骨董

2020年1月20日 (月)

古椀発掘

三戸地方の修験道場を昨年秋に訪問しました。

そこで発掘した古椀がとても素敵です。

名久井岳の麓の修行僧が使っていたと思われる椀です。

100年は経過していると思われます。

形、椀の収まり、塗りとも申し分ないものです。

補修がありますが、このままで使えます。

塗り直せばとも考えますが、個人的にはこのままでも良いと思ってます。

漆の質も良さそうです。

https://airinjuku.jp/index.html

Imgp0204yhft

★リピート3年連続1位!あの時食べた大きな ホッケ 開き干し 4尾セット ( ホッケ ほっけ 法華 しまほっけ トロほっけ )

 

2020年1月 8日 (水)

イタンキ

 古式浄法寺塗の最大の魅力はその絵付けにあります。施された漆絵は大らかで時として稚拙と表現されます。他の漆器産地ではあまり見ることのできない精神性の高い紋様が特徴です。古式浄法寺紋様として描かれた漆絵は、家紋や草花文、熨斗文、鶴亀文から、大津絵や古九谷の紋様につながる暮らしの歳時記がのびのびと描かれています。
  
 江戸期の商人たちの手により、北海道のアイヌとの交易品として使われ、アイヌ民族では「イタンキ」と呼んで神事に欠かせない器となったのも古式浄法寺紋様で描かれた漆器です。また、アイヌたちはアムール川流域の山東人達ともイタンキを使って交易し、現在でも時々ロシアでは古式浄法寺紋様の漆器が発見されるようです。北方の民族は、驚くほど古式浄法寺紋様の漆器を大切に扱うそうで、その精神性は青森県の三内丸山遺跡などに連なる縄文文化の魂なのかもしれません。

https://airinjuku.jp/joboji/joboji-nuri/joboji-11.html

170302_20200108193801

手のひらにのる骨董

 

2020年1月 6日 (月)

花巻人形

花巻人形を何個か所有しています。

病気療養中に、物置にしまったままにして痛みが激しくなってしまいました。

割れの補修もそのままにしていました。

どのように補修しようか、並んでいるうちに数年経過してしまいました。

やっぱり漆での修理がいいでしょうかね。

https://airinjuku.jp/

20200104104212773

自転車キャンプがよくわかる本 (ヤエスメディアムック593)

2020年1月 4日 (土)

花巻人形

花巻人形を何個か所有しています。

病気療養中に、物置にしまったままにして痛みが激しくなってしまいました。

割れの補修もそのままにしていました。

どのように補修しようか、並んでいるうちに数年経過してしまいました。

やっぱり漆での修理がいいでしょうかね。

https://airinjuku.jp/

Dsc_00291

ムー DVD-BOX 2

 

 

2020年1月 2日 (木)

古椀は美しい

年末に古椀を入手しました。

塗もよく、漆の質もいいようです。

長年使われていたらしく、口縁などに剥がれがありますが、程度よく残っていました。

おそらく明治末期のものと思われます。

当時はある程度の裕福な家で使っていたと思われます。

軽く補修をして使ってみようかと思っています。

「ひっつみ」に合いそうな古椀です。

https://airinjuku.jp/

Dsc_00271

2020年1月 1日 (水)

謹賀新年

 南部の木地業は古く、二戸郡浄法寺周辺で、平安期高倉天皇の時代頃から南部椀の製作を始めたと伝えられる。浄法寺は天台宗の古刹で、ここで自家用の漆器を作り始めたのが浄法寺漆器の始まりであり、浄法寺御器とも呼ばれていた。後世の浄法寺椀はこの遺制を踏襲したもの。当初は浄法寺周辺で専ら製作されていたが、原木が不足するにおよび、浄法寺川を遡って、荒屋新町、浅沢、赤坂田等で作られた。現在の安比川を、江戸期には浄法寺川と呼んでいたのである。

 南部領内ではコケシノことを「キナキナ」と呼んだ。コケシづくりで知られた安保一郎の家は非常に古い木地師で、元禄年間に美濃より秋田県鹿角郡安保へ移動して木地業を営み、後に浄法寺氏の勢力圏だった荒屋地区に移った。享保年間に南部藩より二人扶持を与えられてお抱え木地師となり、盛岡に移住した。

 現在では、安代~浄法寺地区でコケシづくりは行われていない。その形跡を長年探しているがみつかっていない。盛岡では、かつてはどの家でもコケシが数体あったと伝わっている。はたして浄法寺で作られたコケシはどんなものだったか興味深い。

https://airinjuku.jp/

Urushimuro_20191231154001

 

2019年12月29日 (日)

浄法寺の古漆器

 瀬戸内寂聴尼の寺として知られる岩手県二戸市浄法寺町の「天台寺」。東北最古の寺と言われ、その成り立ちは謎に包まれています。寺伝によれば、奈良時代の高僧・行基によって神亀5年(728年)開山されたとされています。その真相はともかくとして、古くから人々の信仰を集めた場所であることは間違いありません。

 この天台寺が、歴史に確実に登場するのは南北朝時代です。正平8年に作られた鰐口に「天台寺」という確かな証拠を持って登場するのです。正平8年は西暦1363年にあたります。
 
 浄法寺漆器は、謎に包まれた東北最古の名刹天台寺の僧侶が自家製の什器を造ったことに始まると伝えられております。古くから「生漆」「浄法寺漆器」の産地として知られ、室町期には確固たる地位を築いたのが浄法寺塗です。古式浄法寺の最大の特徴は自由奔放な絵付けにあります。その当時の浄法寺塗は、骨董の世界では「浄法寺もの」として高い評価を受けています。  

https://airinjuku.jp/joboji/joboji-top.html

170302

 

2019年12月23日 (月)

コカコーラホームサイズ

コカ・コーラのホームサイズを知っていますか。

40年ぐらい前は瓶入りでした。

本日、軽米エージェントから届けられました。

嬉しいです。

早速「時代屋」の収集リストに加えられました。

近い将来、昭和懐かし館として公開予定です。

https://airinjuku.jp/

Dsc_00161

 

2019年12月22日 (日)

遠野の古椀

30年ぐらい前に遠野の旧家で見かけた古椀。

同じような物がインターネットに出ていました。

当時の写真を探していますが、見つかりません。

その旧家には10個残っていました。

以前は100個近くあったようです。

なぜ譲られなかったのか後悔です。

https://airinjuku.jp/

Uhgcajbdsc

2019年12月17日 (火)

鉄瓶の美しさ

子供の頃は囲炉裏がありました。

いつも、その周囲には鉄瓶でお湯が沸いていたのを覚えています

新蕎麦の季節には、鉄瓶のお湯で蕎麦がきを作って食べた想い出があります。

味噌味でした。

南部鉄瓶は、岩手県奥州市や盛岡市で作られる鉄瓶です。

明治・大正以降は、南部鉄器で総称されていますが、水沢(奥州市)の南部鉄器と盛岡の南部鉄器の歴史は異なります。

水沢の南部鉄器は、平安後期に、江刺郡豊田館(奥州市江刺区)にいた藤原清衡が近江国(滋賀県)より鋳物師を招いて始めたと語り継がれています。

鋳物師が定住するようになったのは室町時代初期で、江戸初期には地域に鋳物業が定着し、仙台藩の庇護を受け、鉄鍋、鉄釜を中心に、仏具なども生産し、幕末には大砲も鋳造しています。

一方、盛岡の南部鉄器は、慶長年間(1596年-1615年)に、盛岡藩主南部氏が、盛岡城を築城した頃に始まったといわれています。以降、歴代藩主庇護の下、育まれてきました。

南部鉄器は、明治時代に、衰退し、東北本線の開通で盛り返すも、第二次世界大戦、戦後のアルミニウム食器で衰退しました。昭和50年に伝統工芸品に指定されて、現在に至っています。

文様は、大きく分けて、3つあり、アラレ文様、動物文様、植物文様となっています。特に、有名なのが、南部鉄瓶独自の文様として知られているアラレ文様で、鉄瓶の表面積が増すことで保温効果が増すという先人の卓抜は知恵と緻密なデザインは、今も受け継がれています。

火鉢や囲炉裏を使わなくなった現代の生活ですが、鉄瓶で入れたお茶やコーヒーは一味違います。焼酎のお湯割りも一層美味く感じられますよ。

https://airinjuku.jp/

Img_0_m22ochvv

 

より以前の記事一覧

ウェブページ

2020年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31