浄法寺漆私設展示館

2022年11月30日 (水)

ヤフオク出品中 二段重箱

古漆器転換整備の資金にしたいと思います。

展示見本品として使われた重箱です。

浄法寺の深い透明感のある漆器です。

展示見本品でしたので細かい傷があります。

弁当箱としてもいかがでしょうか。

新品価格12000円程度のものです。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s1072238293

 

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2022年11月28日 (月)

古漆器展構想構想

40年ぐらい前から集め始めた古漆器。

浄法寺モノを含めてある程度集まりました。

地域の宝として展示したいと思っています。

場所は確保しています。

ちょっとした改修は必要ですが、来春から着手したいと思っています。

常時に開館は難しいですが、少しでも地域に人が集まってくれればうれしいです。

完成したら遊びに来てください。

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岩舘隆 岩手県浄法寺 三.五寸片口 溜め

価格:16,500円
(2022/11/28 11:20時点)
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2022年10月28日 (金)

酒器 #21

ブログのPWを忘れて更新が出来ませんでした。

久しぶりの投稿となります。

布袋型、木製漆塗りの器です。

本来は酒器ですが、向付として使う方も多いようです。

未使用ですが展示見本品として二週間ぐらい使われていました。

普通郵便であれば送料は当方で負担します。

現在、古漆器展示館を準備中です。

その資金としたいと思います。

ご協力いただければ幸いです。

価格は送料込み2800円です。

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2022年4月18日 (月)

束熨斗文様

古い浄法寺に描かれている文様に束熨斗文様があります。

30年前はたくさん捨てられていました。

いまでは滅多に目にすることはありません。

昭和の時代に集めた何枚を何かの役に立てたいと思っています。

やっぱり施設の展示館ですかね。

コーヒーでも飲みながら浄法寺漆を語りたいものです。

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2022年4月15日 (金)

明治期の椀を塗りなおし

古い鉄鉢椀を塗り直たものです。

木地はおそらく100年を越えてます。

じっくり見ると形の良いお椀です。

漆も浄法寺モノで塗りなおしました。。

古い漆器は塗り直すことで新たな生命を宿します。

興味のある方はお問い合わせください。

この種の木地が入手が難しくなています。

今後も発掘に力を入れたいです。

 

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2022年4月11日 (月)

鑑定依頼

片口の産地を鑑定依頼がありました。

画像だけなので、何ともいえませんが形は浄法寺にも残る形です。

同じようなものが、川連や仙台周辺にも残る形のように思います。

塗り方は、何となく仙台方面かなと思います。

なんといっても浄法寺の特徴ある文様がありません。

体系立てて調査してみると面白そうです。

皆さんのご意見を教えてください。

自分のコレクションにも同じようなものはあります。

果たして産地はどこなんでしょうか?

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2022年3月20日 (日)

平成12年10月号 目の眼 2

 浄法寺町は岩手県北部で、町には八葉山天台寺という中尊寺より開基が少し古い寺がある。この町は昔から漆の原液の集産地として有名であり、私が初めて浄法寺に行ったのは昭和40年頃は漆の掻き子が12名ほどいた。

 浄法寺の箔椀は南部藩の注文によって作られていたため、古文書が残っている。それによると「箔椀や木地を横流しした者を掴まえれば褒美として具持ちを渡す」という内容で、「正保2年6月20日(南部文書)」とあるが、かなり厳しく取り締まっていたことがわかる。
 南部箔椀は、秀衡椀の影響を受けているが、秀衡椀とははっきり違った特色を持っている。

 形は秀衡椀が縁が内にかかえ気味で高台が曲線状で黄漆をあるのに対し、浄法寺椀は縁は内にかかえず、高台も直線状で外に開いていて秀衡椀との違いがはっきり解り、紋様は秀衡と較べるとかなり様式化されている。雲型の縁も単調になり、したの方まで下がり、その方形の切箔を四枚菱形に置き、その間に太めな箔を一枚置いている。また、雲形の中に紅柄漆で細い線を網代状に描いている。花などの紋様は秀衡は十数種類あるが何故か浄法寺箔椀は枝菊ががほとんどで、菊の花が二三輪に蕾と葉がかなり達者な筆致で描かれている。その菊紋は黄漆・黄粉蒔絵、また箔絵の場合は引っ掻きか、描き割りで花弁を描いている。また、高台に鋸状の切箔を置いたものもあり、秀衡より過食が多く手が込んでいる。この箔椀は四重、それに吸物、壺、平椀を加えた五つ椀もある。この椀は秀衡同様、身分のある旧家に伝わっている。

 宮城県金成の有壁本陣に秀衡椀とともに伝わる南部箔椀は、殿様などの接待用使っていたということである

 浄法寺にはこのような上手の椀のほかに、一般庶民用の雑椀や酒上などがあり、北海道にも大部出したという。雑椀は内外黒で胴に赤漆で草花や鶴、鹿などが少ない筆数で巧みに描かれたものや黒や紅柄の無地がある。また六寸ほどの木皿には銀杏、橘、 茫、瓢箪、桃などの絵柄が余程描いたらしい。絵も益子の山水土瓶のようにぎりぎりに単純化されたもので、どれひとつとっても見事な紋様である。浄法寺やその近辺の野良に出る時、やきものより軽いので木皿を無造作に背負籠に入れて持っていって、煮物やご飯を食べるのに使ったいたという。

 浄法寺町の旧家に箔椀で五ヶ一組で五器、違った形の五ヶ一組を持ち伝えている家があって見せていただいたが、よく見ると上物であって特に気張って作った様子がない。この辺が浄法寺椀の良いところではないだろうか。

(株式会社里文出版)

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2022年3月14日 (月)

平成12年に発行された雑誌「目の眼」

 平成12年に発行された雑誌「目の眼」に秀衡椀の記事が掲載されました。知っている方の名前も出ていたので印象に残っていました。その記事を掲載して浄法寺・秀衡の参考にしたいと思います。

 秀衡椀という名のおこりは「蘭学階梯子」の著者大槻磐水が書いた「秀衡椀記」(寛政4年が」最初である。

 しかしこの名が広まったのは明治・大正時代の益田鈍翁、畠山一清などの数奇者がこの椀に目を止め茶会席に使うようになってからといわれている。また民芸運動の創始者柳宗悦も早くから秀衡椀ならず浄法寺の古漆器の持つ美しさに目を止めて集められ、日本民芸協会の機関誌「工藝」「民藝」で特集号を出し、日本民芸館で特別展を開くなどしてきた。それによって名が更に知れ渡り、関心を持つ人が増えてきたのである。

 昭和五十六年、中尊寺坂下で秀衡塗を生業としている翁知屋の主人佐々木誠氏から「中尊寺で藤原秀衡公850年祭が行われる。その中で6月1日から一ヶ月間中尊寺で秀衡椀展が開かれるが手伝ってくれないか」と言う話があり、会の始まる前に佐々木氏と中尊寺の人と三人で秀衡椀の借り出しに歩いた。

 昔、北上川の舟の関所をしていた旧家では、楓紋の秀衡椀から時代順に十組揃って絵柄の違ったものを三組持ち伝えているには驚いた。こうして秀衡椀を持っている家を殆ど歩いたが、すべての家が当代で37代といった旧家であるところから、秀衡椀は或る程度身分の高い上客の接待用として特別に注文されたものではないかと思った。また、この椀は蓋無しで三つ重ね、時代が下がると四つ重ねが出てくるが、何れも十組が一単位で絵柄が総て違う。従って例えばよく知られている柏紋の椀が一組は日本民芸館、もう一つは秀衡椀の研究家、一関市の菅原精蔵が持ち、後の八組は代々持ち伝えてきた岩手県花泉の旧家にあるのを私は「見ている。

 また、日本民芸館蔵の桃の絵柄の秀衡椀一組は前からあったが、後の一組は柳宋悦がアメリカで入手したものである。この手の椀は菅原が秀衡椀をよく知らない頃十客持ち込まれたが、そんなにあっても思って五客だく買ったという。つまり日本民芸館の桃絵の椀は五組の中の二組で、あとの三組が何処にあるか解らない。読者の中でもし、一組でも図5の桃絵の秀衡をお持ちの方がいれば、その三組の中の一組である。

 秀衡椀はこれだけ有名なのに関連した資料が少ないため産地が解らないが、椀の分布している範囲が、西磐井、東磐井、胆沢の三郡であり、作られたのはこの近辺であり、室町末期から桃山時代ころと言われている。

(株式会社里文出版)

 

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2022年3月13日 (日)

漆雑感 13

 古い秀衡椀は岩手県南地方の旧家やお寺などで所蔵されているものが多く、各地の博物館などで見ることができます。中尊寺にも桃山期の秀衡椀が所蔵されています。

 旧衣川村増沢地区は、もともと漆器の産地として県内でも有数の産地で、民藝運動の創始者・柳宗悦が「塗りが正直で手堅い」と絶賛したこともあり昭和初期はとても盛んな産地でした。現在ではここで秀衡椀が造られていたという説も有りますが、確証はありません。

 その増沢地区も、ダムの建設によって移住を余儀なくされました。漆器を作っていた人たちも様々な地域に分散してしまい、増沢の漆器資料はほとんど残りません。

 浄法寺と秀衡の謎は深まるばかりです。

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漆雑感 12

 よく間違われるのが秀衡塗と秀衡椀です。秀衡塗という名前は大正時代に当時の盛岡市長によって付けられた名前で、もともと盛岡の名産品として始まりました。秀衡椀は古くから存在していますが、秀衡椀の歴史=秀衡塗ではないのです。

 古い秀衡椀は確かに現存しているのですが、その歴史を綴った古文書などはほとんど存在していません。何かの資料に、秀衡椀は元々は南部椀と言われていたとったように思いますが、定かではありません。柳宗悦氏もそのようなことを書いています。

 南部の名を有つものに古くから「南部椀」があります。時にはこれを呼んで「秀衡椀」という人もあります。出典柳宗悦『手仕事の日本』(岩波文庫)

 個人的には柳宗悦説が真実かとも思っています。

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