骨董

2021年4月26日 (月)

全酪牛乳

地域の産業遺産です。

たかが牛乳瓶ですが、地域を支えた企業の遺産です。

40年前は、何ともないものでしたが、今となっては見かけません。

長年探して、やっと見つけました。

密かに喜んでいます。

これを機会に牛乳瓶を集めてみようかな。

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2021年4月14日 (水)

浄法寺五段重の「一部を発掘

近所の解体現場から連絡がありました。

古い漆器があるから持っていってほしいとの事。

大半が昭和40年代以降のベークライト製品でした。

その中に、犬のエサ入れとして使っていたのが画像のものです。

秘かにお宝ものです。

本来は五段重だと思いますが、一段だけの発掘でした。

発掘できただけでも幸運でした。

古漆器博物館に飾りたいと思います。

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2021年4月10日 (土)

氷コップ

秘密基地に氷コップが仲間入りしました。

なぜか子供のころから氷コップが好きでした。

一時期は、氷コップが高額で買えませんでしたが、このごろは落ち着いてきたようです。

次はかき氷製造機を狙っています。

でも、ヤフオクで検索したら、ちょっと手が出ない価格でした。

気長に探します。

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2021年4月 9日 (金)

二戸郡の南部椀

   二戸郡の漆器は来歴甚だ古く、約九百年前いまだ轆轤を用いざりし頃、既にその業在りしものの如し。旧記に高倉天皇の嘉応年間秀衡が平泉に無量光院を創建せし当時に其の産遠く京師に伝えて奥州秀衡椀等の名ありきと伝う。郡内浄法寺村の八葉山天台寺山中の衆坊が其の業を平泉に伝習して食器等を製造し、登山の参拝者に販売し相尋いで衣川の没落者が浅沢地方に来往しその業を伝え、漸次同業者を生じ製作品は之を浄法寺に掲げり。最れ
二戸郡漆器の創業時代にして今を距る七百数十年前のことに属す。

 後南部氏の治に入りて南部椀と呼び、其の模様あるものを南部模様と称え、天台寺の例大祭には境内二の丸は露店をなし販路漸く拡張せられ御山御器、浄法寺御器等の敬語さえ用いらるるに至れり。御山は天台寺所在の地なり。

 天正年間九戸政実征討の軍に参加し来れる蒲生氏郷が凱旋の切、漆工若干を伴いて其の製作を伝えしものを会津塗の祖となすとの説あり。

 承応明暦年代田山村に、寛文年間浄法寺村松岡に、御用木地師を置かる。松岡の木地師左衛門四郎の子孫荒沢村赤坂田に住し其業に関する故録記古証文等を蔵す。寛文より享保に至る七十年間に其の産額著しく高まり、寛延宝暦の頃に至つては福岡一戸方面の塗師職人を有せざる地方にも漆樹の栽植年々多きを加え、漆商競いて浄法寺市日に出でて当地方の漆器職人を迎えたり。而して一方是等の製品を売捌かんが為に浄法寺には伊勢屋、大和屋、浅沢には加賀屋、枡屋等の商人を生じ、盛岡には塗物問屋勝山長十郎あり、在方売買には鉈屋町武兵衛あり、各々資金を投じ南は盛岡仙台方面より東海岸に及び、北は三戸郡の櫛引八幡宮の祭日に販売し、西は秋田に移出し年々多額の生産あり、同業者は次第に殖えて、安比の流域を遡り、荒屋方面にも生じ更に山脈を横切って田山村にも生ずるに至り、却って浄法寺は日に月に其の数を減ずるに至れり。

 勢斯くの如きものあり、隋って工人互いに其利を争い、粗製濫造信を需要者失うものあり、加うるに宝暦天明の二大凶作に依って尠からざる打撃を蒙るりしも、寛政のの晩年より再び台頭し、文化文政の頃に至っては恢復全く成り隆運往時を凌ぐに至りき。斯くて徳川氏の晩年に至っては、現在の荒沢村漆器の産地となり、浄法寺は市場たるの観を呈するに至れり。

 維新後一時大に衰頽せるも、明治三十一年九月二戸郡漆器組合を設立し、木地の改良、下地の改良等に努る所あり、同四十三年四月、県、郡、村等の補助並びに有志の寄付金に依って荒沢村に蒔絵伝習所を設け、金沢より教師を招き数年間村内の子弟に髢漆及蒔絵の伝習を行い傍ら付属木地挽工場に於いて木地の改良研究を行い一時其の成績見る可きものありき。斯くの如きして笠井知事の時代には最も奨励に力を注ぎ年間数百円の補助金を支出し凡そ大正四五年の頃までは当局の奨励と当業者熱心によりて漸次進歩し来りたるも、次第に原料の不足、大量生産地の圧迫、其の他の原因により再び不振の状態に陥り、又爾来農家の副業として発達し来りたる関係上次第に粗製安価に隋し昔日の盛況を窺うことを得ざる迄に至れり。

 現在二戸郡漆器は荒沢村を主として浄法寺村、一戸町の三箇所に於いて年額八万円程の産額を有す。浄法寺村は荒屋新町、田山、小屋ノ畑、保戸坂、萩畑、赤坂田等の部落に製造家散在し年額約七万円位の製産を見る

 生産形態は純然たる家内工業又は農家の副業の形態にして、製品の殆ど全部は日用安物の椀なり。販路は附在方及び北海道方面にして月三回浄法寺村に於いて市を開き福岡町方面の仲買商人の手に買い取らるる状態なり。目下製品は極度に低下し椀の如き一個卸売七、八銭の程度ありと、其道奨励指導の施設として何等見る事えを得ず此の儘に推移せんかあたら古き伝統を有する浄法寺椀も此の儘次第に廃滅し終わらん、近時漆樹栽培の声大に宣しく県に於いても近く荒沢村付近い漆樹の栽培を計画しつつありと。

 以上の文献は出典を忘れましたが、昭和3年ごろの二戸郡漆芸の証言です。過去の文献をそのまま記述してあったり、微妙に訂正しなければならない部分がありますが、90年前の浄法寺漆の状況を伝える資料です。

https://airinjuku.jp/joboji/joboji-hidehira/rekishi-top.html

 

 

2021年3月28日 (日)

秀衡椀と浄法寺椀の謎

平成12年に発行された雑誌、目の眼に、秀衡椀の記事が掲載されました。

知っている人の名前も出ていたので、印象に残っていました。

その記事を掲載して、浄法寺椀、秀衡椀の参考にしたいと思います。

 

秀衡椀という名のおこりは、大槻磐水が書いた、秀衡椀記」、寛政4年が」最初である。しかしこの名が広まったのは、明治、大正時代の益田鈍翁、畠山一清などの数奇者が、この椀に目を止め、茶会席に使うようになってからと、いわれている。また民芸運動の創始者、柳宗悦も早くから、秀衡椀ならず、浄法寺の古漆器の持つ美しさに、目を止めて集められ、日本民芸協会の機関誌、工藝、民藝で特集号を出し、日本民芸館で、特別展を開くなどしてきた。それによって、名が更に知れ渡り、関心を持つ人が増えてきたのである。

続く

 

2021年1月 6日 (水)

鉄瓶のお湯で焼酎をいただきました

このごろは秘密基地で火鉢を使っています。

炭火で沸かすお湯がとても美味しいです。

長年使っている鉄瓶も、雰囲気が良く育ってきました。

武漢肺炎が収束したら、皆様と鉄瓶で沸かしたお湯で焼酎をいただきたいです。

その火鉢でスルメを焼いて肴にしましょう。

一刻も早く日常に戻って欲しいです。

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2020年12月 6日 (日)

浄法寺か秀衡か

 岩手県の南北に漆器の文化が伝わっています。浄法寺塗と秀衡塗です。

 秀衡塗というと菱形の金箔と模様が特徴的ですよね。平泉文化を花開かせた藤原秀衡の名が付いているので、古くから秀衡塗りがあったように誤解されますが、秀衡塗りという呼び方が一般的になるのは大正時代からのようです。

 古くから「秀衡椀」と呼ばれている物は、なぜ「秀衡椀」の名がつけられたのかは分かっていません。産地も特定されていないと思います。

 浄法寺椀は瀬戸内寂聴尼で知られる天台寺がルーツであることが分かっています。藩政時代には各地へ漆器を送り出した記録も残ります。中尊寺と天台寺の宗教的関係を考えれば、同じような文様の古い漆器が存在していたことは歴史的にも何らかの繋がりがあることを暗示していると思います。

 よく間違われるのが秀衡塗と秀衡椀です。秀衡塗という名前は大正時代に当時の盛岡市長によって付けられた名前で、もともと盛岡の名産品として始まりました。秀衡椀は古くから存在していますが、秀衡椀の歴史=秀衡塗ではないのです。

 古い秀衡椀は確かに現存しているのですが、その歴史を綴った古文書などはほとんど存在していません。何かの資料に、秀衡椀は元々は南部椀と言われていたと会ったように思いますが、定かではありません。古い秀衡椀は岩手県南地方の旧家やお寺などで所蔵されているものが多く、岩手県立博物館や一関市博物館などで見ることができます。中尊寺にも桃山期の秀衡椀が所蔵されています。

 旧衣川村増沢地区は、もともと漆器の産地として県内でも有数の産地で、民藝運動の創始者・柳宗悦が「塗りが正直で手堅い」と絶賛したこともあり昭和初期はとても盛んな産地でした。現在ではここで秀衡椀が造られていたという説も有りますが、確証はありません。その増沢地区も、ダムの建設によって漆器を作っていた人たちも様々な地域に分散してしまいました。

 浄法寺と秀衡の謎は深まるばかりです。

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2020年11月23日 (月)

古漆器入荷

浄法寺地方の旧家から古漆器を引き取りました。

手引き轆轤で作られた物です。

何ともいえない気品があります。

費用を捻出し、塗り直して使えるようにしたいと思います。

このまま軽修理で使ってもおもしろそうです。

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2020年10月 8日 (木)

鉄瓶を育てる

錆びるいた鉄瓶を使えるようにしています。

火鉢を設置したので、鉄瓶に茶葉を入れてひたすら暖めます。

30分もすると真っ黒な油になります。

数時間しにまま火にかけて、一晩放置します。

中の水を捨てて、再び茶葉を淹れて火にかけます。

同じ作業を数回繰り返すと、使える鉄瓶になります。

外観の錆は、鉄瓶が熱いうちに緑茶をかけることを繰り返します。

いつの間にか、風情のある鉄瓶に育ちますよ。

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2020年7月19日 (日)

江戸期の捏ね鉢

池波正太郎の作品を読んでいます。

日本人に生まれてきた幸せを感じます。

今の日本に必要なこと。

それは江戸の再認識です。

グローバル化よりも、自分達の歴史を大切にしたいものです。

今回は200年以上前の捏ね鉢を、実際に使うことを想定して直しています。

完成したら、下手でも良いから蕎麦を打って友人達に振る舞いたいです。

ぜひ遊びに来てください。

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