骨董

2019年10月15日 (火)

収集品 7

産地不明の古椀。

北陸系かと思われますが、出てきたのが青森県南部です。

どのような経緯で青森県南部に収まったのかは不明ですが、形のよいものです。

歴史を感じます。

もしかしたら、当時も木地を売り歩く集団があったのかもしれません。

そんな想像をかきたてる椀です。

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2019年10月14日 (月)

収集品 6

程度の良い南部椀のセットです。

奇跡的に良い状態で残っていました。

所有していたのは毛馬内家の関係者です。

時代は江戸末期と思われます。

この頃は、この種のものは滅多に出なくなりました。

とても良い雰囲気です。

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2019年10月10日 (木)

収集品 5

収集品5は、これまた片口です。

独特の文様が描かれています。

描かれているのは「雲」だと、古い塗師から聞いています。

何とも魅力的な道具です。

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味付け 焼あご <お徳用>たっぷり200g入り

2019年10月 9日 (水)

収集品 4

浄法寺漆器を代表するものに片口があります。

その洗練された形は、実際に使ってみるとその良さがわかります。

集め始めたのは昭和62年ごろ。

100個集めることを目標にしていましたが、いまだに達成できていません。

収集を頑張ります。

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JAPAN IRON ペンダント(馬蹄型)〔本革紐40-45cm〕【星】*

2019年10月 8日 (火)

収集品 3

漆絵皿を結構収集しました。

時代はそれほど古くはないいと思いますが、微妙な下手さ加減が良いです。

技法も面白いです。

飾っておくだけでもよさそうです。

展示のために「小さな展示館」を作りたいです。

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和骨董 JAPANESE ANTIQUES (TOKYO ARTRIP)

2019年10月 7日 (月)

収集品 2

手作り感満載の小皿です。

描かれている文様も素敵です。

ウルシ特有のチジミも味があります。

名付ければ「天塩皿」ですかね。

食卓に一つあれば、うれしい皿です。

残念ながら一枚しか残っていません。

なかなか残っていないのが現状です。

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和骨董 JAPANESE ANTIQUES (TOKYO ARTRIP)

2019年10月 6日 (日)

収集品 1

浄法寺ものを中心に、古漆器を収集しだしたのが昭和末期です。

その頃は、粗大ごみの日にはたくさんの古漆器が捨てられていました。

その中から、所有者に断って集め始めたものです。

当然、フリーマーケットや骨董市へも出かけました。

インターネットが発達してからは、収集の主体がヤフオクになっています。

画像のものは、昭和の末期に茶道の先生から譲られたもので、とても気に入っています。

小ぶりな形で、当時の生活様式がわかります。

古漆器の世界に引き込んでくれた古椀です。

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くつろぎを知る大人の骨董生活入門

2019年9月11日 (水)

煤絵

浄法寺の古い漆器には時々驚く技法が用いられることを発見します。

現物は、売られてしまって残っていませんが、煤文様の器です。

漆を塗ったばかりの器を、蝋燭の炎にかざして文様をつけるんだそうです。

何度か試してみましたが、ほとんどが失敗します。

西洋蝋燭より、和蝋燭の方が文様がきれいに出ます。

ともかく、先人の技術には驚きます。

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2019年9月 8日 (日)

会津塗と浄法寺

○会津塗は岩代国会津郡若松町に於いて製する所のものなり。天正十八年蒲生氏郷、会津の領主となる。氏郷漆工に命じて、創めて南部椀に模擬して以て漆器を製しむ。是を会津塗といい、其の椀を会津塗といい、其の椀を薄椀と云い、其の盆を薄盆と云う。其の中に或いは抹金の描画を少しく施して、製を南部塗と異にせる者なり。

 この記述を読んで小学校時代に聞いた話を思い出した。
確か小学校の5年生頃だったと思う。郷土史にも造詣の深かった深かった稲葉浅吉校長が、浄法寺と平糠について語った。

 中世の平糠には浄法寺氏の一派がいて、砂金や漆を採取していた。天台寺の寺領もあり漆塗りの椀なども造っていた。平糠の南方には姉帯城があり、そこの大将も漆塗りの椀が気に入り日常から愛用していた。
 
 天正年間、豊臣の軍勢が九戸城攻略に奥羽街道を北進してきた。
姉帯城の城主姉帯兼興とその一党は九戸方に参戦し、蒲生氏郷軍三万人に対してわずか五百で奮闘し蒲生軍苦しめた。

 姉帯城を攻め落とした蒲生氏郷は、姉帯城内で見事な漆塗りの椀を見つけた。どこで造ったかを村人に聞いたところ、平糠の長者で造ったとのことであった。九戸城を落城させた氏郷は、会津に帰郷する際に再び平糠を訪れた。漆工職人を連れ帰るためである。この際に数名の職人が会津に移住した。

 この話は40年以上前の朧気な記憶である。この時の稲葉校長に話を裏付けようと図書館などを回ったが、明確な資料は見つけられなかった。浄法寺氏の祖阿闍梨重慶の伝説は平糠にもあることから、平糠の漆工も全くの荒唐無稽な物語でもないような気がする。 果たして姉帯城主の使っていた椀はどんなモノであっのか。想像すると楽しい。名付けるとしたら「兼興椀」だろう。

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2019年9月 2日 (月)

古椀

日野椀と同じようは形状の木地が旧家の蔵に眠っていました。

当地で作られたものか、近江で作られたものか不明です。

もしも近江で作られたとすれば、当時の流通経路を考えるうえで貴重なものです。

発見した当時は、何も考えずに漆を塗ってしまいました。

今となっては後悔しています。

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