのである。
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